長崎から熊本へとまわり、新幹線で新神戸に着いたのは8時半を少し回ったころだった。
久しぶりの九州出張だったが、仕事は不調だった。
北野に上がっていく急な坂道で、重い足取りはさらに重くになった。
Sさんの営むフレンチレストランは閉店時間を過ぎたのか、
照明は消え、人の気配はなかった。
塀づたいにいっせいに開いたノウゼンカズラのオレンジ色の花が
街灯の光の下で静かに眠っていた。
ホテルにチェックインしてから、長い坂をくだって神戸の街へ...
昨夜の熊本の夜の、高価なだけで楽しくない食事...派手なだけで落ち着かないバー...
今夜は、ひとりで静かに飲みたかった。
三宮の阪急ガード下で軽く食事を済ませ、繁華街を離れて路地裏を歩いた。
思いつくままに右へ曲がり左へ曲がり...
酒場で飲んでいる人の幸せな笑顔を目にしたり、楽しそうに語り合う若者とすれ違ったり...
店のシャッターを閉めて自転車で帰っていく青年の後ろ姿を見送ったりしているうちに
胸のなかに澱んでいたものが、いつのまにか消えていた。
バーを探したが、どうも自分のような中年のオヤジが入るような店は見当たらず
歩いているうちに、生田神社の裏手あたりにたどり着く。
このあたりは、バーがやたらに多かった。しかし、それはそれで迷うのだ。
混んでいる店は落ち着かないし...
結局、一番入りにくそうなバーの木の扉を開ける。
入口のドアと同じデザインの木製の壁... 暗く落ち着いた雰囲気
人の気配もない...
60代くらいのマスターが、客のいないカウンター席の隅に座って新聞を読んでいた。
客が入ってきたのを珍しそうに見上げ、「いらっしゃいませ」と一言
カウンターに入ると、ふわっと柔らかな笑みを浮かべる。
いい店をチョイスしたな...
シングルモルトを飲みながら、マスターととりとめもない会話...
客は入ってこない。
2時間近く飲んで、店を出る。
マスターは、店の外まで出て見送ってくれた。
ショットバーらしからぬ感じだけれど
まあいいか...
すっかり気分もよくなって、北野のホテルに続く静かな坂を、
鼻歌を唄いながら登っていった。