2015-01-01から1年間の記事一覧

闇のなかの迷路

雲と交わって朱に染まった夕陽は、 山々に抱かれた雲海を染め、温泉街の甍の波を染めて 山の端に消えていった。 美しい山々も、麓の街も、 ゆっくりと降りてくる夜の帳に抗うことなく 闇のなかに沈んでいった。 その温泉街は、湯田中温泉からさらに急な坂道…

立葵(タチアオイ)

雲の一端についた火は、燎原の火のごとく 一気に燃え広がっていった。 空の広い場所を探して、車を停めた Nさんとは最近知り合った。 ある精神的な病で20年近くも社会生活をできなかった彼が 新薬によって劇的な回復をしたのは40を過ぎてからのことだった。…

クジャク

カーテンの隙間から差し込む陽射しで目を覚ました。 昨日のアルコールが、まだ抜けきっていなかったが、 布団を跳ね除けて、急いで着替えた。 仕事の前に、その花にもう一度逢っておきたかったのだ 昨夜、不意打ちのように出会ったその花に... 新神戸駅に降…

Bar SINATRA

長崎から熊本へとまわり、新幹線で新神戸に着いたのは8時半を少し回ったころだった。 久しぶりの九州出張だったが、仕事は不調だった。 北野に上がっていく急な坂道で、重い足取りはさらに重くになった。 Sさんの営むフレンチレストランは閉店時間を過ぎたの…

清八楼

その旅館の入口の引き戸を開けて、おもわず唸った。 重厚な木材で作られた玄関の正面に、金の衝立があり そこに、なんともいえぬ上品な花が生けられてあった。 5月末にテルニストの仲間が弁当を頼んだという割烹旅館の 建物がとにかく素晴らしいと聞いて、朝…

旧北陸街道を歩く(2)

[風景][文学]旧北陸街道を歩く(2) 黒部川は、打ち寄せる波を切り裂いて、 やがて静かに大海に溶け込んでいった。 なんという荘厳なる瞬間 川を人の生涯に譬えるならば、河口はまさに「死」のその時か... 急峻な斜面を滑り落ち、岩を砕き、あらゆるものを呑み…

旧北陸街道を歩く(1)

釣り人が振った竿から、錘が糸を引きながら、光る海の方に消えていった。 雨の予報ははずれて、午前6時の太陽は既に海の上に昇っていた。 立山連峰の稜線は、青く霞んでいた。 魚津の客先との打ち合わせは午後からだったので 午前中、旧北陸街道を歩くことに…

ロイヤル・ハウスホールド

会社帰りのバスを降りると、空が焼け始めているのに気がついた。 改札から流れ出てきた人々の群れの隙間を縫って、 空の広い場所を求めて急いだ... ビルの隙間からのぞく炎はやがて鎮まり、冷めはじめていた。 歩道橋の階段を駆け下り、病院の角を曲がった瞬…

待つことの豊饒

琥珀が溶け出したような流れが目の前に横たわっていた。 滑らかな水面の下で激しくぶつかりあい揉み合い、湧き上がる渦が 光のなかに浮かび上がって、そして流れに呑み込まれていった。 宇連川(うれがわ)にかかる橋を渡ったとき、不思議な色の川が視界の隅に…

水のかたち 翡翠の清流

木立の間から、不意に翡翠色の水面が現れた。 あまりの美しさにため息がもれた。 豊川をさかのぼった支流のまた支流...地図に名前も載っていない川だった。 雑草に覆われた小道を降りて、川の畔に立った。 水面にできた風紋の上で光が揺れた。 裸足になって…

藍染のこころ

五月の澄みわたる空を見上げるように ネモフィラの花が群れ咲いていた。 届かぬ空に溶け込むように... さわれぬ色にさわったように... 青... 地球上に最も広大な領域を占めるこの色を ひとは愛し、ひとは憧れてきた。 手で触ることのできぬ空の色を... 手に…

『田園発 港行き自転車』

「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」 日蓮が弟子に宛てた手紙にしたためた一文である。 次元はちがうのかもしれないが、生きているなかで、そんな想いに浸ることは確かにあるものだ。 宮本輝先生の最新刊『田園発 港行き自転車』を読みなが…

ペンダントヘッド

西に傾いた陽射しが、木立の隙間から差し込んで、青葉が光った。 五月の連休は、ほとんど家で過ごした。 出張生活をしていると、休みは家に居たいのだ。 本を読んだり、ブログを書いたり、ものづくりをしたり... やりたいことは、いくらでもある。 午後にな…

宮川町散策

初夏の匂いのする夕暮れの風が、四条大橋のたもとの柳をふわりと揺らして川下に流れていった。 観光客で賑わう四条通の南座の前を過ぎて、大和大路を南に折れると、急に人通りは少なくなり、 細い路地を右に折れ左に折れて宮川町に入ると、人影はほとんどな…

浜辺の朝

夜が明け始めていた。 宿を飛び出して、川沿いの道を海へと急いだ。 浜辺にたどり着いたときには、東の山の端が朱く染まっていた。 南知多の海は、霧に包まれていた。 海の上に立ち込めた霧に、曙光が散乱してなんともいえない美しい色に染まっていった。 絹…

