曼珠沙華と中川幸夫と

黄金色に染まりはじめた田園に
曼珠沙華の花が咲いていた。



狂おしく燃えた夏の恋の残像のように
身を捩りながらが燃える花びら。
天に向かってまっすぐに伸びる蕊は
彼女の祈りか...



残暑の眩しい陽射しの中でぱっと燃えて
あっという間に萎れて堕ちて行く儚いいのち…
それでも
生まれかわってもまた燃えずには居られない
悲しい宿命の花



血よりもなお赤い花びらを見詰めるうちに
ふと、先日 富山の樂翠亭美術館で見た中川幸夫の花を思い出す。
死してなお燃え上がる花の想いを生け続けた男
生死のあわいで悶え血を流す花を見て多くの人は目を背ける
(作品のことはまた改めて書くとする)



幼少期に脊椎カリエスを患い、大きく背中が曲がってしまった中川が
生まれて初めて見た記憶が、故郷金倉川の曼珠沙華であったという。
池坊の四国総代であった祖父の影響で、生け花に親しみ池坊に入門するが
あまりの独創性の故に家元とぶつかり33歳で脱退
以後、どの流派にも属せず弟子もとらず、孤高の生け花作家として
極貧の中で花の本来のいのちと向き合ってどこまでも自由に花を生け続けた。
それは幼い頃、彼の眦に焼きついた曼珠沙華のような生涯であった。
草月流の創始者 勅使河原蒼風は、中川が丸亀から東京に出てくると
「恐ろしい男が花と心中しにやってきた」と語ったという...


若き日の中川と内縁の妻半田唄子の会話

哲学堂の木造アパートで幸夫と唄子はむかい合って座っていた。
その夜、二人は食事を抜いているのだ。
 二人の間には見事な椿の花があった。
「これ、花屋さんに返してきましょうか」
 二人は花屋で見事な椿の花を見つけ、つい買ってしまい、食事する金がなくなってしまったのである。
 唄子は椿を手にして立ちあがった。
「やめなさい」
 幸夫は唄子の手にした椿を奪って、やにわに椿の花を食べた。
「あなた……」
「この花をメシにかえるぐらいなら、僕はこの花を食う」
 幸夫は椿の花を顔もしかめずに食べてしまった。
「君も食べるか」
「いえ、私はいけます」
 唄子は残った椿の花を時間をかけて小さな花器に生けた。生けている間は空腹を忘れる。
 出来あがって、窓辺に置いた。
 幸夫は黙って見ていたが、花器ごと手もとに引き寄せると、椿の花を全部引き抜いた。
「なにするんですか」
「君はいけ終わったんだろ。今度は僕の番だ」
「それは判りました。しかし、私が一生懸命にいけたものを、黙って壊すことはなかでしょう」
 昂ぶると唄子は博多訛りが出る。
「つまらんなら、つまらんと。言うのが、なんぼ夫婦の間でも礼儀でしょうが」
「そうだった。ぼくが悪かった……」
 幸夫は不意に穏やかな顔になった。そして。言う。
「唄子さん、あなたのいけた椿は、つまらんでした」
「……どこがですか」
「唄子さん、椿という字を書いてください。さあ、書いてください」
「……書きました」
「木へんに春と書きましたね」
「……はい」
「唄子さん、椿には、春をや感じさせるものがなくては椿じゃないです。
あなたのいけた椿はただ赤い、美しい花を見せるためだけのものです。
あれなら、ひまわりだろうが、菊だろうが、カーネーションだろうが、どんな花だっていいんです」
「さっき花屋の前で、僕たちはこの椿に出会った。つい、夜の食事を忘れるほどに心を奪われて、
椿を買ったのは何故ですか。……何故ですか」
「……美しかったからです」
「美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです」
「……」
「この椿に、春の美しさ、春の近さを感じたからでしょう。
僕たちは今日、新宿のキャバレーに花をいけてきた。東京での初仕事だ。
おい花屋、もっと面白い花をもってこいとボーイにいわれても、黙って一生懸命に花で店を飾った。
二人とも電車賃を倹約しようと歩きだした。そうだったね」
「はい」
「歩きながら、僕は考えていたんだ。……こんなはずじゃなかった。
こんなにいけ花作品だけで生きていくのが難しいとは思わなかった。僕は甘かった……。
多分、僕が印刷の仕事に手を出せば、生活は楽になる。しかしそれだけはしたくない。
それなら、四国から、あなたを誘って出てきた意味がない」
「そうです。意味がありません。ですからあなたが印刷の仕事をすればええのにと思ったことは一度もありません。
ほんとに一度もありません」
「……でも唄子さん、ぼくは、冬はどんなに厳しくても、必ず春はくると信じています。
必ず僕たちのいけ花にも春の季節がくると思って、自分をはげましながら歩いているとき、この椿をみた。
この願い、どんな他の花にもない硬い蕾こそは、中にある春がどんなに大事なものかを教えてくれているんだ」
「はい。私もそう思います」
「だったら、この椿の春への思いをいけなくて何のためのいけ花か」
 『君は歩いて行くらん 中川幸夫狂伝』 早坂暁


世間から如何に狂人扱いをされようとも
自らの花への想いを信じ、春が来ることを信じて
彼は闘い続けたのだ。


曼珠沙華は、まっすぐにそして静かに立っていた。
一途な祈りと悶えるほどの情熱を携えて…
どこまでも高い蒼天を見上げていた。



僕はあぜ道に屈みこんで
その色を瞼に焼き付けるために瞼を閉じた。


*おまけ
作品の写真は著作権で貼れないので、一例のリンクを貼っておきます。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/promotion/22734


                      2019年4月29日掲載


おまけ

中野重治『古今的新古今的』
君は歩いて行くらん
おかしなステッキをもつて
途中で自動車が追い越すらん
そして美しい老人が会釈すらん
西園寺公望公爵の車なり


君は歩いて行くらん
きょろりきょろりと
そしてやがて三途の川に着くらん
君は渡し銭を出さねばならぬ
君はにやりとして支払うらん
やがてばばァが着物を脱げという
そこで君がいつそうにやりとりして止せというらん


君は歩いて行くらん
どこまでもどこまでも
そうしてとうとう着くらん
大きな門の前に
そこで君は例のステッキをあげ
つぼめた口して開門開門というらん
どうれと中からいうらん
切符があるか
切符はこれだといつて
君が片あしで立つてくるりと一まわりすらん

中川と親交のあった写真家土門拳は、
この詩は中川の人生だと言ったそうである。





おまけ2
その日の夜の「サンセット」
正確には覚えていないが、30代の前半だから25年ほど前
大五郎さんに連れてきてもらった名古屋のイタリアンレストラン
マスターの安藤さんは、大五郎さんとはバンド仲間で、
若い頃はプロのドラマーとして有名バンドでドラムをたたいていた。
そして1980年に伏見のヒルトンの近くにこの店を開店
大五郎さんと名古屋で食事をするとここに来たものだが
それからリストラになってしまい、大五郎さんと会う機会もなくなり
この店にも来なくなってしまった。
約20年ぶりに訪れてからFaceBookで繋がって、また来るうようになった。
大五郎さんともまた違って、安藤さんのお人柄にもすごく惹かれる。
2020年で40周年 名古屋では一番の老舗イタリアンである。
一人で厨房を切り盛りされているので、混んでいると話す時間もないが
たまに出てこられて話しかけてくださる。
常連さんとも最近は繋がりはじめて、とても嬉しい。
40年と言わず、50年60年目指して元気で頑張ってくださいね。