『田園発 港行き自転車』

「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」
日蓮が弟子に宛てた手紙にしたためた一文である。
次元はちがうのかもしれないが、生きているなかで、そんな想いに浸ることは確かにあるものだ。


宮本輝先生の最新刊『田園発 港行き自転車』を読みながら
この一行が何度もこころのなかに浮かびあがってきた。
富山・京都・東京...離れた土地に生きる善き人々の人生が絡み合いながら
奇跡のような一枚の美しい布が織り上がっていった。
不幸と思えるような出来事は、不意に人を打ちのめす。
しかし...
厳しい宿命という経糸(たていと)が張り詰めていたとしても、美しい心の緯糸(よこいと)を、優しく重ねていけば
ひとは幸福へと向かっていける。
例えば、鼠色の生地のなかに、紫が一筋通っただけでも、えもいわれぬ美しさに変わることさえあるのだ。

(志村ふくみ『色を奏でる』の一ページ )


読んでいるだけでこんなにも幸福になれる小説が、ほかにあっただろうか...

田園発 港行き自転車 (上)

田園発 港行き自転車 (上)

田園発 港行き自転車 (下)

田園発 港行き自転車 (下)

同僚が開拓した新規案件の技術的なサポートで富山に足を踏み入れたのは
2012年の晩秋...紅葉が始まり、立山連峰は雪に覆われ始める頃だった。
そこからいくつかの仕事が広がり、この2年半の間に富山に通った回数は、すでに35回...


立山連峰の雄々しさに...富山湾の深い瑠璃紺色に...その間の斜面に広がる田園の季節ごとに変わる色に...魅了され続け
四季を通して、美しい景色のなかを縦横に走り回ってきた。
地元の人たちとも交流し、富山湾の幸を堪能し、酒を酌み交わしてきた。
これまで馴染みのなかったこの北陸の土地を、
第二の故郷と思えるほど、好きになってしまったのだった。



それは、図らずも宮本先生が北日本新聞に、この小説を連載してきた期間と一致していたのだった。
そのことを知ったのは、連載が始まってから随分後のことであったし、新聞を購読することもできなかったので
書籍になって出版されるまで、読むのは待つことにした。


宮本先生にとって、富山は少年時代の一年間を過ごした懐かしい土地であり
芥川賞を受賞した『蛍川』の舞台でもあった。
エッセーにも度々書かれているし、『流転の海』シリーズ第四部『天の夜曲』の舞台でもある。
富山を旅しながら、宮本文学に通ずる風景の欠片を、常に追い求めて拾い集めてきたのだった。


そして、『田園発 港行き自転車』は、4月10日に発刊された。
時を同じくして、富山の越中八尾を舞台とした時代小説『潮音』が、「文学界」4月号から連載され始めた。
富山のどこが舞台になるかも知らずに歩いてきた30回余りの旅...
読んでいて、路地の一つ一つまでが鮮明に記憶のなかから立ち上がってくる。
先生も、あの鉄道に乗り、あの街を、あの路地を歩かれたのだ...


昨年、富山の客先は外資系企業に買収され、状況は大きく変化して富山に行く機会は減ってしまった。
まさに、この小説に出会うために、富山に通っていたとしか思えないのである。


5月31日、富山で宮本先生の出版記念のご講演がある。
ファンクラブである「テルニスト」のメンバーも多く参加されることになっているが
残念ながら、ここに出席することはできない。
しかし、どこに居ようとも、心はいつも先生と共にあるのだと思っている。


Facebookの「テルニスト」のページに、
『潮音』の舞台となる八尾の写真を掲載させていただいたところ
宮本先生から、直接お褒めのコメントをいただいた。
それだけで充分である。


講演会の大成功...そして、この小説が一人でも多くの方に読んでいただけることを
横浜の地でお祈りしています。


みやもとてるせんせい、ぼくはせんせいのことがだいすきです。
せんせいのしょうせつがだいすきです。
ぼくのことをすきですか? ぼくのことをすきになってくださいね。