西浦海岸の夕暮れ

西陽に照らされた錆色の街並みに導かれるままに
僕はその海岸に向って車を走らせていった。

街並みが切れて港に出ると、
帆を降ろしたヨットのマストの間にすでに春の太陽は沈み始めていた。
鳥たちは獲物を追うのをやめて、養殖網の竿の上で羽を休め
仕事帰りの釣り人たちは、堤防の上に並んで糸を垂らす。
金色に染まりゆく静かな春の海の夕暮れ... 
舞台の準備はもう整っていた。
僕は車を乗り捨てて、自分の席を探して走る

遠浅の三河湾に突き出した西浦半島の先端
真っ直ぐに伸びた光の道は漣のうえで揺らめき弾ける。
僕は、ひたひたと波打つ岸辺を歩いて、大きな岩に腰をおろす。
そこは夕陽を眺めるためにだけしつらえたような特等席だった。


おおいなる天体は、決められた軌道を寸分も外すことなく悠然と堕ちて行く。
「死」へ向かうその後ろ姿は、湿った大気のなかで余計な光を脱ぎ捨てて
完全なる真円の輪郭を露わにしながら、高度を下げるごとに色を増してゆく。

カメラのファインダーを覗いて、一羽の白鷺にズームしたとき
何故かガンジス川の夕景が脳裡に浮かび
一羽の鷺が、何かを祈っている人の姿のように見えた。
そのとき、ふと人生の苦境と闘っている友のことを思いだしたのだった。


太陽は瞬時も留まることなく堕ちて行く
そして残された時間を惜しむように、熱く燃える。
確かなことなど何もないこの世界で
ただひとつだけ確かなる太陽の軌道を見守りながら
彼は何を祈るのか...



光が強まるほどに、彼の真っ白な羽根はいよいよ闇に沈んでいくように見えたが
こちらから見えない半身は、海と同じ紅に染まっているはずであった。


太陽さえそこにあれば、確かなことなど何もなくていいのだ...
流転していくからこそ、いのちは美しい。
闇を経てこそ、この世界は光のなかで輝くのだ。


ただ友よ...闇のような現実のなかで苦しむ友よ
僕がかつてそうやってもがいていたときに君が祈ってくれたように、
君が泥の中から立ち上げる日を僕は祈る。
君の胸に太陽が赫々と昇る日を...

  わが願ひは、これこの生涯(いのち)
  君の歓喜(よろこび)のおおいなる歌 響かむこと
君の虚空(そら) 気高き光明(ひかり)の流れ
戸口小さしと見て 帰りな行きそ...
  わが心の奥に 装ひを常に新たにせよ


  君が歓喜を わが身も心も
  よも 妨げはせじ
君のこよなき歓喜 わが苦をば
焼きつくせ 幸(さき)はふ光明の如(ごと)
君の歓喜 卑しさを摧(くだ)
  花と開け わが業(わざ)すべてに


  タゴール『ギーターンジャリ』102段


光を失った太陽は、最後の力を振り絞るように燃えていた。
朱に染まった海の上を一艘の漁船が静かに横切っていった。

やがて太陽が雲に隠れ、薄暗くなった海辺の道を歩き出したとき
どこかでタイサンボクの香りがした。


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                2018年12月30日掲載