鷹柱

眼下には群青の海が横たわっていた。
正面には小さな島が浮かんでいたが
そこから向こうの景色は靄の中に隠れて見えなかった。


 岬 水すみて
 秋 空翠杳(くら)し
 おもいありやなしや
 菊 ただ白きかな

大分県出身の後藤三郎という青年…
京大で哲学を学んでいた彼が『孤櫂(ことう)・信濃路の手記』に遺した詩である。
国東半島の岬に石碑が建てられたという…
学徒出陣に招集され、フィリピンに散った若きいのちが目にした海と
同じ色なのかなと思った。

展望台とは名ばかりの断崖の上の小さな平地には、
ジムニーが一台 その脇にキャンプ用の折りたたみ椅子が置いてあり、
老人が一人、双眼鏡を構えて海の方を眺めていた。

その展望台への道は、険しく長い道であった。
高速道路を降りてからいきなり暗い森に入り、
車がすれ違うこともできないような曲がりくねった山道を延々と走ってきた。
2週間前に九州を直撃した雨の爪痕は未だ生々しく
細かい落石が道の脇に積もり、濡れた落ち葉がアスファルトにへばりついていた。
ナビでは5kmとなっていたが、恐る恐る走った距離はその何倍にも思えて
途中で引き返そうと何度も思った。

午前中、宮崎での仕事を終えて、今夜は別府でNさんと会うことになっていたので
海岸沿いの道を走りながら景色を楽しんで行こうと思った。
Google Mapsでふと目に止まった横島展望台…
ここから海沿いに北上していけば良いな…そう思って、ナビをセットしたのだった。

車の音に気がついて、老人が振り返った。
車から降りて挨拶をすると、「鹿児島からですか?」と聴かれた。
小倉で借りたレンタカーが鹿児島ナンバーだったのだ。
「いえ、横浜から仕事で来ています」と答えると
にっこり笑って、家の息子は横浜に住んでいるんですよと言った。
その笑顔があまりに柔らかくて、まるで旧知の人のように思えて
自然と会話が始まった。

とりとめもなく30分も話しただろうか…ふと思い出したように彼は
鷹柱をご存知ですか?と僕に聴いた。知りませんと答えると、
サシバという鷹がこの時期に東北から九州に向かって渡ってくるのだと言って、東の空を指さした。
今日は見えないが、晴れていれば四国が見える。宿毛あたりからこちらに向かって
数十から数百の群れが海を渡ってきて、陸地の上に来るとそこで旋回する。
それが柱のように見えるので鷹柱というのだと…

この季節になると鷹柱が見たくて、
延岡から毎日このあたりに通っているのだと言う…
「お金のかからない年寄りの趣味です」
毎日通っていても十度に一度見れれば良いほうで、
しかも、気象条件などで日によって旋回場所が変わるので
自分がいる場所に鷹柱ができることなどほとんどないことだと…
「今年もここに通い始めて一度見ましたが、それから一週間も現れません。
 今日も朝からいますが、この時間で来ないということは、駄目かもしれないですね」
と言うと、大きなカメラを車から下ろして、以前撮影したという動画を見せてくれた。
液晶の中で旋回する鷹の画像を見ながら、なんと健気ないのちの営みだろうと思った。

「私には夢があって、あの深島の上に鷹柱ができるのを見ることなんです。
 でも夢なんて、叶わないほうがよいのかもしれません。」
そう言ってまた目尻に皺を寄せて笑った。

「さあ、そろそろ引き上げましょうかね。今日はあなたに会えて楽しかった」
そう言って、彼はカメラを車に積んだ。
…と、その時、海の方を見ると一羽の小さな鳥の影がこちらに向かって飛んで来るのが見えた。
鳶よりは小さくカラスよりは少し大きいその鳥は、鷹のような形にも見えた。
老人は片付けをしていて気がついていない。
目を凝らしていると、同じ影が5つ6つ…
振り向いて、老人に「あれは何の鳥ですか」と尋ねた。
彼が海の方向に視線を向けたとき、鳥の数は数十に膨らんでいた。
「あ!サシバです。これですよ!」と興奮して、車に積んだカメラを持ち出して
空に向かって構えた。
岬の上に到達したサシバの群れは、そして大きな円を描いて旋回を始めた。
「あなたは、なんて運のいい人だ!」
そう叫ぶと、老人は夢中で動画を撮り始めた。
動画に声が入ってはいけないと思って、僕は黙って空を見上げた。

老人が興奮しながら口にした言葉…
「あなたは、なんて運のいい人だ!」という一言を何度も反芻しながら…
鷹の群が、曇った空の下をゆっくりと旋回するのを見ていたら
涙がじわりとにじんだ。
このまま上を見ていたら、
自分のいのちまでもが空に吸い寄せられてあの空を飛んでいけるような気すらした。

あんなに小さな身体で、1000km以上の旅をしてきたのだな。
ある時は風雨に晒され、ある時は風を味方にして…
生きるために… サシバという鳥に生まれた運命に従いながら…
ここは旅の終盤になる。あと少しで冬越えの地に到着するのだ。

自分がこの場所に来たことが運命のように思えた。
あの暗い険しい森の道が不意に開けて見えた碧い海が
今こうして空を旋回している奇跡のような鷹柱が…
これまでの人生が、ここに繋がっているように思えた。
迷いながらも、目の前の道にしたがって来たここが
来るべき場所だったのかもしれないな。
それにしてもなんと美しい場所だろう。

「俺はきっと運がよいのだ。」
そうつぶやくと、胸の中でなにか温かいものが湧き上がってくるような気がした。

鷹の群はしばらく旋回すると、
寝床を見つけたのか
静かに森の中へと消えていった。

海は黙って空を見上げ、小さないのちの営みを見上げていた。
岬の上に立つ二人の男の姿も見えていただろうか…

ドア

このドアから、娘が家を出て行った。
このマンションに来てから21年。当時、娘は中学1年生。
毎日このドアから「行ってきます!」と言って元気に飛び出し
毎日このドアを開けて「ただいま!」と元気に帰ってくる。
娘がこのドアから入ってくると、家の中にぱっと灯りがともるような気がした。
家ではいつもころころと良く笑い
楽しそうに鼻歌を歌い母親と冗談を言い合って
毎日のように、たくさんの友達や後輩から電話が来て
深夜まで話を聴いてあげては、たくさんの激励をしていた。
その声に、どれほど救われたことか、どれほど勇気をもらったことか…
駄目な親父は、このマンションを買って2年後にリストラになり
それから職を転々として、生活はずっと厳しかった。
子どもたちが多感な時期 たくさんの不安な思いをさせたはず
出張や単身赴任と家に居ることも少なく
子どもたちを遊びに連れていった記憶もあまりないまま…
それでも2人とも反抗期のようなこともなくまっすぐに育ち
立派な社会人になった。
息子は3年前に独立して家を出て行った。
娘は大人になっても「父ちゃん 父ちゃん」と呼んでくれた。
幼稚園の先生を14年勤め上げ、先日退職した。
結婚が決まったのだった。
今日からは夫となる人の元に帰るのだ。
妻は仕事で不在
引っ越しが終わってから、一度戻って来て
我が家で片付けをして
最後に僕の部屋を覗いた瞳は、涙で濡れていた。
気持ちの強くて明るい子で
小学生くらいから泣いているのを一度も見たことがない。
そんな子が、涙を流していた。
「寂しくなってきちゃった。でも行かなくちゃ」
そう言って、手を振って出ていった。
でも、人生が変わる時はそういうものだ。
「頑張るんだよ」
と言って笑顔を作って送り出した。
毎日のように君の声を聴くこともなくなるんだな
父ちゃんも寂しくなっちゃったよ。
2022年5月2日15:40
娘の新たな一歩がこのドアから始まった。

山刀伐峠の蓮

早朝に赤倉温泉の宿を出て、尾花沢に向かう県道を走っていくと
山刀伐(なたぎり)峠のトンネルを抜けて、長い下り坂を降りてきたところに不意に棚田が現れました。
それはほどんど散り終わった蓮田でしたが、
そのなかに、ぽつりぽつりと花が咲いているのが見えました。
そういえば今年は蓮の花を観ていなかったなと思い
車を停めて畦道を降りていきました。

