鳥海山 Ⅱ  南蛮居酒屋やぐ

鶴岡に入った頃にはもう日が落ちていたので、19時を回っていたと思う。
月山道路を抜けて庄内平野に入ったときに、遠く田園地帯の彼方に鳥海山が見えたが、先を急いでいたので、一瞥しただけで通り過ぎた。
今夜はあのバーに行くと決めて来たのだ。

南蛮居酒屋『やぐ』の話を聴いたのは、3月のこと…
鶴岡の商店街にあるバー『ChiC』にぶらりと入って、マスターと話しているなかで
また鶴岡に来ることがあるなら『やぐ』さんには行かれたほうが良いと薦められたのだった。
ところが
6月18日22時22分 最大震度6強の山形沖地震が発生したのだった。

たまたま出張が決まっており、鶴岡に宿はとってあったが、地震からまだ1週間…
鶴岡の街はいったいどうなっているのか…『やぐ』のお母さんは無事だったろうか…
果たしてお店は開いているだろうか…
まだお会いしたこともないのに電話で確認することもできないまま
恐る恐る店の前まで行ってみた。

明かりが灯っていたので、ほっと胸をなでおろして、古びた木の扉を開けた。
老婆がこちらに背中を向けて客席に座って店の奥のテレビを見ていたが
ドアが開いた気配で急いでスイッチを切って振り向き「どうぞ、お入りください」と言った。
彼女は、真っ白な髪をきちんと束ね、男物のシャツに棒タイを締め、
男性のバーテンダーのようなスタイルを決めている。
「お好きな場所におかけください」と言われ、誰もいないので長いカウンターの中央にかける。

薄暗い店内にはボトルが整然と並べられている。
地震の影響は感じられなかった。
最初にかかったBGMはラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ
  (この曲 ↓)
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そこはタイムスリップに嵌ったような異空間であった。

手書きのメニューには、数種類のカクテルの名前が書かれていたので
どれにしようかなと手に取ると
「お兄さん 今日はひゃっこいのしかないの。」と一言
そもそもお酒はほとんどひゃっこいけどなぁ…と思いつつ「いいですよ」と応じ
再びメニューに視線を落とす。
彼女は、黙ってアイスピックで氷を砕き始める。
作業中に声をかけてはいけないと思い、彼女の手の動きを見ていると
砕いた氷を銅製のマグカップに入れて、カクテルを作り始めた。
「え?」と思っているうちに「はいどうぞ」と言ってカクテルをカウンターに置かれた。
「いまはこれしかできないの」と出てきたカクテルは「スカイボール」
ウォッカベースでトニックウォーターを入れて、レモンを絞ったものだ。
自転車で転んで手を怪我してから、シェーカーは振れなくなったという。
氷を握る左手にサポーターを巻いていて、いかにも痛そうだ。

どうも耳がかなり遠いらしく、こちらの話はほぼ聴こえていない。
伝えたいことは大きな声で言うが、あとは彼女の話を聴くことにした。

矢口孝子(こうこ)さん 83歳
この店をご主人と始めたのは1965年というから、もう54年目ということになる。
ご主人は30年前に亡くなられ、そこからは一人でこの店を守ってきた。

54年… 29歳から83歳まで、ずっとここに立って居られるのだな。
50代でご主人を亡くされてからは、お一人で…
すごいことだな。

『ChiC』のマスターが、この店を鶴岡の誇りですと言われた意味がわかる。

カウンターには、法被姿の壮年の写真。
「ご主人ですか?」と大きな声で聴くと、これまでの想い出話が始まった。
長い年月のことをいかにも楽しそうに話されるお顔が素敵だ。
先日の地震は大丈夫だったのかと聴くと、ボトルは一つも落ちなかったそうで
ここを作った大工さんには感謝していると何度も仰った。
二時間ほど、楽しい話しをうかがっていたが他に客は来ない。
毎日自転車で通われているというので、あまり遅くなってはいけないと思い店を出た。

