君の悲しみが美しいから...

「うちの桜を撮ってくださって、ありがとうございます」
背後から突然声をかけられて、はっとした。
振り向くと、小柄なおばあさんが微笑みながらそこに立っていた。

 

うちの桜と言ったよな...
もしかして人の敷地に入ってしまったか...
覗いていたファインダーから慌てて目を離し、姿勢を正して「すみません 勝手に入ってしまったようで...」と頭を下げた。
柵も門もなく、ただその桜に引き寄せられてこの舗装のされていない小路に入ってしまったのだ。

 

「いいのよ。それより、うちのおとうさんが植えた桜を撮ってくださって嬉しいの」
「...」
「ここの上の通りはみんな花見にくるけれど、ここまでは入って来る人はいないから...
 誰もこの桜なんか見向きもしないわ。 あなたみたいな人は珍しいのよ」

 

富山呉羽山...小高い丘のような山であるが
麓の民芸村から坂道に沿って頂上まで染井吉野が満開になり、花見の客で賑う。

 

天気が良いと立山連峰が一望にできる頂上まで登ってみたが
今日は、春の霞がかかって遠くに見えるはずの稜線は真っ白に濁って何も見えなかった。
坂道を降りてくる途中で谷間の鬱蒼とした木立のなかに瓦屋根が見え、
山桜と辛夷が咲いていたので、細い階段を降りてその路地を入ってきたのだった。


 

おばあさんは、80代後半くらいだろうか...
両手に杖をついていていた。
「うちのおとうさん...もう亡くなって10年経つんだけどね。
 桜が好きで好きで、どこかの山に行っては、枝を採ってきてここに植えてたの。
 育たないで枯れちゃったのもたくさんあるけど、何本かはうまく育ってね
 こんなに大きくなっちゃったわ。
 おとうさんが生きてたときは手入れもしてたんだけど、
 いまは雑草も伸び放題... 」
「僕はね、染井吉野より山桜の方が品があって好きなんですよ」
そう答えると
「ちょっとよかったら観て行って」
といって、両手の杖を交互に前に出して倒れ込むような歩き方で庭に入る階段を降りていった。
そこには、種類の違う何本かの山桜のほかにも春の花々が咲き乱れていた。
何年前に植えられたのか、一番背の高い桜は6〜7mはあるのではないかと思われた。
ただ、手入れができないのだろう...斜面になったところには雑草も生えたままだった。



あの桜はいついつ、あの桜はいついつというように思い出を語り始める。
時おり木立を抜けてくる風が心地よい。

 

話しながら、おばあさんの視線がどこか遠くを見るように空を見上げる。
僕は気づかないふりをして一緒に空を見上げる。
庭をせわしなく歩き回って桜の世話をするおじいさんの姿が思い浮かぶ。


 

おばあさんが不意に沈黙すると
さわさわと揺れる木々の葉擦れの音が聴こえる。
おじいさんが亡くなられた日
おばあさんの悲しみはいかばかりであっただろう...

 

 

自分のいちばん深いさびしい気持ちを、ひそやかに荘厳してくれるような声が聴きたいと、
人は悲しみの底で想っています。
そういうとき、山の声、風の声などを、わたしどもは魂の奥で聴いているのではないでしょうか。
                 石牟礼道子『名残の世』

おじいさんの遺した桜は、こうして春になると花を咲かせてはおばあさんに語りかけている。
彼女はいま、おじいさんに話しかけているのだ。
桜の花がいっせいにおばあさんに微笑み、そして風に散って彼女に降り注いでいく...

人間の苦悩を計る物差しはありえまいという悲しみ、
じつはその悲しみのみが、この世の姿を量るもっとも深い物差しかと思われます。
そういう悲しみの器の中にある存在、文字や知識で量れぬ悲しみを抱えた人間の姿、
すなわち存在そのものが、文字を超えた物差しであるように思われます。
           (前掲書)


いろいろな想いが蘇ったのか...
「私は少し疲れたから家に入るわ。あなたはゆっくり見ていってくださいね」
そう言って、おばあさんはまた杖をつきながら家の中に入っていった。

 

ぼくはしばらくそこに立ち尽くして桜を見上げ、
そして坂道を降りていった。

 

ふと足元を見下ろすと、山から浸みだした清水の流れに赤い椿の花が落ちていた。
清らかな冷たい水に身をさらしながら花は空を見上げていた。
おばあさんの悲しみが、胸の中に紅く咲いた。

 



若松英輔氏が、東日本大震災の後被災地で講演をした折に、
その講演を聴いていたあるご夫人から手紙が届いた。
そのご夫人は震災でご主人を亡くされ、その翌月交通事故で右腕をなくされていた。

ときおり私は、いただいたお手紙をじっと眺めているときがあります。
書かれている文字を読むのではなく、そこに刻まれている見えない文字を感じたいと願っているのです。
そこには、語られることのない人生の真実が記されている。
そのことが、私にははっきりと感じられるのです。お手紙の最後にあなたはこう書いてくださいました。

あまりにたくさんの方々の死にも向きあい、その悲しみのいき場がない感じがありましたが、講演で「どこまでも倖せになること」と言われ、夫が呼ぶまで倖せに生きて、たくさんの方々へもできることをやっていくことでいいと思えました。
 こうしてたくさんの命から命に温かな、大切なことが、こうして脈々と流れてきたことの荘厳さも改めて感じまた。
お心、ありがとうございました。


あなたがこうして生きてくださっていることそのことが、私を助けてくださっています。
倖せをあなたが語ってくださることで、私にも幸福がありありと感じられるのです。
 講演で幸福にふれたのは私ですが、幸福が何であるかを示したのは、私ではなく、あなたです。

   若松英輔『君の悲しみが美しいから 僕は手紙を書いた』


桜の頃にまた来ます。
どうかお元気でいらしってください。
心のなかで、おばあさんに呼びかけた。



おまけ
水墨美術館の一本桜