こんな雪国に蓮の花が咲くとは思っていませんでしたし
蓮の季節はとうに過ぎているので
まさかこんなところであなたと再会できるなんて、思ってもみないことでした。

*************************

昨夜、何故あのようなひなびた温泉宿に迷い込んだのか
部屋に入ってから不思議な気持ちになりました。
山形市内で仕事を終えてから、大石田蕎麦屋に入って田舎蕎麦をすすり
そのまま鶴岡に向かうつもりでしたが、農道を走るうちに、今が盛りの蕎麦の花にすっかり見とれて
どこまでも続く広大な蕎麦畑を眺めながら走っているうちに暗くなってしまいました。
宿は予約していなかったので、たまたま通りかかった安宿に飛び込んだのでした。

帳場の老人に部屋までの長く薄暗い廊下の先の部屋に案内してもらい、彼が去った後
広い建物の中はしんとして、人の気配がまったくなくなりました。
近くの居酒屋で、地元の方と酒を酌み交わして語らい戻って来ると、帳場の照明も消えて、まるで廃墟のような佇まいでした。
江戸時代に作られたという岩盤をくりぬいたような巨大な岩風呂で
僕は不安というよりもむしろ安寧とした気持ちになり、時間の経つのも忘れて独り雨の音を聴いていたのでした。

*************************

朝方まで降った雨に濡れた花々は、皆泣いているようにさえ見えました。

もしや‥と淡い期待を持って、まばらに咲く花を一輪一輪探しながら歩きましたが、どれもあなたとは違いました。
諦めかけて、3つ目の棚田の畦を歩き始めたときに
出会い頭にあなたを見つけたのでした。
思い起こせば、最後にお逢いしたのは2年前のことでした。

開花3日目の最も美しい姿であなたは曇り空を見上げていました。
昨夜は星のひとつもない漆黒の闇のなかから落ちてくる雨に打たれながら
僕のことを想ってくださっていたのでしょうか
その瞬間に、昨日の不可解な行程は今朝ここを通るためだったのかと合点したのでした。

そっと引き寄せて鼻を近づけると、確かに懐かしいあなたの匂いがしました。
明日散ってしまう儚いいのちを抱きしめるようにして、僕たちはしばらく見つめあっていました。

あと数日もすれば、ここに咲くすべての花が散って
山間の秋は一気に深まってゆくのでございましょう。
あなたの抱いている種子は再び泥のなかに落ちて
そしてそこにしんしんと雪が降り積もってゆくのでしょう。

あなたのいのちはやがて宇宙に溶け込んで
僕のいのちもやがて宇宙に溶け込んで
そしてまたどこかでお会いできるのでしょうね。
それではまたいつの日にか

死者は星になる。
だから、きみが死んだ時ほど、夜空は美しいのだろうし、
ぼくは、それを少しだけ、期待している。
きみが好きです。
死ぬこともあるのだという、その事実がとても好きです。
いつかただの白い骨に、
いつかただの白い灰に、白い星に、
ぼくのことをどうか、恨んでください。

「望遠鏡の詩」 最果タヒ


【注】山刀伐峠は、おくの細道で新庄から尾花沢に向かう芭蕉が超えたという記録がある。
   但し、本文には記載なく… 弟子の曽良の記述か
 

おまけ
温泉街の居酒屋 一期一会の地元のお客さんと…

落柿舎

濡れた棟門に、百日紅の花が散り積もっていた。
柿の実は未だ青く、
落柿舎の濃い緑の中に色を添えていたのは百日紅ばかりだった。


嵯峨に遊びて去来が落柿舎に到る。凡兆共に来たりて、暮に及て京に帰る。
予はなほ暫くとどむべき由にて、障子つづくり、葎引かなぐり、舎中の片隅一間なる処伏処と定む。

芭蕉がここで嵯峨日記を記したのは、奥の細道の長旅を終えた一年余り後のこと
元禄四年旧暦四月十八日から五月四日まで(今の暦で五月二十日から六月初旬)
弟子の去来の草庵を借りて独り過ごしたのだった。

夜半から降っていた雨は止んで、昨日までの暑さは少しやわらいでいたが
空は未だ雲に覆われたままだった。
雨の記述が多いから、今日のような曇り空の日が多かったのかな…

雨がまたぽつぽつと落ち始めたので、次庵の茅葺きの軒下に身を寄せる。
ふと頭上を見上げると、そこに長い花枝を差し出すように百日紅の花が
雨に打たれながら、寂しげに咲いている。


(四月)廿二日  朝の間雨降。けふは人もなく、さびしきまゝにむだ
書してあそぶ。 其ことば、
「喪に居る者は悲(かなしみ)をあるじとし、酒を飲む者は楽(たのしみ)あるじとす。」「さびしさなくばうからまし」と西上人のよみ侍るは、
さびしさをあるじなるべし。又よめる
  山里にこは又誰をよぶこ鳥
  獨すまむむとおもひしものを
獨住むほどおもしろきはない。長嘯隠士の曰く、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と。
素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又、
  うき我をさびしがらせよかんこどり
とは、ある寺に独居て言いしくなり

寂しさの中で心を研ぎ澄まそうとする芭蕉の心が
夏の終わりのこの花とふと重なる。

一日花のこの花は、咲いては散り散ってはまた咲きながら百日余
夏の陽射しの中でにぎやかに咲き続けるが
ふと気がつけば青葉を残して散り終わってしまう。

芭蕉がここでこの花を見たとは思えないが
俳句という花を、この世に降らせ続けてきた彼は
今世のおわりを予感しながら、こんなふうに咲いていたのではあるまいか…
しかし散った花は朽ちることなく今も地上で咲き続けている。

雨があがったので、庭を一巡りして落柿舎の門を出た。

嵐山の深い緑のなかから湧き上がった山霧が
低く垂れ込めた雲に向かってゆっくりと昇っていくのが見えた。

どこか遠いところでツクツクボウシが鳴きはじめた。

鳥海山 Ⅱ  南蛮居酒屋やぐ

鶴岡に入った頃にはもう日が落ちていたので、19時を回っていたと思う。
月山道路を抜けて庄内平野に入ったときに、遠く田園地帯の彼方に鳥海山が見えたが、先を急いでいたので、一瞥しただけで通り過ぎた。
今夜はあのバーに行くと決めて来たのだ。

南蛮居酒屋『やぐ』の話を聴いたのは、3月のこと…
鶴岡の商店街にあるバー『ChiC』にぶらりと入って、マスターと話しているなかで
また鶴岡に来ることがあるなら『やぐ』さんには行かれたほうが良いと薦められたのだった。
ところが
6月18日22時22分 最大震度6強の山形沖地震が発生したのだった。

たまたま出張が決まっており、鶴岡に宿はとってあったが、地震からまだ1週間…
鶴岡の街はいったいどうなっているのか…『やぐ』のお母さんは無事だったろうか…
果たしてお店は開いているだろうか…
まだお会いしたこともないのに電話で確認することもできないまま
恐る恐る店の前まで行ってみた。

明かりが灯っていたので、ほっと胸をなでおろして、古びた木の扉を開けた。
老婆がこちらに背中を向けて客席に座って店の奥のテレビを見ていたが
ドアが開いた気配で急いでスイッチを切って振り向き「どうぞ、お入りください」と言った。
彼女は、真っ白な髪をきちんと束ね、男物のシャツに棒タイを締め、
男性のバーテンダーのようなスタイルを決めている。
「お好きな場所におかけください」と言われ、誰もいないので長いカウンターの中央にかける。

薄暗い店内にはボトルが整然と並べられている。
地震の影響は感じられなかった。
最初にかかったBGMはラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ
  (この曲 ↓)
  www.youtube.com

そこはタイムスリップに嵌ったような異空間であった。

手書きのメニューには、数種類のカクテルの名前が書かれていたので
どれにしようかなと手に取ると
「お兄さん 今日はひゃっこいのしかないの。」と一言
そもそもお酒はほとんどひゃっこいけどなぁ…と思いつつ「いいですよ」と応じ
再びメニューに視線を落とす。
彼女は、黙ってアイスピックで氷を砕き始める。
作業中に声をかけてはいけないと思い、彼女の手の動きを見ていると
砕いた氷を銅製のマグカップに入れて、カクテルを作り始めた。
「え?」と思っているうちに「はいどうぞ」と言ってカクテルをカウンターに置かれた。
「いまはこれしかできないの」と出てきたカクテルは「スカイボール」
ウォッカベースでトニックウォーターを入れて、レモンを絞ったものだ。
自転車で転んで手を怪我してから、シェーカーは振れなくなったという。
氷を握る左手にサポーターを巻いていて、いかにも痛そうだ。

