ポートライナーに乗って...

カーテンの隙間から、白み始めた空が見えたので、
起き上がって窓辺に行くと、ポートライナーが港の方向に走っていくのが見えた。
ふと、朝の海が見たくなって慌てて着替え、ホテルを飛び出した。


早朝の神戸港を見下ろしながら、無人の電車はゆっくりと走っていった。
日の出の時刻を過ぎていたが、東の空は雲に覆われていた。
終点の神戸空港駅のホームから海を眺め、そのまま折り返しの電車に乗った。

最初の橋を渡り始めた瞬間、雲の間から射した一条の光を見て、
慌てて次の駅で降りると、港に並ぶキリンの肩ごしに、太陽がその輪郭を現した。

昇りゆく太陽は、空を染めていった。
この色だ… 久しぶりに見た、旭日のこの色…
いのちを昂らせる、この美しい色に
どれほど励まされてきたことか…

海も同じ色に染まっているはずだったが、建物に遮られてそこからは海は見えなかった。


海を見るために、再び三ノ宮行きの電車に乗り込んだ。

電車の窓からポートピアホテルが視界に入った刹那
不意に10年前の夏、この近くの病院に来た日の記憶がよみがえった。


仕事でお世話になったH先生が、入院されたと人伝手に聞いて、
見舞いに来たのだった。
H先生は、ある技術を学ぶため買った本の著者だった。
もっと詳しく知りたいことが多々あり、出版社に電話をして著者に連絡をとった。
会って教えを請いたいという一読者の依頼を、先生は快く受けてくださった。
神戸の大手企業を定年退職されて、顧問で会社に出ておられたが
自分と会った時には末期の癌と診断された直後だった。
杖をついて三ノ宮駅までいらしてくださり、
ターミナルホテルの喫茶店で著書についての質問に丁寧に答えてくださった。
その後も交流は続き、先生のご指導のもとで、いくつかのプラントを組み上げた。
会社からの謝礼をお支払いしようと申し出ても、一切受け取ってくださらなかった。
横浜の病院で手術を受けることになったときは、新横浜から病院までの送迎もさせていただいた。


ポートアイランド病院に入院されたのは、脊髄に癌が転移して下半身不随になったためだった。
そのことを知った翌日、三重の単身赴任先から、神戸に駆けつけた。
突然見舞いに行った私を見て、先生はにっこり笑って、ご自分は何事もなかったように
「仕事は順調ですか?」と聞かれた。
こんな状況で、仕事の話をするつもりはなかったが、あれこれと仕事のことを聞いてくださり
アドバイスをしてくださった。
奥様が横で心配そうな顔をされていた。
携帯にもひっきりなしに仕事の相談らしき電話がかかってくる。
ひとつひとつメモをとりながら、懇切丁寧に答えていらっしゃる先生の横顔を見ながら、
なんとすばらしい人だろうと、心から感動し、尊敬した。
「頑張りなさい」と、笑顔で見送ってくださったのが、最後の別れになった。
それから間もなく、亡くなられたのであった。


ポートターミナル駅で電車を降りて、海沿いの道を歩きながら、
H先生との短い思い出をたどった。


橋を渡って視界が開けると、そこには鬱金色の波がゆらゆらと揺れて光っていた。