友人

西浦海岸の夕暮れ

西陽に照らされた錆色の街並みに導かれるままに 僕はその海岸に向って車を走らせていった。 街並みが切れて港に出ると、 帆を降ろしたヨットのマストの間にすでに春の太陽は沈み始めていた。 鳥たちは獲物を追うのをやめて、養殖網の竿の上で羽を休め 仕事帰…

大事な友と...

伊勢湾岸道から桑名に入った入ったあたりから雨になり、員弁川に沿って北上していくうちに、霙が混じりはじめた。 仕事を終えて建物から出てくると、それは吹雪きとなって吹き荒れ、鈴鹿山脈の稜線さえも見えなくなっていた。 三重県の天気予報は晴れだった…

七年目の桜

4月にしては少し強すぎる陽射に背を向けるように、八重桜がうつむいて咲いていた。公園には多くの家族連れが来ていて、子供たちが芝生の上を元気に走り回っていた。あの日も、そうだったな... その春... 入退院を繰り返していたM君が、生死の間を彷徨う瀕死…

常滑の夕景

常滑の旧い街並みのなかの狭い道を抜けると、海岸に出た。 遠浅の伊勢湾は、強い西風に煽られて荒れていた。 懐かしい眺めだな... 20年ほど前、メーカーの技術営業として全国を走り回っていた頃、 この地域の醸造関係の会社にコネクションのある大五郎さんと…

二人の先輩と...

3月15日 大五郎さん 地下鉄の伏見駅で大五郎さんと落ち合った。 63歳になるというのに、相変わらずカッコいいオジサンだ。 今週は豊田で講習...とFacebookに書き込んだら 半田からわざわざ名古屋まで会いに来てくれた。 このまえ半田で飲んだばかりなのだが.…

行きずり

磨りガラスの引き戸から、顔だけ出すと おかみが、お客に頼んで席をひとつ空けてくれた。 神戸の下町...新開地の焼き鳥『八栄亭』 10人ばかりしか座れない狭い店内は、今夜も常連客で賑わっていた。 去年の4月に一度だけぷらっと立ち寄っただけなのに 「この…

津波のあとに...

碧く美しい海が、静かに横たわっていた。 壊れたままの校舎の窓枠が、それを一枚の絵画を縁取る額のように見えて 過去と現在が...現実と非現実が...生と死が... 意識のなかで混乱してめまいを感じた。 真っ黒な魔物に豹変した海は、海辺の街を一瞬にして飲み…

苦悩をつき抜けて

春を探しに野に出た。 厳しい寒さのなかで震えながら闘う友に 春の訪れを知らせたかったから... 冬は必ず春になることを、思い出してもらいたかったから... しかし、二月の枯野に色はなく、花の蕾も固く閉じて震えていた。 諦めて帰ろうとしたその時、住宅街…

くちなしの色

千葉の客先にプレゼンに行った帰り、銀座三越に寄り道をすることにした。 三重の物産展で、友人の藍さんが草木染の作品を出品されているのを思い出したからだ。 彼女と出会ったのは8年前... 鳥羽の水処理施設で2億円の案件を受注して 工事の工程管理から、元…

続・消えゆくもの 消えざるもの

「富山も雪が少なくなりましたなぁ」と、隣に座っていた客が呟いた。そして、名古屋から来たというその人は、昭和38年の豪雪のことを語り始めた。記録によれば、1月19日に降り出した雪は、一週間余り降り続け富山市内では308cm 高岡市では370cmにも及んだ。…

フェルディナンド・ホドラー展

スイスの貧しい家庭で長男として生まれた。 8歳で父と弟2人を亡くした。 14歳で母を亡くし、その後次々と兄弟を亡くした。 少年は、家族の遺体を貧窮院から荷車で運んだ。 そして、天涯孤独となってしまった。 彼は、どれほどの死を幼い眼でみつめてきたの…

善き人のつながり

53歳の誕生日は、通天閣のちかくにある安ホテルで迎えた。 低い雲が空を覆っていた。 大阪に泊まったのは、宮本輝先生のファンクラブ「テルニスト」のオフ会に出席するため うまいことに金曜日に出張が入ったので、そのまま大阪に留まった。 梅田で買い物を…

ブルー・ライト・ヨコハマ

待ち合わせには少し早かったので、 海沿いの道を歩いていくことにした。 雲の隙間から一瞬射し込んだ夕陽が、人々の顔を朱く染め 光った波間でボラが跳ねた。 灯り始めた街のあかりを遠く眺めながら税関の横を抜けて駅へ向かった。 K君の呼びかけで、横浜港…

妻籠宿の想い出

蒲郡から諏訪に移動する途中 国道19号を走りながら、ふとSさんの顔を見たくなり 国道から少し東に入った場所にある妻籠宿に寄った。 ここは、旅人ムイカリエンテの原点の場所である。 初めての一人旅は、大学一年生の夏休み 大学生になったら、独りで旅をす…

悟浄歎異

すごい男がいるという噂は聞いていた。 何度か顔を合わせたことはあったが、話したことはなかった。 トランペットの演奏家であることは知っていたが 他にいくつもの顔を持つという...何者だかわからなかった。 自宅が近かったのだが、いつの間にか姿を見なく…