どうも耳がかなり遠いらしく、こちらの話はほぼ聴こえていない。
伝えたいことは大きな声で言うが、あとは彼女の話を聴くことにした。

矢口孝子(こうこ)さん 83歳
この店をご主人と始めたのは1965年というから、もう54年目ということになる。
ご主人は30年前に亡くなられ、そこからは一人でこの店を守ってきた。

54年… 29歳から83歳まで、ずっとここに立って居られるのだな。
50代でご主人を亡くされてからは、お一人で…
すごいことだな。

『ChiC』のマスターが、この店を鶴岡の誇りですと言われた意味がわかる。

カウンターには、法被姿の壮年の写真。
「ご主人ですか?」と大きな声で聴くと、これまでの想い出話が始まった。
長い年月のことをいかにも楽しそうに話されるお顔が素敵だ。
先日の地震は大丈夫だったのかと聴くと、ボトルは一つも落ちなかったそうで
ここを作った大工さんには感謝していると何度も仰った。
二時間ほど、楽しい話しをうかがっていたが他に客は来ない。
毎日自転車で通われているというので、あまり遅くなってはいけないと思い店を出た。

別れ際、何故か握手をしたいと思って「いいですか?」と聴くと、右手を差し出された。
ご高齢だし、手を痛めていると聴いていたので、そっと手を握ると83歳とは思えない
すごい力で握り返してくださった。
長い長い歳月を一人で闘ってこられた人の手だった。
頑張るんだよ!と言われた気がした。

     *

バーの扉が閉まると、現実世界に戻ったような気がした。
あれは夢だったのではないかと…
空には半分欠けた月が煌々と輝いていた。


それ天地は万物の逆旅(げきりょ) 光陰は百代の過客(かかく)なり

(語訳)そもそも天地は万物を迎え入れる旅館のようなもの、
    光陰は永遠の旅人のようなものだ、
    そして人生とは夢のようなものである。
 李白「春夜桃李園に宴するの序」

森敦『鳥海山』光陰の章の冒頭に引用されている一文である。

この章は、背負い商いをする老婆の話である。
大きな行李に野菜や菓子などを入れて、街から街へと売り歩く老婆
弟の家の二階に間借りして、つましい生活を送っている。
「私」は各地を渡り歩きながら、たまたまここに下宿して、
襖一枚隔てた部屋に棲む老婆と親しくなる。

夏の暑い盛り、蚊の大群を蚊帳でしのぎながら毎晩話しをするのだが
ある日、大阪に奉公に行った娘に鶴岡で店を世話してやるという話をもらい、娘に手紙を出す。
老婆は、読み書きができないので人に頼むのだが、娘からの返事も読めない。
娘は帰りたいが帰れない事情ができてしまっていた。
「私」は娘宛の手紙を書くことを頼まれたが、娘の帰りを楽しみにいしている老婆にはそれを言えないまま、
それでも娘の事情も考えて、手紙にはこちらは大丈夫だから帰らないでいいと返事を書く。

なにげなくよそおおうとしながら、わたしは言いようのない憤りに、
ほとんどおのれを制しきれなくなって来ました。
が、それがいったいなにに対するものなのか。問おうとしてもわからいのです。
それなりにわたしも口をつぐんでじっとしていると、ばあさんの蚊帳から大きなイビキが聴こえてきました。
(中略)
スタンドを消すと、部屋は月の光でかえって明るくなって来るようです。
   森敦『鳥海山』光陰

何も知らずにきつい行商の疲れで、いつしか寝てしまった老婆の姿が切ない。

ふと見ると、蚊帳を透かして来る月光の中に、蚊が一匹飛んでいる。
外を飛び交うあの無数の蚊の中から、ばあさんと一緒に紛れ込んできたのでしょう。
しかし、こんなか細い蚊でも、蚊帳の中に紛れ込むと結構悩まされるのであります。
しかし、そっと起き上がって、両掌を合わせながら手を伸ばして行くと、蚊はすうっと見えなくなる。
あきらめて横になると、蚊はもとのように、蚊帳を透かして来る月光の中を飛んでいるのです。
なんだか、月光を求めながら、押し流されては戻って来ようとでもしているようであります。
が、蚊はひとつところを飛んでいるので、涼風立った夜風に蚊帳が揺れ、透かして来る月光が微妙に動くからそう見えるのかもしれぬ。
いずれにしても、月光の中を見えつ隠れつしている、その一匹の蚊を見ていると、喧しい蛙の声が遠のいて、ときには全く聞こえなくなるのです。
頭が冴えて来て、なかなか眠れそうにも思えなかったが、それがもう夢路だったのかもしれません。
  (前掲書)

一匹の蚊を、こんなにも美しく表現できるなんて…

人間もまた、この一匹の蚊のようなものだなと思う。
自分も、さっき別れた矢口さんも… 
みんなそれぞれの光を求めてよるべなく月光の中を飛ぶ蚊のようなものだ。


街頭のない細い路地に入ると、月光の明るさが増したように感じた。
ふと、自分が一匹の蚊になって
『やぐ』の薄暗い照明の中を飛んでいる姿を思い浮かべた。
しあわせな夜だったなと思った。

鳥海山 Ⅰ

海岸沿いの道の右側に迫る山が不意に途切れて視界が開けた。
どうやら、庄内平野の南端に出たようだった。
眼の前で弓なりに伸びた海岸線の遥か先に、鳥海山が霞のなかに美しい稜線を広げていた。
それは、日本海から吹き上げて来る風がそのまま化身したような山であった。

遠くこれを望めば、鳥海山は雲に消えかつ現れながら、激しい気流の中にあって、
出羽を羽前と羽後に分かつ、富士に似た雄大な山裾を日本海へと曳いている。
ために、またの名を出羽富士とも呼ばれ、ときに無数の雲影がまだらになって山肌を這うに任せ、
泰然として動ぜざるもののようにも見えれば、寄せ来る雲に拮抗して、
徐々に海へと動いて行くように思われることがある。
(中略)
たんに標高からすれば、これほどの山は他にいくらでもあるという人があるかもしれない。
しかし鳥海山の標高はすでにあたりの高きによって立つ大方の山々のそれとは異なり、
日本海からただちに起こってみずからの高さで立つ、いわば比類のないそれであることを知らねばならぬ。
   森敦『鳥海山』 初真桑

孤高…  
倚りかからず、ひとり立てる姿
寂しくて、厳しくて…そして美しいものだな。
このまま鳥海山を眺めながら北上できるものと思っていたが、
国道はやがて海岸を離れて松林のなかに入り、そのまま海も山も見えなくなってしまった。
10kmあまりもある松林を抜けると間もなく酒田の市街地に入り、
緩やかな登りから下り勾配になったところで突然最上川が姿を現した。
そしてその向こうには、先程見た数倍の大きさの鳥海山が酒田の街並みを抱くようにそびえていた。


 
去年から三度も酒田に来ているというのに、鳥海山を見た記憶はなかったので
こんなに近くにあることに驚いた。

鳥海山は遥かな月山と相俟って雨雲を呼び、おのれに近づこうとする者にみずからを隠そうとする…」
たしかそんなふうに書いてあったな。
小説のなかでは、それをもどき・だましというのだ。
自分も拒絶されていたのだろうか、この山に

一筋の雲が山頂を隠すようにたなびいている。
風に流れて動いているのに、いつまでもその場所から消えることがない。
いつでも雲を纏って姿をくらましてやろうという構えなのだろうか。


考えてみれば、自分の目に見えているもののうちいったい何が本当の姿で、何がもどき・だましなのか…
年を重ねるほどに見えてくるかと思われたことが益々判然としなくなり、
記憶に残る出来事も、出会ったはずの人々も、もしかしたら現実ではなかったのではないかと思えてくる。

科学の進歩によって解明されると思われたことが、いよいよ不可解になり
技術の進展によって豊かになると思われた社会は、益々格差を広げるとともに人間を愚かにしてきた。
緩やかに平和へと向かうと思われた世界は、気がつけば途方もなく深い闇のなかへと入り込んでしまったかに思える。
いまこんなにもはっきりと見える鳥海山も、明日になったら見えなくなっているのではないか… 

