落柿舎

濡れた棟門に、百日紅の花が散り積もっていた。
柿の実は未だ青く、
落柿舎の濃い緑の中に色を添えていたのは百日紅ばかりだった。


嵯峨に遊びて去来が落柿舎に到る。凡兆共に来たりて、暮に及て京に帰る。
予はなほ暫くとどむべき由にて、障子つづくり、葎引かなぐり、舎中の片隅一間なる処伏処と定む。

芭蕉がここで嵯峨日記を記したのは、奥の細道の長旅を終えた一年余り後のこと
元禄四年旧暦四月十八日から五月四日まで(今の暦で五月二十日から六月初旬)
弟子の去来の草庵を借りて独り過ごしたのだった。

夜半から降っていた雨は止んで、昨日までの暑さは少しやわらいでいたが
空は未だ雲に覆われたままだった。
雨の記述が多いから、今日のような曇り空の日が多かったのかな…

雨がまたぽつぽつと落ち始めたので、次庵の茅葺きの軒下に身を寄せる。
ふと頭上を見上げると、そこに長い花枝を差し出すように百日紅の花が
雨に打たれながら、寂しげに咲いている。


(四月)廿二日  朝の間雨降。けふは人もなく、さびしきまゝにむだ
書してあそぶ。 其ことば、
「喪に居る者は悲(かなしみ)をあるじとし、酒を飲む者は楽(たのしみ)あるじとす。」「さびしさなくばうからまし」と西上人のよみ侍るは、
さびしさをあるじなるべし。又よめる
  山里にこは又誰をよぶこ鳥
  獨すまむむとおもひしものを
獨住むほどおもしろきはない。長嘯隠士の曰く、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と。
素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又、
  うき我をさびしがらせよかんこどり
とは、ある寺に独居て言いしくなり

寂しさの中で心を研ぎ澄まそうとする芭蕉の心が
夏の終わりのこの花とふと重なる。

一日花のこの花は、咲いては散り散ってはまた咲きながら百日余
夏の陽射しの中でにぎやかに咲き続けるが
ふと気がつけば青葉を残して散り終わってしまう。

芭蕉がここでこの花を見たとは思えないが
俳句という花を、この世に降らせ続けてきた彼は
今世のおわりを予感しながら、こんなふうに咲いていたのではあるまいか…
しかし散った花は朽ちることなく今も地上で咲き続けている。

雨があがったので、庭を一巡りして落柿舎の門を出た。

嵐山の深い緑のなかから湧き上がった山霧が
低く垂れ込めた雲に向かってゆっくりと昇っていくのが見えた。

どこか遠いところでツクツクボウシが鳴きはじめた。