雨の兼六園

川を模した流れにかかる石橋に差しかかったとき
薄鼠色の空から糸のような雨が落ち始めた。
水面に浮かんだ輪郭のぼやけた太陽が
折り重なる同心円のうえで拡がっては消えてゆく。

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流れから取り残された黄葉の配列さえもが
庭師たちの企みではないかと思うほどに美しい。

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兼六園の紅葉がもう一度観たくて
富山出張前夜に金沢に泊まって早朝の兼六園に足を踏み入れた。
昨日までの晴天は失せて、すっかり雲に覆われてしまった空を見上げて
北陸らしい空の演出も整ったなと幸福に感じた。

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金沢は江戸の町である...そんな対談を読んだことがある。(『日本の町』丸谷才一 山崎正和
全国各地の古い街並みを残した町を小京都と呼ぶが、金沢は小京都とは呼ばれない。
たしかに兼六園を観ただけでもそれはわかる。京都にこんな庭園はない。


前田家は加賀を拝領してから、徹底して文化の振興に力を入れる。
徳川に二心のないことを示す目的でもあったが
一方で一向一揆が非常に盛んで、権力者を悩ませていた土地で
これを抑えるのは武力ではなく文化しかないと考えたらしい。
明治維新の後も
京都が文化を売り物にして観光都市の道を進んできたのに対して
金沢は文化が生活に根付いた文化都市として発展してきたと山崎氏は語る。
兼六園にも、その思想は受け継がれてきたのだろうな…


雨は強くもならず、しかしやむこともなく降っている。
最盛期を過ぎた紅葉は、雨に打たれて濡れそぼっていき
はらりはらりと散り落ちては、苔のうえに彩をなしていった。

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春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。
春はやがて夏の気をもよほし、夏よりすでに秋はかよひ、秋はすなはち寒くなり、
十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。
木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。
  兼好法師徒然草』第155段

厳しき冬を迎えるまえのひと時…
木々の枝のなかに既に芽吹くいのちが萌しているのなら
堪えず落ち行く木の葉がそれぞれに美しく装うことの
なんと健気なことか...
そして、散り落ちる足元に青々とした苔を敷き
清流に見立てた流れを配した庭師たちのなんと粋な計らいか

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山水を模していくうちに、彼らは草木の生死と向き合うようになり
生も、そして死をも美しく仕立てようとするうちに
いつしか山水が息づいていったのだろう...

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雨とはいえ、紅葉の季節で観光客は多い。
それでも、京都や東京の庭園と違ってここは静まりかえっている。
広大な庭園のいたるところで、渾身の力を振り絞るように
冬の眠りに入るまえのいのちが燃え上がっていた。


立派な黒松の下に立って、ああそろそろ雪吊り作業が始まるのだなと思う。
ふと足元に目を落とすと、暗い水面に映ったその曲がりくねった太い枝が
じっとこちらを見ているように思えて、後ずさりした。
問われたのかな... おまえはどうなのかと....

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徒然草はこう続く

生・老・病・死の移り来る事、又これに過ぎたり。四季なほ定まれるについであり。
死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
  兼好法師徒然草』第155段

何の覚悟もなく、漫然と生きていることに
ふと足元に迫っているかもしれない死を思えと...


庭園を出て車に乗っても、松の映像だけがずっとついてきた。
そしてふと胸の奥に火がついた気がした。