2018-01-01から1年間の記事一覧

月山

庄内平野を渡っていく風が、田んぼに積もった粉雪を巻き上げて 無数の渦を作りながら、乾いたアスファルトのうえを横切っていった。 午後になって、気温はやっと零度を超えたが 強風にあおられた細かい氷の粒は砂嵐のように襲いかかってきて 顔じゅうに突き…

倉敷川の紅葉

名残の紅葉が、力尽きたように一枚また一枚と枝から落ちて 水源のない倉敷川のどん詰まりの 黒い水面に貼りついてゆく。 乾いた葉は水を吸って一瞬息を吹き返し、 黒地に錦繍の柄を描いていった。 初冬の乳色の空の上に 輪郭のはっきりした白い太陽が上がっ…

紅に染まる

ゆらゆらと波立つ清流の水面が、 血を流したような深紅に染まっていた。紅葉の盛りを過ぎたくらがり渓谷… 僕はひとりになりたくて、歩道を逸れた渓流伝いに森の奥へ奥へと歩いていった。 悩める一人の友を想いながら... 傾斜が緩やかになったそのとき ふと足…

能舞台『沖宮』

能舞台のうえで緋色の花がぱっと咲いた。 白装束の少女あやが 目の覚めるような鮮やかな紅の長絹に袖を通す。 小さな白足袋が舞台を滑り 能舞台は佳境に入っていった。 水俣病との闘いに生涯をささげた石牟礼道子さんが 最後の力を振り絞って遺言として書い…

雨の兼六園

川を模した流れにかかる石橋に差しかかったとき 薄鼠色の空から糸のような雨が落ち始めた。 水面に浮かんだ輪郭のぼやけた太陽が 折り重なる同心円のうえで拡がっては消えてゆく。流れから取り残された黄葉の配列さえもが 庭師たちの企みではないかと思うほ…

鉄橋

錆びの浮いた鉄骨の下にたまった雨の滴が膨らんでは落ちて 暗い水面に不規則な波紋をつくっていた。 ゆっくりと流れてきた紅葉の落ち葉の列が波紋のうえで微かに揺らめく... 見事に色づいた錦繍を背にして、その鉄橋はただ静かに佇んでいた。 新潟から鶴岡に…

堂島川

北新地の居酒屋で飲んでから、酔い覚ましにふらふらと歩いて 気が付いたら堂島川の畔に出ていた。 8年前に突然仕事を失って滋賀から家に帰る気になれず 逃れてきた大阪で泥のように酔っぱらって、ここに来た夜を思い出す。 四度の転職、そして三度目の失業だ…

曼珠沙華と中川幸夫と

黄金色に染まりはじめた田園に 曼珠沙華の花が咲いていた。 狂おしく燃えた夏の恋の残像のように 身を捩りながらが燃える花びら。 天に向かってまっすぐに伸びる蕊は 彼女の祈りか... 残暑の眩しい陽射しの中でぱっと燃えて あっという間に萎れて堕ちて行く…

川のように...

その川にかかる橋を渡るとき 視界に入ったその色に驚いて慌てて車を停めた。 なんという色だろう... まるで顔料を流したような鮮やかなターコイズブルー川沿いの木立に車を置いて 岩を伝って川岸に降りていった。大きな岩のうえに立って川上の方を見ると 大…

常願寺川の夕暮れ

夕陽からこぼれ落ちた光の道が、 波に揺られるごとに色を増しながら海に拡がっていった。赤銅色に染まりゆく波のうえに影絵のようなサーフィンが三艘、 木の葉のようにゆらゆらと揺れていた。 昼間のぎらつく太陽は、真夏のそれと変わらなかったのに 海辺の…

叔父に会いに...

