薔薇園にて

幾重にも重ねた花びらに秘め事を抱いて、その花は咲いていた。
僕はうな垂れる花にそっと手を差し伸べる。


曇り空の青島海岸... 
ふらりと入った薔薇園に人影はなく
椰子の並木のシルエットの向うで、いつもより少しくすんだ日向灘に白い波頭が浮かんでは消えていた。

 

僕の指先につめたい頬をもたせかけ、ほっと吐いた彼女のため息がふわりと匂う
隠していた想いが、少し湿った春の風に晒されてこぼれていく
明日には褪せてしまう幻のような色も、どこか紅茶に似た甘い香りも
胸の奥に沈んでいた感傷をよびさます。
蕾の裡に抱いていたものは悲しみだった。ただ、悲しみだけだった。




掌に花のいのちの重さを感じながら、ふと父の手の感触を思い出す。
おぼつかない足取りで歩きはじめたときに前に差しだす手を受け止めたときの
柔らかく弱々しい指先の感触を...
認知症が重くなるまでは触れたこともなかった父の手を...
力仕事で節くれだった逞しい父の手は、もうそこにはなかった。
若い頃から多くを語らなかった父にも、たくさんの悲しみがあったのだな
誰にも言えないまま、記憶の底に沈めてしまった悲しみが...
あのやわらかな笑顔に薫るいのちの底の悲しみが



 

風向きのせいか、海の音も聴こえてこない静かな庭園を一人歩く
悲しみにはひとつとして同じ色はない。
ふと足を止めると、煉瓦敷きの上に血のにじんだような花びらが
涙をいっぱいに湛えて咲いている。
ああ、なんという美しさか...


美しい自然の営みの底流には、いつも悲しみが流れている。
深い悲しみをくぐってこなかったものに
真の美しさは宿らないのだろう。



愛する気持ちを胸に宿したとき、私たちが手にしているのは悲しみの種子である。
その種子には日々、情愛という水が注がれ、ついに美しい花が咲く。
悲しみの花は、決して枯れない。それを潤すのは、私たちの心に流れる涙だからだ。
生きるとは、自らの心に一輪の悲しみの花を咲かせることなのかもしれない。
  若松英輔 『悲しみの秘儀』

いつしか現れた老夫婦
年甲斐もなくはしゃぐ妻を、夫の静かな視線が見守る。

 

僕は、父を見つめる母の視線を思い出す。
80年も生きてきて、楽しい時間などほとんどなかった母に
この薔薇をみせてやりたいと思った。