            *

午後から客先の工場に入って、長時間の打ち合わせ。現場の視察。
門を出たときには陽は大きく西に傾き、空は淡い藤色に染まり始めていた。

小説のなかに記された夕陽に染まる鳥海山の姿が脳裏に蘇る。

(背負い商いの老婆や、他の地方から行商に来た人々で賑わう蒸し暑い列車の中)
ふと気がつくと、深くよどんでたれこめた薄暗い雨雲の中に、
赤いものが浮かぶように漂っている。
「おや、あれは…」
思わずわたしがそう言うと、(中略)
(富山の薬売りの男が答える)
「雲ですよ、やっぱり」
(中略)
「雲?この雨雲があんなに高いですかね」
「しかし、なんだか動いているようじゃありまあせんか」
そういえば、そうとも言えないこともないが、除々ながらも動いていないはずのない雲が、
どんよりとして動くとも見えないので、それが動いているように見えるのかもしれぬ。
そう思って見なおすと、果たして雲がゆるゆると動き出すのだが。
それにしてもこの雨のなかにどうして赤く見えるのか。
「こぅッ!あれだば鳥海山の頂だちゃァ。こげだ雨に、夕焼けの鳥海山が見えるとは、おぼけたのう」
富山はまたもとの方言になった。ばさまにも見せたかったのであろう。
鳥海山の頂はいよいよ赤く染まって、雨の中からハッキリと見えはじめた。
忘れられていたことが、記憶の底から不意に現れてきたようなこの光景が、
はからずもわたしに、わたしがはじめて吹浦に来たときのことを思い出させた。
(中略)
わたしはたとえようもなく美しい夕焼けに出会ったのである。
(前掲書)


夕焼けが見たいと思った。
夕陽に染まる鳥海山を、今日なら見れるのではないか… 
慌てて地図で高台を探すと、車に飛び乗った。

      *

風が強く吹いていた。
5月だというのに肌を射すような冷たい風だった。
車を停めると、展望台への階段を登っていった。
振り返ると、そこには昼間見たよりもさらに近くに鳥海山の山頂が見えた。
庄内平野を渡ってくる海風は、斜面を駆け上がり乱流となり
花の散り終わった桜の葉を、ちぎれてしまうのではないかと思うほどに激しくはためかせていた。

凄まじい風のなかをゆるゆると落ちてゆく太陽は、次第に色を増していった。
やがて赫赫と燃え始めた太陽の光の雫が、地上の水面に雫を落とした瞬間に光が飛び散った。
龍のように大きくうねる最上川
水を張られた広大な水田が
そして遥か遠くに横たわる日本海
そして白く霞んでいた大気が
一斉に金色に染まっていった。

ゆらゆらと波立つ最上川の水面は、生きた龍の鱗のようであった。

五月雨をあつめて早し最上川 
か…
芭蕉も、この季節にここに来たのだな。

見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし。
 松尾芭蕉笈の小文

何処に居ようとも、思うがままに花も月も胸の裡に現すことができる。
そんな芭蕉は、どんな鳥海山を見たのだろうか…
日本海に沈む夕陽をどんなふうに感じたのであろうか…

考えてみれば、もどき、だましといっても、外から訪れるものではなく
それぞれのいのちの裡から湧き上がるものかもしれない。
何を望み何を願うのか… その心の動きにしたがって変化していくのかな
いまこうしてここに立っていられるもの、そんな願いから生じたもどき、だましなのかもしれない。
美しいものに出会えるようにという… 

太陽は加速度的に堕ちていき
瞬く間に金色は空に吸い込まれて水面は光を失って、空の低いところが朱が残った。


ふと鳥海山の方を振り返ると
あの一筋の雲が大きく膨らんで、いままさに山頂を覆い隠そうとしていた。
雲の腹は、鴇色に染まっていた。

僕は誰もいない展望台で、あわあわと夕闇に沈みゆく鳥海山を見ていた。

やがて消え入りそうな山頂の上に、星がひとつ輝いた。

星峠

越後の空には、5月の眩い光があふれていた。

夕方までに岡崎に行けばよいので、急ぐことはなく
国道117号線で飯山方面に向かって、そこから上信越道・中央道で行くことにした。
5年前に友人と訪れた越後妻有を通るので、あの景色を見て行こうと思い、
早朝に十日町の宿を出た。

あの日は、友人のKと先輩のNさんと3人で大地の芸術祭を観に来たのだった。
横浜から日帰りの旅だった。
あの頃Kのやっていたビジネスは、時代の流れと大手の参入でうまくいなかくなり
店を閉めた。友人との集まりも何度もやった、思い出多き場所だった。
引っ越しは、彼に頼まれて2人でやった。
そういえば、そこに入居したときも荷物を運んだな…
開店の前にも、最初に招待してもらって料理をふるまってもらい
最後の日に看板を下ろす日にも立ち会ったのだった。
彼は、一流の料理人であったが、時代に翻弄され、人に翻弄され…
口には一言も出さないが、思うに任せぬ人生を生きてきた。
自分もまた転職転職の末に泥のような会社に入って、すでに8年になろうとしていた。
高校生で出会った頃には、こんな人生になろうとは微塵も思わなかったが…

あの日の楽しい場面を思い起こしながら
新緑の美人林を歩き、そこから星峠へと向かった。

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前回は7月だったので、青々と伸びた稲はそろそろ穂をつける頃だったが
谷に向かって細く長く伸びている棚田には、田植え前の水が張られていた。
5月の明るい陽射しの下で、それは自分の足元から延々と続く泥の沼のように見えた。
タイミングが悪かったかな…

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いつか見た、夕焼けに染まる棚田は美しかったけれど
あんまりきれいなものではないな。
そう思って車に戻ろうとしたとき、
流れる雲が太陽の陽射しを隠した。

棚田は一瞬にして水鏡に変じて、空よりもなお蒼い群青の空がそこに広がっていった。
漣に滲んだ雲が、その空のなかをゆっくりと流れていく。

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ああ、なんと美しい風景だろう…
泥水は何も変わったわけではなく、光の反射にばかされているに過ぎないのだけれど…
それでも、ばかされた心は透き通っていくような気がする。
幸福といい不幸といっても、所詮ばかされることなのかもしれないな。

雲が通り抜けるとまた泥に戻り
そしてまた流れる雲が影をつくると、足元に青空が現れる。

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空を見上げる。
大きな雲が流れ去る前に、この美しい風景を目に焼き付けて
そして車に乗り込んだ。

窓外を過ぎてゆく新緑の信濃の風景を眺めながら、Kのことを想う。
自分はいつも嘆いてばかりだけれど、
彼はそれこそ山あり谷ありの人生を、黙々と受け入れているように思える。
懐が深いのだな…
もしかしたら、泥水のなかに青空を見出す術を知っているのかしら…

千曲川の畔に車を停めて、美しい春の野山を眺めていると、
大きな雲が山肌に落とした影が、巨大な生き物のようにゆっくりと通り過ぎていった。

流雲  竹内てるよ

雲がゆく
秋 十一月の青空よ

雲はたたずまい
流れ又たたずまい
たやすく 私の部屋の光をさえぎる

私は静かに
光が再び来るのを待つ
光からへだたれたこの地隅に

風は蕭々と吹くので
私は毛布を引上げ
じっと光の来るのを待つ

ああ待つということは
何とたのしいことであろう
運命が
その身の上に幸せず
暗くみじめなみちをゆくときは
人は行い正しく時を待たねばならない
待つということは
自らを破ることではない
内に静かに充されつつ育つことだ

ひかげの花

いつの間にか空一面に広がった雲の重さに背を押されるように
僕は急ぎ足で海岸通りを歩いていた。
頬のうえに雨粒がひとつ…
ふと立ち止まって天を見上げる。
網膜に映った蒼鼠色の空が、そのまま胸中にひろがっていった。

丘の上の公園の5月の花に逢いに出かけてきた。
地下鉄に乗るまでの青空が、地上に出たらもうそこにはなかった。
晴れるはずだったのに… そう呟いた瞬間に
「はずだったのに…」ばかりの人生が思い返されてため息をついてみたが
他に行く場所もなく、しかたなくまた歩き出す。
しかし、雨はそれきり落ちてはこなかった。

丘の上へと続く坂道の大きな樹々はいっせいに芽吹き
湿った大気のなかで青葉の呼気がたゆたうていた。
誰かの体温がのこるベンチに腰かけて、
胸にたまった灰色の息をゆっくりと吐き出す。
入れ替わりに吸い込んだ若葉の香りが肺腑にしみ込んでゆくのを感じながら
ベンチに背を持たせかけて芽吹く木々のこずえを見上げる。