生きている意味

その路地には、懐かしいにおいが漂っていた。 醤油の製造工程で出てくるにおい。なんともいえぬ甘酸っぱいにおいである。 朽ちた黒壁は、建っているのが不思議なくらいに木の窓枠は上下にねじ曲がり、 破れた壁にはトタンで目隠しがしてある。 曇りガラスの…

いのちのなかの宝物

艶やかな衣装を身にまとった乙女らが、雨上がりの曇り空を見上げていた。 2年前、ここでチューリップを見たときも、雨が降っていた。 かかりつけの心療内科で、K先生の笑顔と元気な声に励まされて、病院をあとにした。 行くあてもなく歩いて、ビルとビルの…

夢一夜

頬をやさしく撫でるほどの微かな春の風が 散りゆく桜のはなびらをはらはらと舞わせていた。 湿った土の上には、桜の小紋が敷き詰められていた。 散ったばかりの染井吉野の木はみすぼらしくて、 見ているとかなしくなるので、 見上げないように視線を落として…

北国の桜

冷たく重い曇天の下で、万朶の桜が雲のごとく城跡を覆い尽くしていた。朝から降り続いていた雨は、昼前にあがったが、空気は冷たく張り詰めていて夜には雪が降り始めるのではないかと思われた。 上田城は真田氏の居城であった。この城の歴史は、上田城合戦と…

居酒屋というところ

神戸の中心部のホテルがとれず、阪急電車にそのまま乗って新開地まで来た。 夜8時だというのに、駅員もいない地下の改札は薄暗く、 澱んだままの昭和のにおいに、一瞬息が詰まった。 地上に出て緩い坂になったレトロな商店街を少しのぼって行くと 路地を右…

成長しつづける作家

橋の下から轟音が聴こえた。 欄干から身を乗り出して覗き込むと、 滔々と流れる井田川の、そこだけ傾斜のきつくなった川底のくぼみに水がなだれ込み 岩にぶつかって激しく砕け散っていた。 飛騨の山々から流れ落ちてくる雪融けの水なのだろう... 以前、大糸…

茜に染まる

心臓の手術を受けた友の見舞いに行った帰り道 畑のなかに立つ、一本の白木蓮に出会った。 ふわっと開いたやわらかな花びらは 色づきはじめた夕方の陽射しをあびて、儚げに空を見上げていた。 やがて萎れゆく短いいのちを知ってか知らずか 天を見上げて、一心…

椿落つ

春未だ浅い雨上がりの午後 城址の濡れた石段を、ゆっくりと昇っていった。 梅は終わり、桜はまだつぼみのままだった。 石垣の間を抜けたところで、不意に視界に飛び込んできた艶やかな色にドキンとした。 緑鮮やかな苔の絨毯の上に、深紅の椿が散らばってい…

小淵沢の朝

雨音で目を覚ました。まだ5時前だった。 いつの間に眠ってしまったのか...暖房を入れたままで、部屋は暑いくらいだった。 昨日の6時に横浜を出て、愛知県の岡崎経由で新潟県妙高市まで走り、 神奈川に戻る途中、小淵沢で力尽きて、インターに近いペンション…

ポートライナーに乗って...

カーテンの隙間から、白み始めた空が見えたので、 起き上がって窓辺に行くと、ポートライナーが港の方向に走っていくのが見えた。 ふと、朝の海が見たくなって慌てて着替え、ホテルを飛び出した。 早朝の神戸港を見下ろしながら、無人の電車はゆっくりと走っ…

ひとり立つ

腰のまがった老婆が長靴を引きずるようにして船着場に出てくると そこに屯していた海猫がいっせいに飛び立った。 空には重い雲が折り重なるように広がっていた。 黒部漁港から黒部川に沿って、車を走らせた。 愛本を過ぎて宇奈月温泉に続くトンネルをくぐる…

魔物の棲むところ

足元の水面を覗き込んで、思わず後ずさりしそうになった。静かな水面の上の光景が、一瞬魔物の姿のように見えたのだ。軽井沢の森には魔物が棲んでいる...そんな先入観が、こころのなかに映じたのかもしれない。 よく見れば、それは美しい冬の森の姿であった…

「死」について

日の出前に布団を抜け出して、浜辺に出た。 ブルーグレーの凪いだ海は、砂浜で微かに波立っていた。 海を渡ってくる潮風が心地よかった。 この海で亡くなられた方々のことを思い、東天に向かって掌を合わせた。 小さな船が、漁に出ていく... 船尾から生じた…

津波のあとに...

碧く美しい海が、静かに横たわっていた。 壊れたままの校舎の窓枠が、それを一枚の絵画を縁取る額のように見えて 過去と現在が...現実と非現実が...生と死が... 意識のなかで混乱してめまいを感じた。 真っ黒な魔物に豹変した海は、海辺の街を一瞬にして飲み…

苦悩をつき抜けて

春を探しに野に出た。 厳しい寒さのなかで震えながら闘う友に 春の訪れを知らせたかったから... 冬は必ず春になることを、思い出してもらいたかったから... しかし、二月の枯野に色はなく、花の蕾も固く閉じて震えていた。 諦めて帰ろうとしたその時、住宅街…