四角い煉瓦積みの煙突が
梅雨の合間の白藍色の空を見上げていた。
常滑には夕陽を観に何度か来たことがあったが
泊まったのは初めてだったから、朝の散歩に出た。
海を見おろす西向きの斜面にはりめぐらされた迷路のような
街のいたるところに積み上げられ、埋め込まれ、放置されたレンガやら土管やら壺は、
おそらく観光客のために後から埋め込まれたのだろうか...
もう8時になるというのに、街には物音ひとつなく
人通りもほとんどなかった。
常滑焼の発祥は平安時代末期というから900年前...
知多半島に点在していた窯元が淘汰されて、この常滑地域に集結した。
古くから広く国内に流通したようであるが、時代の流れとともにその姿も変遷し
近代に入って明治初期に上下水道の普及とともに土管として採用され
また植木鉢等にも多く使われるようになり、大量生産への道をたどる。
かつては黒煙を撒き散らしていたという煙突には雑草が生え
往時を偲ぶ巨大な登り窯も、いまは時代の墓場のように斜面に横たわっている。
登り窯の斜面に沿って階段を上り、窯の入口の奥を覗き込む。
頭上で騒ぐ葉擦れの音の向うで、人々の声が聴こえるような気がする。
全身真っ黒になって働く男たちの姿が浮かぶ。
やがて窯に詰め込まれた薪から凄まじい勢いで炎が上がる。
男たちは肌を焦がすほどの灼熱地獄のなかで
黙々と入口を塞ぐ煉瓦を積み上げていく
一人の若い職工の汗と煤にまみれた横顔のなかで
瞳だけが焔を映してらんらんと燃えている。
もしかして彼は、陶芸家を目指してここに来たのかな
大量生産の時代に呑まれて、一介の職工になったのかもしれない。
窯の中で燃え盛る炎を見つめて、胸中に今一度火を灯そうとしたのか
「にいちゃん 俺もさ、青雲の志をもって田舎から東京に来たんだけどさ...
にいちゃん 青雲の志わかるか?俺はダメだったけどさ。兄ちゃんはまだ若いんだ。頑張れよ」
大学生4年生の夏、どうしても現金が必要になって港の冷凍倉庫でひと夏 日雇いのバイトをしたとき...
冷凍コンテナの荷台から鱈の入った木箱を運び出しながら、そのトラックの運転手に言われた一言を思い出した。
「青雲の志」か... 俺はそんな志さえ持てなかったな
目標も夢も持てないまま、ずるずると生きてきてしまった。
長い人生のたった10分の出会いが、蘇ってくるなんて…
轟々と燃える炎が見たかったな…
量産で一時代は隆盛を誇ったこの街も
新素材が次々に入ってきて、一気に衰退していった。
900年の歴史が幻であったかのように...
何故そんなに生き急いでしまったのか
そろそろ仕事に出なければ...
そう思って急な坂道を降りはじめたとき
向うに伊勢湾が横たわっているのが見えて、昨日海辺で見た夕陽を思い出した。
そして、西の空が夕陽に染まるその一瞬に、
火を吸いこんだような朱色の陶器の欠片が、いっせいに燃えだす情景が浮かんだ。
僕は土管の欠片の敷き詰められた坂道を一気に駆け下りていった。
2019年2月25日掲載