ふと、坂道の上の方からガラガラという音が近づいてくると
母親に手を引かれた男の子の右手に握られた背丈ほどのビニール傘の先が
歩道の上で引きずられながら目の前を通り過ぎていった。
拗ねたような少年のその後ろ姿は、なぜか遠い過去の自分の姿のように思えた。
ガラガラという傘の音は、やがて木立のむこうに消えていった。
僕はゆっくりと立ち上がって、丘の上へと向かった。

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果たして、そこにはたくさんの花が咲いていた。
陽射しのない曇った空を、それでもまっすぐに見上げて
いまこの瞬間を愛おしむように、静かにそして気高く咲いていた。

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あの母子も、この花を見たのだろうか…
幼い頃、母に手を引かれ野に出かけた日を想う。
母が何かの歌をくちずさみながら、花を摘んでくれた。
母は若く美しかった。
母はすっかり年老いてしまったが、
季節ごと、団地の庭で自分で育てている花手折って
家に飾りなさいと持たせてくれる。
そんなことを想いながら、色鮮やかな花々を観てあるく。
明るい春の陽射しよりも、曇り空を透かして届く柔らかな光こそが
彼女らを最も美しく見せるのだと、初めて知ったような気がする。
いままで、陽ざしの眩しさで目がくらんで見えなかったものが見えた気がした。

星が宇宙の闇のなかから生まれるように
生命というものが、母胎に宿り、あるいは種子に宿って地上に姿を現すように
すべては昏い闇のなかから生まれ出ずる。
光そのものも、もしかしたら闇のなかから生まれるのではないか…

ふと、足元に気配を感じて、うっそうと茂る葉の影に目をやる。
そこには、息をひそめるようにして真っ白な花が咲いていた。
悲しみにうなだれるようなその後ろ姿は、
腕に抱いた我が子を見つめる母の悲しみのようであった。

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この花だけではない。
ここに咲くすべての花が、それぞれの悲しみを抱いて咲いているように思えた。
この世界は、悲しみを抱き、悲しみを生きる人々によってささえられている。
悲しみを昇華して美しく咲くのだ。
花も人も…

曇り空の下で汽笛が響いてきえていった。


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倒木

長く尾を引くため息のような稜線の向こうに
雲で輪郭の滲んだ太陽が静かに迫っていた。
陽光は朱くなりきれずに雲のなかに力なく散乱し
空を淡い鬱金に染め、そこからこぼれた光の粒は
湖面の漣の上に散らばって銀色の残像を残して沈んでいった。


早朝に小樽を発って、積丹半島の海岸沿いの道を走ってきた。


海の群青はどこまでも深く、こんな色の海を見慣れない僕には
なにか恐ろしいもののように見えて、車を停めてゆっくる散策する気分にもなれず
一気に半島を一周して、岩内の街に入ったのだった。
水上勉の『飢餓海峡』の物語は、この街から始まったのだったな…
ひび割れたアスファルト…色褪せたトタン屋根…
灰色がかった街中で小さな寿司屋を見つけて暖簾をくぐる。
地元の人らしい客の会話を聴きながら
昨日から誰とも話していないなと思うが
酒ものまずに知らない人と話すのは気が引けて、
黙って寿司を味わい、大将に礼を言って店を出た。

岩内から先も海沿いを走る予定だったが、
気が変わって、函館本線に沿って函館に向かうことにした。
なんの目的もない無計画な旅
川面に落ちた木の葉のようにただ流されてゆく自分そのものだな。
美しい景色も、すれ違った人々も、さまざまな想いも…
ただ過去へ過去へと流れ去ってゆく


羊蹄山の西側を通って太平洋側に出て、また海沿いを南へ…
距離感がつかめず、ほとんど寄り道もせずに走ってきたのであまり感動するようなこともなく、
せっかくの北海道の旅は味気なく終わろうとしていた。
時間の無駄遣いだったかな…などと思いながら
ふと視界に入った「大沼」という看板の文字を見て県道を東にそれた。

湖の東岸に回り込んで道路脇の駐車場に車を停める。
水芭蕉の咲く湿地の縁を歩き、水辺に根を浸す木々の間を抜けて…
そしてここにたどり着いたのだった。
朱く染まる水面を思い描いて来たけれど
歩いているうちに雲の様子を見て今日は無理だなと悟った。

背の高い葦をかき分けて視界が開けたとき
水際に大きな木の枝が横たわっていることに気が付いた。
随分根元に近いところから折れたものだな…

湖面に立った漣が、その枝を微かに揺らしてそして
そのかたちのままの波紋となってひろがってゆく。
なんと静かな夕暮れだろう。
ひたひたと岸をうつ波の音以外には何も聴こえてこない。

微かに揺れるその枝先をぼんやりと見ながら
この枝が落ちた情景を思い浮かべる。
凍った湖に雪が降り積もって一面の雪原がひろがる。
降りしきる雪のなかで、木々はじっと立っている。
あたりはしんと静まり返っている。
突然、木が引き裂ける音がして凍った湖面の上にどざりと落ちる。
そしてまた静寂が戻ってくる。
倒れた枝の上にはまた雪が降り積もっていく…

木は
いつも
憶っている
旅立つ日のことを

ひとつところに根をおろし
身動きならず立ちながら

花をひらかせ 虫を誘い 風を誘い
結実をいそぎながら
そよいでいる
どこか遠くへ
どこか遠くへ

茨木のりこ『木は旅が好き』より

この木も夢見ていたのだろうか
空を見上げて
どこか遠くへ…どこか遠くへ…と


春が来て雪が融け、湖の氷も融けた。
その枝は半身を見ずに沈めていった。
彼のいのちは、もうそこには宿っていないのだろう。
しかし、彼が生きてきた痕跡だけははっきりと形となってそこに横たわっている。

どこか遠くへ… どこか遠くへ…
もっと高く… もっと大きく…
雨に打たれても、風に折られても、雪にのしかかられても
ひたすらに天だけを見つめて伸びてきたその証拠が…
想いはすべて天を指している。

ああそして、いまやっと自由になれたのだな
やっと想いが叶ったのだ。
いのちは虚空へ吸い込まれていったのか…それとも水に溶けていったのか…


太陽は山の向こうに沈み、灰色の空は少しずつ濃度を増していった。
空から降りて来た沈黙があたりを包んでいった。
そろそろ帰らなければ…暗くなり始めた足元を見て、枝に呼びかけた。

湿った土を踏んで歩き始めたとき
木立の向こうで突然電列車が鉄道を踏む音が響いてそして遠ざかっていった。

厚田の夕暮れ

留萌の海岸に出るころになって、やっと雨があがった。
朝、札幌のホテルを出てからもう200㎞も走ってきたのに
記憶に残っていたのは、雨に霞む白樺の林
その間を流れる雪融け水で増水した泥の川と
ぬかるんだ道路脇にどこまでも連なるふきのとうだけであった。

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雪融けの川
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ふきのとう

不意に出張が決まった20年ぶりの北海道…
もう来れないかもしれないからと思い
仕事が終わってから帰らずにドライブをすることにした。
行く先も決めず、ホテルも途中でとることにして…


雪融けの季節
厚い雪に閉ざされた大地が春に向かってゆく歓びを感じられるのかもしれない
そう思っていたが
運転しながら胸にせまってくるのは、なぜか霧のような寂しさだけだった。


札幌から岩見沢まで高速を走り、あとは一般道で富良野・美瑛・旭川を通り
そして海の方向に向かって留萌に出た。
日本海を南下していけば小樽あたりで日が暮れると思い
スマホでホテルを予約した。


そして、切り立った海沿いの国道を走るうちに海に向かって落ちていく太陽が
ほんのり朱く染まり始めたころに、厚田村に入ったのだった。
海を見下ろせる国道沿いに道の駅があり
さらにその少し上の見晴らしの良い場所に
この村の出身の男の生家を移築した小屋が建っていた。
そこまで登ったころに夕陽が赫々と燃え始めたのだった。
眼前に広がる海には、弧を描くように白波がたっていた。
ああ、これが厚田の海か…
意図せずして、こんな美しい夕暮れに
ここに来れたなんて…

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落日の速度は刻々と増していた。
丘を駆け下りて車に飛び乗り、浜辺への道を探して走る。

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砂浜に降り立ったとき、すでに太陽は水平線のすぐ上まで迫っていた。
丘の上から見るよりもずっと荒々しい海だった。
車を降りて、吹き飛ばされそうな風に身を縮めながら波打ち際まで歩き
裸足になって波に足を晒す。
思ったよりも冷たくはない波が足先を洗っては引いていく。
大きな波が来て慌てて後ろに下がって
そして砂の上に腰をおろして日没をここで待つことにした。