最終日 京都→大阪→滋賀→神奈川

カーテンを少し開けて寝たので、眩しい陽射しで目が覚めた。 窓の外を見おろすと、桂川の水面が光っていた。 出発まで、まだ2時間あるので、散歩に出ることに... しかし、ホテルを出ると7時前なのに既に暑い これでは長時間歩けないなと思って、天龍寺の脇を…

知多半田の夜〜御射鹿池

連休明けから、機材を積んで、4日間の長距離ドライブ 愛知→長野→新潟→大阪 地図上では1800km余の旅 22日は、午後、相模原に立ち寄ってから愛知まで移動 トラックを停められるホテルのチョイスは限定されるので、ホテル探しが面倒 とりあえず、先日一度泊まっ…

現代アート巡り

K君に誘われて、先輩のNさんも伴ってここに来た。イベントでもなければ、きっと来ることはないような山間の村冬は5mもの雪に閉ざされてしまう豪雪地帯 ここで、2000年から3年に一度、大地の芸術祭が開催されてきた。広大な村の所々に、100以上の作品が点…

海岸列車に乗って...

この電車に乗ったのは、何度目だろう 前回この電車に乗った時は、一面の雪景色だったな... 新潟での仕事を終えて、乗り込んだ信越線の窓の外には どこまでも広がる田園が流れていった。 鞄に放りこんできた『ドストエフスキーの生活』のページをめくる...ド…

キキョーヤ テレビロケ

朝から車を飛ばして小諸へ... パン工房「キキョーヤ」では、たまたまテレビ取材が入っていた。 販売先のロケに出ていく店長のHanaさんを見送り、 揚げたてのカツサンドをいただく。 イートイン用で、少し赤みの残った揚げ方...やわらかくて美味しい。 パン屋…

独り飲みの愉しみ

富山に着いたのは10時過ぎ... 客先との打ち合わせが予定より2時間ほど後ろにずれたので、 それまで5時間ちかくあった。 松川の桜を観たかったが、満開の後の強風と雹で散ってしまい。 花はほとんど残っていないとのこと... (去年の松川 → https://plus.goog…

六義園 枝垂れ桜ななたび

日記をめくってみたら、 六義園の枝垂れ桜に逢いにきたのは、これで七度目だった。 今年は、違うところに行こうと思っていたが、ふと思い立って... またここに来てしまった。 風に揺れる、枝垂れ桜のしなやかさが好きで、各地の桜を巡ってきた。 ことに、昨…

井上洋介図鑑展

まんさくの花が咲き始めていた。 午前中、幸田(愛知県東部)で仕事を済ませ 稲沢市(名古屋の北側)へ移動.. アポイントの時間が5時間も空いたので、途中刈谷市美術館に寄り道 Aさんが先日FBに投稿されていた『井上洋介図鑑展』 井上洋介という人はまったく…

17年...

先日FBで再会したFさんの呼びかけで、飲み会@溝の口 クリエイター系の人ばかりの中に、なぜかムイカリエンテ... しかも、最近まで近所にいたK君以外は、17〜8年ぶり K君Fさんは、地元で知り合った友人であるが あとの3人は、Fさんの薦めで参加したある…

「羽根屋Vintage2010」

「ムイカリエンテさんは、いっつも美味しいものを食べて、ズルい!」 と...よくご批判をいただくが、そんなことはないのである。 普段は、極粗食... たま〜に美味しいものをいただいているのだけれど ここに書くと、いつも食べているように見えるので... 何…

お正月ダイジェスト

元旦は実家 2日はツレの実家 これは、毎年の恒例行事 10歳はなれた弟は、仕事が超多忙なため 今年も会えないのかな~と思っていたら、実家に不意に現れ 2年ぶりに3人兄弟がそろった。 某新聞社で記者として働いている弟 今は文学の担当だそうで... 作家等にイ…

新たな闘いへ...

平塚に住む元同僚のKさんから先日連絡があり、 Bar Scotch Catが、 年明けからしばらく休業に入ることを教えてくれた。 休みに入る前に、T子さんにお会いしておきたいと思い Kさんに連絡して、 平塚のもう一人の友人ムイカリエンテ3号のH君も誘い 仕事納…

花の降る午後

新神戸駅から北野の異人館街へ続く坂の途中にある そのフレンチレストランに 息を切らしながら辿り着いたときは、 約束の時間を2分ほど過ぎていた。 築100年の洋館を改装した老舗のレストラン 「セントジョージ・ジャパン」 上品なクリーム色の壁に、庭の紅…

富山湾の魚@『桜亭』

富山でレンタカーを借りて、 直江津で上司を拾い、 妙高の客先へ... そして、富山まで戻る250kmのドライブ 富山の空も青く、海も静かだ。 富山のこんな空は今のうちだけだな... 夜はD氏お薦めの『桜亭』へ... D氏と出会ったのは、今年の7月のこと... いつ…

大学後援会の友と

息子の通っていたK大学の後援会に関わって6年半 全国各地の後援会の役員や大学の教職員の方々ともずいぶんと交流を持ってきた。 基本的には卒業をもって役員は終わりなのだが 数年は顧問という立場でかかわらせてもらっている。 そんな数年の活動のなかで交…