「向うに弥彦山が見えるだろ? 弥彦山はいい山だ...」 そう言ったまま征三郎叔父はまた沈黙した。 ベッドから起き上がれない叔父の姿を見るのがちょっとせつなくて 僕も黙って叔父からは見えない窓の外を見ていた。 黄金色に染まりはじめた田園の向うに、 美…

常滑 火を吸いこんだ土

四角い煉瓦積みの煙突が 梅雨の合間の白藍色の空を見上げていた。常滑には夕陽を観に何度か来たことがあったが 泊まったのは初めてだったから、朝の散歩に出た。 海を見おろす西向きの斜面にはりめぐらされた迷路のような 街のいたるところに積み上げられ、…

鏡池にて

父親に手を引かれた少女の少し縮れた髪が風になびいて 初夏の陽射しのなかで金色に波打っていた。 戸隠山から吹き下ろすその風は鏡池に細波を立て 尖った稜線は、ざわめく水面の上で滲んで空に溶けてゆく。 明日からの富山出張を一日前倒しして 新幹線を途中…

西浦海岸の夕暮れ

西陽に照らされた錆色の街並みに導かれるままに 僕はその海岸に向って車を走らせていった。 街並みが切れて港に出ると、 帆を降ろしたヨットのマストの間にすでに春の太陽は沈み始めていた。 鳥たちは獲物を追うのをやめて、養殖網の竿の上で羽を休め 仕事帰…

薔薇園にて

幾重にも重ねた花びらに秘め事を抱いて、その花は咲いていた。 僕はうな垂れる花にそっと手を差し伸べる。 曇り空の青島海岸... ふらりと入った薔薇園に人影はなく 椰子の並木のシルエットの向うで、いつもより少しくすんだ日向灘に白い波頭が浮かんでは消え…

幻の光

峠越えのトンネルを抜けて長い下り坂にかかると、霧のような細かい雨が降りはじめた。カーテンの襞のように折り重なりながら降ってゆく雨のむこうで左右に迫る山々の青葉も、狭い空を覆う雲も、次第に光を失っていった。 山が切れて灰色に霞んだ水平線が見え…

君の悲しみが美しいから...

「うちの桜を撮ってくださって、ありがとうございます」背後から突然声をかけられて、はっとした。振り向くと、小柄なおばあさんが微笑みながらそこに立っていた。 うちの桜と言ったよな...もしかして人の敷地に入ってしまったか...覗いていたファインダーか…

野口謙蔵『冬沼の鯉』

天に向かって差し上げた翅が、微かな春の風に震えていた。 七年の眠りから醒めた蝶は、渾身の力で翅をひろげたが 飛び立つ刹那に花に化身した。 春の光を吸い込んで咲き乱れる艶やかな花々の足元で カタクリの花は、まるで闇を吸って生きてきたかのように哀…

しだれ梅の園

糸のような細い雨が音もなく降りはじめた。 前を歩く白髪の夫婦と距離が縮まらぬよう、 土の匂いがたちのぼる小径をゆっくりと歩いていった。 何も言わずに連れてこられたのであろう... 少し下がって歩く夫人はどこか拗ねたようにうつむいている 門をくぐり…

春の気配

すこしだけゆるんだ寒気の底に、熟れた蝋梅の香りがたゆとうていた。くすんでしまった蝋梅の花を囲むように植えられた梅の木の細い枝先で小さな蕾がぽつりぽつりとほころびはじめていた。花びらも動かぬほどの微かな空気の揺らぎにしたがってすでに傾きはじ…

冬の漁師小屋

真っ暗な雲の下で、風に煽られて大きく膨れ上がった波が、碧くなったり黒くなったりしながら、幾重にも折り重なるように岸に押し寄せていた。 強烈な風に何度も圧し倒されそうになりながら、僕は浜辺に向ってゆっくり歩いていった。海から吹き上げてくる雪は…

雪をかく老婆

郵便局の赤い車が行ってしまうとそのまっすぐな雪の坂道は静寂に包まれていった。目の前も霞むほどの雪は風のない大気のなかをスローモーションのようにしかし止めどなく降り続けていた。 おわらの夜に人で埋め尽くされたこの石畳の坂道にいまは分厚い雪が降…

無名の悲しみ

降りしきる雪のなかでその花に出会った。深い緑の葉陰に身を隠すようにして、その白い椿は降りかかる雪よりもなお白い悲しみをまとって雪の降り積もる大地をじっとみつめていた。 午後から降り出した激しい雪は、瞬く間に街を包んでいった。車も人も途絶えた…

冬枯れのなかに

閉園間近の植物園の切符を買って門をくぐった。 閉門までにはお戻りくださいと言いながら、係員が怪訝な顔で半券を切る。 僕は、日没の迫った緩やかな坂を急ぎ足で登っていった。 名古屋での仕事を終えてホテルに向かう途中、東山動植物園の前を通り、不意に…