海の底から突き上げるように現れるあの激しい波も
最期は崩れるように砂浜に広がって、そして引いていく。
暗い海の底から光ある世界に生じて、そしてまた闇の中に還ってゆくのだ。
果てしなく繰り返す生死… 生死… 生死…
自分はもう崩れ落ちて砂の上を滑っていくあの波なのかもしれないな。
この世に生まれても何も為すことなく、
最期は海辺の砂を少しばかり濡らしてそして引いていくのだ。
引き潮のような哀しみが、一瞬胸をかすめる。


太陽はいよいよ色を増していった。
カメラを手に取って、ファインダーの中で眩しすぎるその光を調整すると
波頭が炎のように染まっているのが見えた。
引いた波の後には、濡れた砂が朱く染まって
そこに太陽が映り込んだのだった。

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「生きようが死のうが、安心していなさい…」
『約束の冬』で肝臓がんにおかされた小巻が、厚田の海で聴いた声が
すっと胸の中にしみ込んでいった。

背後に気配を感じて振り返ると
朱い大きな月が、東の空にぽっかりと浮かんでいた。

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おまけ
『約束の冬』のこと…
「生きようが死のうが、安心していなさい…」という文章を引用しています。
muycaliente.hatenablog.com

乳母車

薄紅の花びらが降りしきるその下で、白い手が揺れている。
前へ後ろへ… 行きつ戻りつ…
ゆっくりと規則正しく、しかしよるべなく
その手が握っているのは、ベビーカーのハンドルだった。
公園のベンチに腰掛けた若い母親の疲れ切った背中は老人のように力なく屈み
呆然として…ただ右手だけが無意識にベビーカーを揺らしていたのだ。
俯いた視線は、我が子の方には向けられていないようだった。
その頭上には、そこだけ色の濃い八重桜が満開の花を開いてていた。

丘の緩やかな斜面につくられた広大な公園の一番隅にある
子供用の遊具のある広場には朝早いせいか人影は他になかった。
ときおり吹き付ける冷気を含んだ風が満開の桜の枝を波のように揺らし
枝から放たれて青空に吹き上げられた花びらは
やがて明るい陽射しの中でゆらゆらと舞いながら落ちてゆく。

舞い落ちる花びらに驚いているのか
ベビーカーの隅から、小さな白い足がひょこひょこと飛び出す。
マネキンのように動かない背中の横で
母の白い手と赤子の小さな足だけが別の生き物のように
違うリズムで、しかし絶え間なく動いていた。


気づかれてはいけない…そう思って踵を返して歩き出す。
そして僕はふと若き日の母の顔を思い浮かべた。
母はどんな顔をして僕を乗せた乳母車を押していたのだろうか…
八丈島で生まれ、幼少期に戦争を経験して、横浜に出てきたのは15歳
野毛で菓子屋を営む親戚の家に住み込みで働きながら大人になった。
母の話す過去は、いつも悲しく暗い思い出ばかり…
お金がなくてみじめだったこと…いじわるをされたこと…
父と結婚してからもずっと苦労は絶えず、経済的にもずっと厳しかった。
身体も弱くて、よく貧血を起こして寝込んでいた。
記憶に残っているはずもないのに
乳母車から見上げた母の悲し気な顔が映像になって浮かび上がる。
先の見えない苦しい生活… 我が子を育てていかねばならない不安…
それでも母は乳母車を押して歩き続けてくれたのだ。
母とはなんとありがたいものかと思う。
あの若い母親も、潰されそうな不安を抱きながらここに来たのだろうか
時代は変わっても、同じなのかもしれないな…母の哀しみとか祈りとか…


舞い落ちるこの美しい花びらも、厳しい冬の間に樹皮の下の闇の中でこの色を蓄えてきたのだ。
人も母の胎内で育まれて、光のなかに生まれてきた。
すべてのいのちは闇のなかから生まれてくるのだ。
たとえ今が無明の闇のなかにあったとしても、いつか美しく咲くための闇であれ
そんな願いを背後の母子に手向けた。

母よ、
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔々と私の乳母車を押せ


赤い総ある天鵞絨(びろおど)の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり


淡くかなしきもののふ
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道
               三好達治『測量船』より「乳母車」

その時、突然赤子の泣く声が聴こえて振り返ると
我に返ったように母親が子供をのぞき込み声をかけていた。
風がまた強く吹いて、花びらはいっそうはげしく降り始めた。


広場の奥に、丘の上へとまっすぐに伸びあがる長い階段があった。
春の光が射し込むその階段が、あの母子の未来のように思えて
僕は、母の顔を思い浮かべながらその階段を上り始めた。
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おまけ
丘の上の花 
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「雪国」 ここに生きる 井山計一さんのこと3

「そんなところに立っていないで、中にお入りなさい」
背後で声がして振り返ると、井山さんが立っておられた。

昨日電話をしたものの、やはりカウンターに座りたいと思って
30分前に「ケルン」の前に着いて、開店を待っていたのだ。
既に店の奥には灯りがついていて、準備をしている様子だった。

映画で見たお姿よりも少しお痩せになったようだったが
背筋はまっすぐに伸びて、矍鑠としておられた。
準備の邪魔になるのでここで待ちますと、お断りしたが
開店までお相手はできないがここは寒いからと言って、招き入れられた。
店の中から僕の後ろ姿を見て気遣ってくださったのだろう…
申し訳ないことをしたと思いながら、カウンターの隅の席に座る。

「昨日、電話をくれた人だね?」と井山さんに話しかけられる。
そしてしばらくすると、開店前なのに「何にしますか?」と問われ
もちろん「雪国を…」と答えた。
田舎の喫茶店の気さくなマスター… そんな雰囲気の話し方だったが
シェーカーを構えた瞬間に顔がきりっと引き締まる。
若いバーテンダーのようなスピード感はないが
熟練のシェーカーが描く軌跡に、思わず見入ってしまう。
バーテンダーになって70年… 
いったいどれほど人と語り合い、どれほどのカクテルを作ってきたのだろう…

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グラスの縁の細かい砂糖の粒子がふわっと唇に触れ
ミントの香りのする甘いカクテルが口のなかにひろがる。
古き良き昭和の味がした。

開店時間になると、次々と客が入ってくる。
隣に座ったのは、山形市内から来たという老夫婦
日本酒ばかりでカクテルを飲んだことがないというご主人と、アルコールの苦手な奥様
その隣には新潟から来たという若いカップル。
そして雑誌社の編集者という中年の女性。
いずれも映画を観て初めて来たという人ばかり
井山さんを中心に話の輪が広がる。
皆、それぞれの人生を生きて
そして、今日のこの日にここに集まってきたのだ。
そしてきっと二度と会うことはない

井山さんは、カクテルを作っている時以外は話好きな好々爺である。
僕もやっと落ち着いて、写真を撮る許可をいただき
隣の老夫婦がオーダーしたタイミングで写真を撮らせていただく。

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映画の話になると、
「僕はあの映画の意味がよくわからないんですよ」と仰る。
確かに構成が凝っていて、いろいろな人のインタビューを通しながら
酒田の歴史 井山さんの歴史 そして関わってきた人々の想いが重なっていくので
複雑といえば複雑だ。
バーテンダーの世界では間違えなくレジェンドではあるが
ご本人は、決してそんな意識はない。

暖房のきいた店のなかで、和やかな語らいが続く
一陣目の客が帰っていって、ふと息をつく井山さん
「実は今日調子が悪いので、少し座らせてもらいます」と言って、カウンターの中の隅に置いてある椅子に腰掛ける。
もし、僕が予約したから無理して店を開けたのなら申し訳ないと思い
「それなら、今日は早めに店をお閉めになってください」と言うと
「10:30までは、僕の時間ですから…」と一言
ああ、こうしてここで闘ってこられたのだなと思う。

その後も、実家が酒田にあるという東京の小学校の先生… 地元の市役所の職員さん…
次々に来ては、「雪国」を飲んで帰っていく。

「雪国」以外はヘルプで入っているバーテンダーさんが作るのだが
「雪国」だけは、皆、井山さんの作ったものを飲みに来るので
そのときだけすっと立ち上がってシェーカーを振るのだ。

そしてすべての客が帰って、ヘルプの方が片付けを始めたので
カウンターの中の椅子に掛けている井山さんにお礼を申し上げて店を出た。

店の外に出ると、街はもうひっそりとして寝静まっている。
かつての酒田は、こんなではなかったのだろうな…
1976年の酒田大火で、街はすっかり寂れてしまったようであった。

