苦悩をつき抜けて

春を探しに野に出た。
厳しい寒さのなかで震えながら闘う友に
春の訪れを知らせたかったから...
冬は必ず春になることを、思い出してもらいたかったから...


しかし、二月の枯野に色はなく、花の蕾も固く閉じて震えていた。
諦めて帰ろうとしたその時、住宅街の一角の公園で一瞬ふわっと薄紅色のかたまりが見えた。
急いで駆け寄ると、1本の八重の紅梅がいっせいに花開いていた。


こんなに寒い曇り空の下で...
こんなにも健気に...
これで信じてもらえる。
春は近いことを...冬は永遠に続かないのだということを...


木の下にはいって、写真を撮っているうちに、
隣の紅梅にも数輪、花が咲いているのに気がついた。
深紅の一重の花は、長いまつげを開いて、曇り空を静かに見上げていた。



厳しい冬の間に全身に溜め込んだ深紅の血液を絞り出すように
命懸けで春の訪れを告げていくのだ。
ふと、ロマン・ロランの声が聞こえた気がした。
「苦悩をつき抜けて歓喜に到れ!」

人生を美しく彩るための苦悩だったのだ。
君の苦悩も、僕の苦悩も...
歓喜にいたるための道程に過ぎない。


桜染めに使う山桜の枝は、冬を越えて花が咲く直前のものでないと染まらないという。
全身に蓄えたいのちの色を、花を染めるために一気に放出するからだ。

(染織物職人 藍さんの作品 桜染めのショール 写真を借用しました)


いまは身をかがめて闘い続けよう。
自らの裡に潜むいのちの力を信じて...
そして、友の晴れ晴れとした笑顔を思い浮かべながら家路についた。

ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)

ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)

不幸な貧しい病身な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、
世の中から歓喜を拒まれたその人間がみずから歓喜を造り出す...
それを世界に贈り物とするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す。
そのことを彼は次の誇らしい言葉によって表現したが、この言葉の中には彼の生涯が煮つめられており、
またこれは、雄々しい彼の魂全体にとっての金言であった...
『苦悩をつき抜けて歓喜に到れ!』
Durch Leiden Freude
                  ロマン・ロランベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳



もうひとつ...おまけで...
「春はいっせいに」という過去の日記
読んでおられない方へ...

http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20130319