「YUKIGUNI]をめぐる出会い 井山計一さんのこと2

酒田には仙台から車で向かうことにした。
夜遅めの時間に仙台国分町のホテルに入り
そのバーに向かう前に、居酒屋で食事をした。
カウンターで地元のお客さんに声をかけていただき
楽しい時間を過ごす。


BAR『門』は昭和24年の創業…
あのカクテル「雪国」誕生秘話として、創業者の長嶋秀夫さんが登場する。
「雪国」は東北大会では入賞したものの一位ではなかった。
全国大会の前に、井山さんはこの長嶋さんの元でカクテルを作る練習を積み重ねる。
その時、長嶋さんが当初グラスの縁に飾ってあったミントチェリーを
グラスの底に沈めてはどうかとアドバイスしたのだった。
全国大会で優勝などできると思っていなかった井山さんは、
発表の前に早々とバーコートを脱いで発表会に参加していて
優勝が自分とわかって、慌ててスーツのまま舞台にあがったという…

今は二代目が後を継いでいる『門』は、東北最古のバーらしく店内は別世界
重厚な木彫りの調度品が並び、タイムスリップしたような気分になる。
二代目の長嶋豊さんも昭和のバーテンダーを絵に描いたような方だった。
歩き方、ボトルの開けかた、お酒の注ぎ方、グラスの拭き方…一挙手一投足がすべて美しい。
しゃべり過ぎず、そして決して笑わない。
それでいて、とても居心地がよいのだ。
ここで誕生したと言ってもいい「雪国」をいただき、
二杯目は、この店の一番のおすすめというモスコミュールをいただきながら
映画のこと…井山さんのことなどとりとめもなく話して…
深夜になって客が増えてきたのを潮時に店を出た。

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映画『YUKIGUNI』には、この長嶋豊さんも証言者として出てくるのだが
映画が始まって一番驚いたのは、最初に証言者としてスクリーンに映ったのが
大阪キタ新地のバーUKのマスター荒川さんだったこと…
UKには、つい数か月前に偶然行ったことがあったからだ。
その前日、倉敷に泊まって飲み歩いているうちにFB友達からコメントがあって
ONODA Bar に行った。
(その時のブログ⇒ 倉敷川の紅葉 - ムイカリエンテへの道

その時、マスターの小野田さんから紹介されて翌日行ったのがUKだったのだ。
荒川さんはサラリーマンで、全国を出張している間にBARに魅せられて
定年後に退職金をはたいて新地でバーを始められた。
新地で、サラリーマンでも気軽に入れるバーをやりたいというのが彼のコンセプトで、
それにしてはマニアらしく、サラリーマン時代に買いためてきた珍しいウィスキーがずらりと並ぶ。
その日は他に客もおらず、ウイスキー談義をしたのだが
「雪国」の話題は一切出なかった。
全国のバーを知り尽くした荒川さんも、やはり井山さんに魅せられた一人だったのだ。
バーには不思議な出会いがあり、思い出に残る。

ふと、初めてバーに入った日の思い出がよみがえる。
それは18歳のとき、高校を卒業して大学に入る前の長い春休みに
高校時代の友人に誘われて男4人で人生初のスキーに行った。
万座温泉の民宿に泊まり、温泉は近くのプリンスホテルまで入りに行った。
温泉を出てきた後に、K君に誘われてホテルのバーに入った。
追い出されはしないかとこわごわ足を踏み入れたが
K君は慣れているらしく、カウンターに座ってジンフィーズをオーダーした。
アルコールなど飲んだこともない僕は
カクテルの名前など知るわけもなくK君と同じものを頼んだ。
最初の一口を飲んだ瞬間 なんだか自分が大人になった気がした。
その日に何杯か飲んだのか、翌日も行ったのかよく覚えてはいないのだが
バイオレットフィーズとカカオフィーズというカクテルを飲んだのは覚えている。
学費を稼ぐために工場でアルバイトをしていたので少しばかり金をもっていたのもあるが
その後は、学費やら生活費を稼ぐのに必死な学生生活が始まり、
スキーに行くこともバーに行くこともなくなった。

社会に出てからも結婚が早くてずっとぎりぎりの生活だったから
バーなど行こうとも思わなかった。
再びバーに行くようになったのは35歳くらいのとき
10年前に亡くなった同僚のM君が連れて行ってくれた神戸のバーが始まりだった。

明日井山さんにお会いしに行く。
お忙しいのに電話をしては悪いと思いながら電話で明日の営業を確認もした。
60年…無数のカクテルをカウンターに差し出してきたあの指先をみるために…