「死」について

日の出前に布団を抜け出して、浜辺に出た。
ブルーグレーの凪いだ海は、砂浜で微かに波立っていた。
海を渡ってくる潮風が心地よかった。
この海で亡くなられた方々のことを思い、東天に向かって掌を合わせた。



小さな船が、漁に出ていく...
船尾から生じた波が、別れを惜しむ人のように、二つに別れてやがて海に溶け込んでいった。



長い石段を登って丘の上に出ると、視界が開けた。
低くたれこめた雲は、昇りゆく太陽の動きに伴って、刻々と色を変え
それにしたがって、海の色も変化していった。



奥松島宮戸島...
松島湾に連なる、美しい島々のなかでも、最も大きな島である。
山が険しい故に住民の方々は、背後の山に避難することができた。
陸続きの野蒜海岸では、砂浜から津波が一気に陸地に這い上がり
町を飲み込んだ。この辺りの死者は1000人を超えた。
ここから10kmの松島の被害が少なかったのは、あるいは宮戸島をはじめとする島々が
自然の防波堤になったのかもしれない。


市民センターを訪問...子供たちが元気に走り回っている。
Iさんは、このセンターにも定期的に手作りのクッキーを送り、交流されてきた。
われわれが訪問するのも、3度目になった。
いつも漁師のような格好をしている強面のセンター長が、
震災の当日のことから、最近の活動などについて、ユーモアを交えてお話しをしてくださる。
4年間、休むことなくずっとここで闘ってこられた。
被災された方々に元気を出してもらうために、住民の方々と語らい、イベントを打ち、
センターの隣にあるレストランでも、様々なメニューや特産品の販売を考案し
ずっと闘ってこられたのだ。

国からの援助が行き届かない中で、こういう人が各地で頑張っておられるのだろうな...


市民センターを出て、野蒜駅へ...
海岸から数百メートルのこの駅も津波でずたずたに壊れた。
この駅の前の東名運河には、無数の屍体が折り重なっていたという。



枕木のうえに 貝殻がひとつ…


一瞬にして失われた1000余のいのちを想い、
最近読んだ対談を思い出して、はっと思った。


宮本   

結核病棟は、病院の敷地の一番奥にあるわけです。
敷地のどんつきには裏門があり、そこから死人を運び出す車が出入りするのを毎日見ていました。


よしもと 

そうでしたか...まわりの人がどんどん死んでいく状況ですね。 

   
宮本   

そんなときに知った、ある人の言葉がすとんと腑に落ちたんです。
僕はこれを信じようと思った。
その人は、人間一人一人の命を万年筆のなかのインクに譬えていました。
命が尽き、臨終を迎えたとき、このインクの一滴というあなたの命は、地球の海にぽとんと落ちると。
落ちた瞬間はまだインクは青い。
でも、たちまち広がって、もうインクの色などなくなる。
しかしインクは消滅したのではなく、海水に溶けた状態で厳然と存在しているのだ、というのです。海そのものになることが、死なのだと。


よしもと 

なるほど。すごくよくイメージできます。


宮本   

海を宇宙と考えてもいいんです。つまり、無か有かの二択で考えるから、それは貧しくなる。
無でも有でもない、その「間」を想像せよと。


         
     RENZABURO  二人の作家が語る、人生の道しるべ  宮本輝×よしもとばなな 
            第九回 身近にある「死」について  

一瞬にして海に飲まれた人々のいのちは、目の前から消えてしまったいのちはどうなったのだろう...
その疑問が、自分のなかでもすとんと腑に落ちた。
消滅してしまったのでもなければ、人間が想像のなかで作り上げた天国や地獄に飛んでいったのではない。
物質が燃えて、二酸化炭素や水やほかの諸々の分子になって、空気や大地に戻っていくように...
海にインクが溶け込んでいくように、宇宙のなかに溶け込んでいったのだ。
そして、またなんらかの生命として生まれてくる。
「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかも知れへん...」
錦繍』の一言が蘇る。


目の前にあったいのちが失われるのは、残された人々にとっては、哀しみ以外のなにものでもないけれど
「死」は不幸なだけではない。幸福な「死」もあるのだ。きっと...


阪神のときに比べると、復興は何も進んでいないような気さえする。
未だに仮設に住み、先の見えない不安に苦しんでいる方々もたくさん居られる。
朝のあの低くたれこめた雲のように...
しかし...あの雲の上には、眩い太陽が輝いていることを忘れずに
希望を持って頑張ってもらいたいな


野蒜から丘を越えて松島に入り、高速で仙台市に入り...
震災の痕は、みるみる消えていった。
壊れた駅舎が夢のなかのできごとだったようにさえ思えてきたが、
朝のあの美しい雲だけは、心のなかにずっと残っていた。