野口謙蔵『冬沼の鯉』

天に向かって差し上げた翅が、微かな春の風に震えていた。
七年の眠りから醒めた蝶は、渾身の力で翅をひろげたが
飛び立つ刹那に花に化身した。

春の光を吸い込んで咲き乱れる艶やかな花々の足元で
カタクリの花は、まるで闇を吸って生きてきたかのように哀しげな色で咲いていた。


巡りゆく季節を...流れゆく雲を...飛び交う鳥たちを...じっと見上げてきた。
長く厳しかった七度目の冬は
南からの湿った風に吹き払われて、遅れた春が降りてきた。



あの空を翔べたら... そう願って翅を精いっぱいに伸ばしたけれど
瞬く間に望みはやぶれた
薄暗い土の中で生きてきたその色は拭えないのか...
輝く雲が、空を流れていった。

最近、野口謙蔵という画家の詩に再会した。
一度目は志村ふくみさんの文章から『冬沼の鯉』という詩の一部を読み、記してあった。
そして先日、その記述を読まれた方からメッセージをいただいた。
その方は、野口謙蔵の絵をこよなく愛し顕彰しようと活動されている方で
この詩を記した掛け軸の写真を送っていただいたのだ。

一連の言葉が詩なのか
一行一行が独立した詩なのかはよくわからない

冬沼の鯉  野口謙蔵


水底にとどく冬日 背中にあたたかく ひそかにゐる


冬日のかげ ひっそり背中に感じ ぢっと水底にゐる


青い夜 急に低下した水温を感じ やがて氷のはるひそやかな気配


氷の上を夜のけものがあるいてゆく不気味な音 ぢっと水底にゐる


氷の上に月あかり 沼底に青く眠る


氷を通した朝かげ 虹の様にあかるく ひらりと位置をかへる


水底にとどくあさかげの位置に うす青くゐる


降ってはとける雪のつめたさが ひたひたと沼底にしみてくる


冬沼の青い水底に 藻草ひっそりと 月夜のあかるさである


冬の林に 青い沼が眼をさましてゐる朝


鏡のやうな青い沼 冬木ひっそりうつしてゐる


青い冬沼に すっぽりと自分をしづめてしまって 心すんでくる


心せめぬいて 冬沼の青さに自分をおちつける


落葉の路 心せめながら 青い冬沼にうつしてしまった


沼の青さがからだに滲み透って 枯草に光ってゐた


沼底をみやうとするとたん 私の顔にくる うす青い反射を意識する

世間に知られることもなく蒲生野の牧歌的な絵を強い筆致で描き続けた男が
自身のことを表現したに違いない、この詩の悲しみが胸に滲みてくる。
冷たい沼の底で、黙々と生き、そして死んでいく...
「心せめぬいて 冬沼の青さに自分をおちつける」
水の青さ、清らかさを貫く覚悟...
そうして絵を描き続けたのかな...

暗かった森に光が射しこんで、紫色の花びらに赤みがさして焔と化した。
それは無数の花へと燃え移っていった。
春の日の感傷は、一瞬にして蒸発して森のなかへと吸い込まれていった。