別れ際、何故か握手をしたいと思って「いいですか?」と聴くと、右手を差し出された。
ご高齢だし、手を痛めていると聴いていたので、そっと手を握ると83歳とは思えない
すごい力で握り返してくださった。
長い長い歳月を一人で闘ってこられた人の手だった。
頑張るんだよ!と言われた気がした。

     *

バーの扉が閉まると、現実世界に戻ったような気がした。
あれは夢だったのではないかと…
空には半分欠けた月が煌々と輝いていた。


それ天地は万物の逆旅(げきりょ) 光陰は百代の過客(かかく)なり

(語訳)そもそも天地は万物を迎え入れる旅館のようなもの、
    光陰は永遠の旅人のようなものだ、
    そして人生とは夢のようなものである。
 李白「春夜桃李園に宴するの序」

森敦『鳥海山』光陰の章の冒頭に引用されている一文である。

この章は、背負い商いをする老婆の話である。
大きな行李に野菜や菓子などを入れて、街から街へと売り歩く老婆
弟の家の二階に間借りして、つましい生活を送っている。
「私」は各地を渡り歩きながら、たまたまここに下宿して、
襖一枚隔てた部屋に棲む老婆と親しくなる。

夏の暑い盛り、蚊の大群を蚊帳でしのぎながら毎晩話しをするのだが
ある日、大阪に奉公に行った娘に鶴岡で店を世話してやるという話をもらい、娘に手紙を出す。
老婆は、読み書きができないので人に頼むのだが、娘からの返事も読めない。
娘は帰りたいが帰れない事情ができてしまっていた。
「私」は娘宛の手紙を書くことを頼まれたが、娘の帰りを楽しみにいしている老婆にはそれを言えないまま、
それでも娘の事情も考えて、手紙にはこちらは大丈夫だから帰らないでいいと返事を書く。

なにげなくよそおおうとしながら、わたしは言いようのない憤りに、
ほとんどおのれを制しきれなくなって来ました。
が、それがいったいなにに対するものなのか。問おうとしてもわからいのです。
それなりにわたしも口をつぐんでじっとしていると、ばあさんの蚊帳から大きなイビキが聴こえてきました。
(中略)
スタンドを消すと、部屋は月の光でかえって明るくなって来るようです。
   森敦『鳥海山』光陰

何も知らずにきつい行商の疲れで、いつしか寝てしまった老婆の姿が切ない。

ふと見ると、蚊帳を透かして来る月光の中に、蚊が一匹飛んでいる。
外を飛び交うあの無数の蚊の中から、ばあさんと一緒に紛れ込んできたのでしょう。
しかし、こんなか細い蚊でも、蚊帳の中に紛れ込むと結構悩まされるのであります。
しかし、そっと起き上がって、両掌を合わせながら手を伸ばして行くと、蚊はすうっと見えなくなる。
あきらめて横になると、蚊はもとのように、蚊帳を透かして来る月光の中を飛んでいるのです。
なんだか、月光を求めながら、押し流されては戻って来ようとでもしているようであります。
が、蚊はひとつところを飛んでいるので、涼風立った夜風に蚊帳が揺れ、透かして来る月光が微妙に動くからそう見えるのかもしれぬ。
いずれにしても、月光の中を見えつ隠れつしている、その一匹の蚊を見ていると、喧しい蛙の声が遠のいて、ときには全く聞こえなくなるのです。
頭が冴えて来て、なかなか眠れそうにも思えなかったが、それがもう夢路だったのかもしれません。
  (前掲書)

一匹の蚊を、こんなにも美しく表現できるなんて…

人間もまた、この一匹の蚊のようなものだなと思う。
自分も、さっき別れた矢口さんも… 
みんなそれぞれの光を求めてよるべなく月光の中を飛ぶ蚊のようなものだ。


街頭のない細い路地に入ると、月光の明るさが増したように感じた。
ふと、自分が一匹の蚊になって
『やぐ』の薄暗い照明の中を飛んでいる姿を思い浮かべた。
しあわせな夜だったなと思った。