待つことの豊饒

琥珀が溶け出したような流れが目の前に横たわっていた。
滑らかな水面の下で激しくぶつかりあい揉み合い、湧き上がる渦が
光のなかに浮かび上がって、そして流れに呑み込まれていった。


宇連川(うれがわ)にかかる橋を渡ったとき、不思議な色の川が視界の隅に入った。
車を停め、橋の上から見下ろしたが近くで見たくなって
木の根につかまり、岩に足をかけながら岸辺まで降りてきた。
果たして、そこには金色に輝く水が滔々と流れていたのだった。
流れは速いのに、誰もいない森のなかは静かだった。



琥珀は、樹木から溢れた樹脂が数万年のときを経てできるという。
この水の色も、きっと山々に堆積した植物のなかからしみ出てきた色だろう。
何百年、何千年... 人間の時間のものさしでは到底及ばない時間のなかで...
死したいのちの欠片が別のいのちによって熟成し、醸し出された豊饒の色
手に取れぬ色なき色を、胸のなかで抱きしめた。

時間が必要なのだ...何事も
待つことができず、許すことができず... 多くの過ちを繰り返してきた。
焦れば焦るほど、思っていたことから遠ざかっていった。


待たねばならない。時が来るまで...

待ちこがれ、待ちかまえ、待ちわび、待ち遠しくて、待ち伏せ、待ちかね、待ちあぐね、
待ちくたびれて、ときに待ちきれなく、ときに待ち明かし、待ちつくし、やがて待ちおおせぬまま...。<待つ>のその時間に発酵した何か、ついに待ちぼうけをくらうだけに終わっても、
それによって待ちびとは、<意味>を超えた場所に出る...
      鷲田清一『「待つ」ということ 』


たとえその時が来なかったとしても、発酵したいのちのなにかは
この水のような色になるのではないだろうか...

待つということにはどこか、年輪を重ねてようやく、といったところがありそうだ。
痛い想いをいっぱいして、どうすることもできなくて、時間が経つのをじっと息を殺して待って、
じぶんを空白にしてただ待って、そしてようやくそれをときには忘れることもできるようになってはじめて、
時が解決してくれたと言いうるようなことも起こって、でもやはり思っていたようにはならなくて、
それであらためて、独りではどうにもならないことと思い定めて、
何かにとはなく祈りながら何事にも期待をかけないようにする、そんな情けない癖もしっかりついて、
でもじっと見るともなく見つづけることだけは放棄しないで、
そのうちじっと見ているだけのじぶんが哀れになって、瞼を伏せて、
やがてここにいるということじたいが苦痛になって、それでもじぶんの存在を消すことはできないで...。
そんな想いを澱のようにため込むなかで、ひとはようやっと待つことなく待つという姿勢を身につけるのかもしれない。
年輪とはそういうことかとおもう。
    鷲田清一『「待つ」ということ 』

「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)


歩きながら、祈りながら、時を待とう
発酵し熟成して、いのちが輝いていくように...