かつて淀川長治をして、「世界一ゴージャスな映画館」と言わしめた「グリーンハウス」
そこから出た火は海風に煽られて、当時にぎわっていた酒田の商店街を一夜にして焼き尽くした。
平安時代にすでに歴史の舞台に登場し、江戸時代には西の堺と並び称されるほど栄えた酒田の街は
それ以来すっかり静かになってしまった。

井山さんは、そんな歴史もずっとここで見てこられたのだ。
有名になったからと言っておごることもなく、この狭いカウンターの中で60年という歳月を
自分らしく生きたこられたのだ。

映画を観てここに来たと言った僕に対して
自分は特別な人間なんかではない…そういわれたような気がする。
ただ自分の道を誠実に生きてきただけだと。

思えば、誰にも知られないような無名な人々のなかにこそ偉大な人物がいるのだ。
雪解け水で少し水嵩を増した最上川の水面で揺れる街灯を眺めながら
胸のなかに春の風が吹き始めたような気がして大きく深呼吸をした。

「待ちかねる
雪国だとて
春祭り」
カウンターの奥の黒板に井山さんが書いた俳句が 夜空のなかに浮かび上がった。


おまけ
酒田に向かう道すがら撮った、雪解けの景色
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「YUKIGUNI]をめぐる出会い 井山計一さんのこと2

酒田には仙台から車で向かうことにした。
夜遅めの時間に仙台国分町のホテルに入り
そのバーに向かう前に、居酒屋で食事をした。
カウンターで地元のお客さんに声をかけていただき
楽しい時間を過ごす。


BAR『門』は昭和24年の創業…
あのカクテル「雪国」誕生秘話として、創業者の長嶋秀夫さんが登場する。
「雪国」は東北大会では入賞したものの一位ではなかった。
全国大会の前に、井山さんはこの長嶋さんの元でカクテルを作る練習を積み重ねる。
その時、長嶋さんが当初グラスの縁に飾ってあったミントチェリーを
グラスの底に沈めてはどうかとアドバイスしたのだった。
全国大会で優勝などできると思っていなかった井山さんは、
発表の前に早々とバーコートを脱いで発表会に参加していて
優勝が自分とわかって、慌ててスーツのまま舞台にあがったという…

今は二代目が後を継いでいる『門』は、東北最古のバーらしく店内は別世界
重厚な木彫りの調度品が並び、タイムスリップしたような気分になる。
二代目の長嶋豊さんも昭和のバーテンダーを絵に描いたような方だった。
歩き方、ボトルの開けかた、お酒の注ぎ方、グラスの拭き方…一挙手一投足がすべて美しい。
しゃべり過ぎず、そして決して笑わない。
それでいて、とても居心地がよいのだ。
ここで誕生したと言ってもいい「雪国」をいただき、
二杯目は、この店の一番のおすすめというモスコミュールをいただきながら
映画のこと…井山さんのことなどとりとめもなく話して…
深夜になって客が増えてきたのを潮時に店を出た。

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映画『YUKIGUNI』には、この長嶋豊さんも証言者として出てくるのだが
映画が始まって一番驚いたのは、最初に証言者としてスクリーンに映ったのが
大阪キタ新地のバーUKのマスター荒川さんだったこと…
UKには、つい数か月前に偶然行ったことがあったからだ。
その前日、倉敷に泊まって飲み歩いているうちにFB友達からコメントがあって
ONODA Bar に行った。
(その時のブログ⇒ 倉敷川の紅葉 - ムイカリエンテへの道

その時、マスターの小野田さんから紹介されて翌日行ったのがUKだったのだ。
荒川さんはサラリーマンで、全国を出張している間にBARに魅せられて
定年後に退職金をはたいて新地でバーを始められた。
新地で、サラリーマンでも気軽に入れるバーをやりたいというのが彼のコンセプトで、
それにしてはマニアらしく、サラリーマン時代に買いためてきた珍しいウィスキーがずらりと並ぶ。
その日は他に客もおらず、ウイスキー談義をしたのだが
「雪国」の話題は一切出なかった。
全国のバーを知り尽くした荒川さんも、やはり井山さんに魅せられた一人だったのだ。
バーには不思議な出会いがあり、思い出に残る。

ふと、初めてバーに入った日の思い出がよみがえる。
それは18歳のとき、高校を卒業して大学に入る前の長い春休みに
高校時代の友人に誘われて男4人で人生初のスキーに行った。
万座温泉の民宿に泊まり、温泉は近くのプリンスホテルまで入りに行った。
温泉を出てきた後に、K君に誘われてホテルのバーに入った。
追い出されはしないかとこわごわ足を踏み入れたが
K君は慣れているらしく、カウンターに座ってジンフィーズをオーダーした。
アルコールなど飲んだこともない僕は
カクテルの名前など知るわけもなくK君と同じものを頼んだ。
最初の一口を飲んだ瞬間 なんだか自分が大人になった気がした。
その日に何杯か飲んだのか、翌日も行ったのかよく覚えてはいないのだが
バイオレットフィーズとカカオフィーズというカクテルを飲んだのは覚えている。
学費を稼ぐために工場でアルバイトをしていたので少しばかり金をもっていたのもあるが
その後は、学費やら生活費を稼ぐのに必死な学生生活が始まり、
スキーに行くこともバーに行くこともなくなった。

社会に出てからも結婚が早くてずっとぎりぎりの生活だったから
バーなど行こうとも思わなかった。
再びバーに行くようになったのは35歳くらいのとき
10年前に亡くなった同僚のM君が連れて行ってくれた神戸のバーが始まりだった。

明日井山さんにお会いしに行く。
お忙しいのに電話をしては悪いと思いながら電話で明日の営業を確認もした。
60年…無数のカクテルをカウンターに差し出してきたあの指先をみるために…

雪国に生きる…井山計一さんのこと1

その日、僕はしんしんと降る雪のなかを行ったり来たりしながら
三階建ての旧いビルの前で「ケルン」が開くのを待っていた。
厚い雲に覆われていた空は昼から薄暗かったが、
日没の時間を過ぎて、街灯のまばらな街は一気に闇に包まれていった。

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映画で見たシーンでは、井山さんが杖を突きながらゆっくり階段を下りてきて
店に入ってぽっと明かりが灯るのだ。

痺れるような冷気は、ダウンジャケットの中までじわじわとしみ込んでくる。
寒さに耐えきれなくなって、近くの古びたスーパーマーケットに入り
ペットボトルのお茶を一本買って、手を温めるてからごくりと飲む。
吐息が、街灯の下で白くひろがって消えていく。
混んでいたらカウンターに座れないと思って、開店30分前に店の前に来たのだけれど
開店時間を一時間過ぎても、店は開く気配もなかった。

昼間は息子さんがそこで喫茶店をしているので、店が開いているのを確認しに来て
コーヒーを飲みながら「映画を観て、来ました」といったのだが
「ああそうですか」と迷惑そうに答えただけで、そのあとは声もかけられなかった。
休みなら言ってくれてもよさそうなものだけれど…

7時を過ぎたばかりなのに町全体が暗く、人影もほとんどない。
3階がお住まいなことは映画で見て知っていたので、薄暗い電球が灯っているのを見上げて
体調がお悪いのだろうかと思いながら、諦めきれずにさらに待った。
2時間ちかく経って、とうとう諦めたころにはすっかり全身が冷え切って、関節という関節の震えが止まらなくなっていた。
店を探す気にもなれず、向かいにあった安普請の屋台村の安そうなバーに入る。

東北人らしい色白の若い雇われマスターは、20代で子供が四人いて
その子たちを養うために、昼はサラリーマンをして夜もここで働いているという。
今時こんな青年もいるのだな…
「今日は静かな雪ですね…いつもは海からの風が強くて、ここらでは雪は横に降ります」

「マスターもお歳ですからね。このところ休みが多いようですね」
『ケルン』はこの辺りでは有名だけれど、彼は行ったことはないという…
ぎりぎりの生活ではバーなんて行く余裕はないのだろうな。
しかし、子供たちの話をするときの彼の目は とても輝いている。
この青年と出会ったのも縁だな…
人工的な味のカクテルを3杯飲んで、その青年としばらく話して店を出た。
『ケルン』はとうとう開かなかった。


