紅に染まる

ゆらゆらと波立つ清流の水面が、
血を流したような深紅に染まっていた。

紅葉の盛りを過ぎたくらがり渓谷…
僕はひとりになりたくて、歩道を逸れた渓流伝いに森の奥へ奥へと歩いていった。
悩める一人の友を想いながら...
傾斜が緩やかになったそのとき
ふと足元にその血の海を見て足を止めたのだった。


打ちひしがれて悩み抜いてそしてやり場のない悲しみに暮れる
その友の心がそこに映し出されているように思えた。
臆病な僕は、彼になんと声をかければよいのかもわからないまま沈黙し
ただ彼の痛みが過ぎ去ることを祈ることしかできなかったのだ。

僕は、大きな岩に腰を下ろす。
頭上には、秋の深い蒼空を覆い隠すほどの紅葉が拡がっていた。
水面に映しだされていたのは、無数のいのちの悲しみであった。
その悲しみは、生きていることの悲しみだろうか...
それとも死ぬことへの悲しみだろうか...

紅い水面にほつりほつりと紅い葉が落ちては流れてゆく
生と死が...悲しみが... とめどなく降りしきっていた。
そして僕の胸のなかには、あの友のそしてあの友の悲しみが降りはじめた。

 僕にはある。僕にはある。僕にはまだ嘆きがあるのだ。僕にはある。僕にはある。
僕には一つの嘆きがある。僕にはある。僕にはある。僕には無数の嘆きがある。
(中略)
 一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。
僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ……。
  原民喜『鎮魂歌』より

若き妻を病で亡くし、そして原爆で奇跡的に助かったものの家族を亡くし
そして無数の死を眼にした原民喜は、
自分の生の深みに導いたのは、死者たちの嘆きであると詠う。

ああ、この生の深みより、あおぎ見る、空間の荘厳さ。
幻たちはいる。幻たちは幻たちは嘗て最もあざやかに僕を惹ひきつけた面影となって僕の祈願にいる。
父よ、あなたはいる、縁側の安楽椅子に。母よ、あなたはいる、庭さきの柘榴のほとりに。
姉よ、あなたはいる、葡萄棚の下のしたたる朝露のもとに。
あんなに美しかった束の間に嘗ての姿をとりもどすかのように、みんな初々しく。
 友よ、友よ、君たちはいる、にこやかに新しい書物を抱かかえながら、
涼しい風の電車の吊革にぶらさがりながら、たのしそうに、そんなに爽やかな姿で。
 隣人よ、隣人よ、君たちはいる、ゆきずりに僕を一瞬感動させた不動の姿でそんなに悲しく。
 そして、妻よ、お前はいる、殆ど僕の見わたすところに、
最も近く最も遙かなところまで、最も切なる祈りのように。

死者よ、死者よ、僕を生の深みに沈めてくれるのは...
ああ、この生の深みより仰ぎ見るおんみたちの静けさ。
 僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。
堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。
嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失った僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。

 明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀さえずるだろう。
地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもってそこを通りすぎるだろう。

   (前掲書)

人はみな心の底にそれぞれの悲しみを抱きしめながら生き、そして死んでゆく。
胸をえぐられるような悲しみこそが、生の深みを垣間見る道標であり
一人の人間を美しく彩るただひとつの要因なのだ。
美の底に眠るものは、悲しみだけなのだ。


だから悲しみに背を向けるのはやめよう
僕は僕の悲しみにまっすぐに向き合って、そして祈るのだ。
そして友よ... 打ちひしがれて眠れぬ夜があることも、僕は知っている。
しかし、その悲しみこそがきっと君のうえに美しい花を咲かせる。
いのちの中から咲く花は、誰人も手折ることはできないのだ。

渓流に沿って歩きはじめたとき
何かに呼ばれたような気がしてふと見上げると
まっ白な山茶花の花が恥じらうような眼差しで、こちらを見おろしていた。

僕は誘われるままに森の奥へと歩みを進めていった。



おまけ
翌朝の浜松の日の出