留萌の海岸に出るころになって、やっと雨があがった。
朝、札幌のホテルを出てからもう200㎞も走ってきたのに
記憶に残っていたのは、雨に霞む白樺の林と
その間を流れる雪融け水で増水した泥の川と
ぬかるんだ道路脇にどこまでも連なるふきのとうだけであった。
不意に出張が決まった20年ぶりの北海道…
もう来れないかもしれないからと思い
仕事が終わってから帰らずにドライブをすることにした。
行く先も決めず、ホテルも途中でとることにして…
雪融けの季節
厚い雪に閉ざされた大地が春に向かってゆく歓びを感じられるのかもしれない
そう思っていたが
運転しながら胸にせまってくるのは、なぜか霧のような寂しさだけだった。
札幌から岩見沢まで高速を走り、あとは一般道で富良野・美瑛・旭川を通り
そして海の方向に向かって留萌に出た。
日本海を南下していけば小樽あたりで日が暮れると思い
スマホでホテルを予約した。
そして、切り立った海沿いの国道を走るうちに海に向かって落ちていく太陽が
ほんのり朱く染まり始めたころに、厚田村に入ったのだった。
海を見下ろせる国道沿いに道の駅があり
さらにその少し上の見晴らしの良い場所に
この村の出身の男の生家を移築した小屋が建っていた。
そこまで登ったころに夕陽が赫々と燃え始めたのだった。
眼前に広がる海には、弧を描くように白波がたっていた。
ああ、これが厚田の海か…
意図せずして、こんな美しい夕暮れに
ここに来れたなんて…
落日の速度は刻々と増していた。
丘を駆け下りて車に飛び乗り、浜辺への道を探して走る。
砂浜に降り立ったとき、すでに太陽は水平線のすぐ上まで迫っていた。
丘の上から見るよりもずっと荒々しい海だった。
車を降りて、吹き飛ばされそうな風に身を縮めながら波打ち際まで歩き
裸足になって波に足を晒す。
思ったよりも冷たくはない波が足先を洗っては引いていく。
大きな波が来て慌てて後ろに下がって
そして砂の上に腰をおろして日没をここで待つことにした。
海の底から突き上げるように現れるあの激しい波も
最期は崩れるように砂浜に広がって、そして引いていく。
暗い海の底から光ある世界に生じて、そしてまた闇の中に還ってゆくのだ。
果てしなく繰り返す生死… 生死… 生死…
自分はもう崩れ落ちて砂の上を滑っていくあの波なのかもしれないな。
この世に生まれても何も為すことなく、
最期は海辺の砂を少しばかり濡らしてそして引いていくのだ。
引き潮のような哀しみが、一瞬胸をかすめる。
太陽はいよいよ色を増していった。
カメラを手に取って、ファインダーの中で眩しすぎるその光を調整すると
波頭が炎のように染まっているのが見えた。
引いた波の後には、濡れた砂が朱く染まって
そこに太陽が映り込んだのだった。
「生きようが死のうが、安心していなさい…」
『約束の冬』で肝臓がんにおかされた小巻が、厚田の海で聴いた声が
すっと胸の中にしみ込んでいった。
背後に気配を感じて振り返ると
朱い大きな月が、東の空にぽっかりと浮かんでいた。
おまけ
『約束の冬』のこと…
「生きようが死のうが、安心していなさい…」という文章を引用しています。
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