井山さんのことを知ったのは、まったくの偶然のことであった。
去年(2018年)の年末の仕事納めのあと一人で飲みたくなって
久しぶりに町田のバー『Soul Cocktail’s』に寄った。
店長のSさんと話をしているうちに、彼が思い出したように
それほどバーがお好きなら、是非観ていただきたい映画があると言われ
裏に行って持ってきた『YUKIGUNI』のパンフレットを手渡された。
日本で最高齢のバーテンダーですと…
年老いたバーテンダーが、カウンターに向かってカクテルグラスを差し出す姿には
何十年もこの世界で生きてきた人の、いぶし銀のような気品がにじみ出ていた。

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YUKIGUNI

日本最高齢の現役バーテンダー 井山計一(当時92歳)
1958年、寿屋(サントリーの前身)のコンペで彼が生み出したカクテル「雪国」は、
たちまち日本各地に広まり、スタンダードカクテルとして多くの人々に愛されてきた。
スタンダードカクテルを作るということが、どれほど至難であるかは想像もつかないが
生涯をかけてバーテンダーとして生きてこられたその人の指先に見入って
この方にお会いしたいと思った。


山形の日本海沿いの街 酒田
これまで一度も行ったことのない地域であったが、
偶然にも、11月に商社からの依頼でここにある工場にプレゼンをしに行ったばかりだった。
井山さんのお店の場所を調べると、その時泊まった宿から歩いて3分ほどの場所だった。

1月 渋谷の小さな映画館で映画は上映された。
雪のしんしんと降る酒田の街… 
店に温かな明かりが灯り、人々が三々五々と集まってくる。


大正15年、酒田で250年続く呉服屋に生まれた。
昭和18年、戦争中に高校を卒業。満州の会社に就職が決まっていたが、父親の友人の縁で東芝に就職を変更。
満州に行った仲間は、ほとんど帰ってこなかった。召集令状が届いたのは終戦の2日後…
昭和20年終戦直後、酒田に帰っていた井山さんを魅了したのは、進駐軍が楽しんでいた社交ダンスだった。
酒田でプロダンサーとして指導を始めたものの、パートナーが駆け落ちでいなくなってしまったことで挫折。
その後仙台に遊びに行っていたときに、キャバレーのバーテン募集の広告を見て面接を受けると
髪が薄かったせいで年かさに見られて合格。
バーテンダーになったのも、運命のいたずらのような経緯だった。
仙台・郡山と渡り歩いて、昭和30年酒田に戻って「ケルン」を開店する。
昭和32年、弟子のひとりの薦めでカクテルコンクールに応募 「雪国」が誕生する。
東北地区で3位だったにもかかわらず、全国大会で1位になり
スタンダードカクテルとして認められることになる…
それから60年、全国のいたるところで「雪国」は愛され続けてきたのだ。

「ケルン」は喫茶店で早朝から開店し、夕方からバーになる。
朝6時から夜10時過ぎまで、奥さんと二人で休むこともなく働いて働いて働き詰めた。
子供たちの世話は母親に任せ、めったに顔を合せなかったという。
ある意味、極端な夫婦だった。

それにしても酒田は、東京から来るにはどうにも不便なところである。
飛行機は数便あるが、新幹線だと在来線に乗り換えてさらに二時間…
めったに来れるところではない。

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これだけ有名になれば、都会に店を出すこともできただろうに…
この小さな街で生涯を貫いた。

あるバーテンダーのレジェンドが
バーテンダーにとって一番大事なことは、そこに立ち続けることだ」と言ったとか…
いつ行っても、その人が静かなたたずまいでそこに立っている… 
今までお会いしてきたバーテンダーの何人かの顔が浮かぶ。

井山さんは、まさにそうして60年余
この日本の片隅の街であのカウンターに立ち続けてきたのだ。

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雪はいつしかやんでいたが
車もほとんど通らない道路には厚い雪が積もっていた。

雪を踏みしめて歩きながら
井山さんにお会いするためにだけにこの街に仕事ができたような気がして
春までにはまたここに来ようと思った。

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おまけ
前日の夜、新潟駅前で食べた魚
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白梅の祈り

光の気配を感じて目を覚ますと、わたしは満開の梅の花の園におりました。
冷たく湿った大気を覆うように、飴色の雲が空一面にひろがっています。
頬に小さな雫がひとつ…わたしは夢のなかで泣いていたのかしら…
ずっと一緒にいたはずのあなたが見当たりません。
私が眠っている間に、どこかへ旅に出られたのかしら…
雨の音を聴きながら眠ってしまったのは昨夜のことのような気もするし、
途方もなく長い長い時間だったような気もします。
なにか、温かなおおきなものに包み込まれているような…そんな眠りでした。
これは夢なのかしら…
それともわたしは生まれ変わったのかしら…
生きていることも、死んでいることも、長遠な宇宙の営みからみたら、
きっと、さざ波がたつようなできごとですもの。
生死生死生死生死…広大な宇宙のなかを遍歴しながら流れてゆくのだから
こんなきれいなところに生まれたのだとしたら、とてもしあわせなことです。

見えないけれど、なぜかあなたの気配を感じます。
いったいどこにいらっしゃるのかしら…
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        *

厚い雲の上面を朱く染めながら太陽が西方に去っていったあと
俺は、月の蒼い光がそのうえを這っていくのを見上げていた。
突然重力を感じて、雲のなかに引きずり込まれる。
激しい気流にもまれながら、どこをどれだけ浮遊したのか…
俺は光も届かぬ漆黒の闇のなかに溶け込んでいった。

不意に柔らかなものに抱きとめられるようにして、意識がもどる。
どれほどの時が経ったのだろう…
あたりは暗く星も見えない。
ただ闇の中で甘やかな香りが漂っていた。
何故かどこかで嗅いだことのある懐かしい匂いが…
あの大きな空のどこかから、この一点に向かって落ちてきたのかな…
不思議とそんな気がした。
ああ、東天が白んできた。まもなく夜が明ける。

        *

あたりはまだ枯野で色もなく、空気も冷たいけれど
頬のうえのしずくが、わたしのいのちを潤していくようです。
虚空から不意にしぼりだされたような…一滴のいのち
頬に触れる懐かしいその感触… どこかでお逢いしたような…

        *

道の駅に立っていた案内の老人に、早咲きの桜が咲き始めたことを聞き
道を教えてもらってここに来た。

駐車場に車を停めて、濡れたアスファルトの道を歩き始める。
畑の隅に植えられた白梅が、いっせいに花を開いていた。
もっと暖かくなってから咲けばよいものを… 
春を待ちわびるすべてのものに、希望をもたらすために
冬の間に樹皮の下でまもってきたいのちをいっせいに放つその健気な花をみて
胸をつかれる
もうすぐ春がくる… もう少し耐えろ… もう少し頑張れ…
そう言われているように感じる。
そう思いながら頑張ってきたけれど、心は晴れないままに8回目の春が巡ってきた。
人生はなんと長く辛いのだろう…

       *

初老の男の人がひとりで歩いてきました。
青白い額と眉間には深い皺が刻まれて、悲しそうな顔をしています。
何をそんなに苦しんでいるのでしょうか…
こちらを見上げて少し潤んだようなその瞳に
私は声をかけました。
もう少し…負けないで歩いてと…
本当の春は、あなたのいのちのなかにあるのよ…と
そして、とぼとぼと立ち去ってゆく後ろ姿に祈りました。

       *

雲の色は少しだけ明るくなったようであったが、青空は欠片もなかった。
自分のこころそのものだな。
トンネルに入ると、その空さえも消え
薄暗い闇のなかで、自分の湿った足音だけが響いていた。
足元に気を取られて歩くうちに前方から光が射した。
目をあげると、闇のなかにぽっかり空いた穴の向こうで
まるで額に飾られたように満開の桜が咲いていたのだった。
僕は思わず ああと声をあげた。
誰かがここに呼んでくれたのかな…
冬を越えるからこそ花は美しく
深い闇があるからこそ、いのちは美しいのだと…
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       *

あの方は、まるで違った人のように白いお顔を紅潮させて帰って行かれました。
私の願いが叶ったのなら嬉しいわ。

まわりでは、とめどなく生死が繰り返されてゆきます。
あるものはつぼみを膨らませ、あるものは散ってゆきます。
私もあと幾日かすれば散ってゆくのでしょう。
でも、ちょっとも怖くも悲しくもはないわ。
少し眠ってまた、どこかで目を覚ますのでしょう。
あなたはどこにいらしったのでしょうか
わからなくてもいいの
きっと、生まれても生まれても
いつも傍に生まれてこられるに決まっていますもの。

今はここで精一杯に…使命のままに…
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