波紋

森の外には雨が降り出したようだった。
木立の隙間から見える田園も雪を被った立山
シルクのヴェールに包まれていった。

冬でも枯れることのない沢杉の森は
雨を吸い込んでしっとりと膨らんでいくようだった。
鬱蒼と頭上を覆う木立の下には、まだ雨は落ちてこない。
湧水が溜まってできた澄み切った池は、雨の気配を感じているのか
息をひそめてその時を待っている。
あのとげとげした葉先で霧のような雨が水滴になって
やがて滴り落ちてくるその瞬間を...
僕はその畔に屈みこんで、黒い森を映す鏡のような水面を覗き込む。

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年末から二月の前半にかけては、自分が手掛けてきた装置の納入設置が相次ぎ
息をつく暇もないまま一気に駆け抜けてきた。
終わってみれば達成感よりも疲弊感のほうがおおきくて
こんなことをして生きているということが、どうしようもない徒労に思えた。

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ただ、この森に来たかった…
かつては黒部の海岸に沿って果てしなく拡がっていた湧水の森に...
人間の欲望に散々に痛めつけられてそのほとんどが伐採され
わずかに残ったその森はいま、人に守られながらひっそりと生きている。
ここに足を踏み入れると渇いたいのちが潤っていくのだ。

そして... 
暗い水面のうえに最初の一滴がぽとりと落ちる。
真円の波紋がゆっくりと拡がっていく。
杉の葉の先で一滴の雫となった雨粒がいま
百年の眠りから醒めた立山の湧水のなかに静かに溶けて込んでゆく。
音に形があるのなら、こんなふうにひろがってゆくのだろうか...
鍵盤のうえに人差し指を置いた瞬間の哀しみが想いだされ
疼くような痛みが胸にひろがっていく。

二つ…三つ…そして、杉の葉先から無数の雨粒が落ち始める。
冷たい雨に打たれて、僕は慌てて傘を開く。
こんな雨を樹雨(きさめ)というのだったな…
なんとなく寂しい響きだ。
森が濡れそぼってゆく...
不規則に落ちてくる樹雨が、杉の足元にひろがる草木を濡らし苔に滲みて、大地を潤してゆく。

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不規則にとめどなく水面を揺らす波紋は
強く弱く円を描いてはひろがり…そして消えてゆく。
エリック・サティ―の、よるべない短調の音階が
僕の脳髄のなかで流れ始める。

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そんな音楽の瞬間を切り取ろうと、カメラを向けてシャッターを切り
ファインダーの中で静止したその波紋を見てはっとする。
ああ...いのちの姿ではないか...
生まれ落ちたいのちは、波紋をひろげながらそして生命の大海に溶けてゆく。
生死…生死…生死....。
無数の波紋は、遠く近く…それぞれの場所に生まれ
他のいのちの波紋と触れ合い、重なり合い、響きあいながらひろがってゆく
ああそして、重なり合おうと響きあおうとも、
最後までその円は形を変えることはないのだ...
孤独なものだな… 
考えてみれば孤独とは....独り弧を描くと書くのだったな....
誰もいない森のなかで、背を丸めて水辺に屈みこむ自分の後ろ姿は
この一滴の雨粒のようなものかもしれない。

無数の生物が生死を繰り返す森のなかで
無数のいのちが立てる波紋に包まれながら
ささくれた自分のいのちが癒されてゆく。
降りやまぬ雨のなかで、サティ―はずっと響いている。


おまけ

富山の夜.... 


艶次郎は、独り飲み
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そして
立飲みで出会った城野さんと...
ワインバーにも連れていってもらった。
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阿寺渓谷

車を降りた瞬間に、冷気が肌に刺さった。
ガードレールに手をついて、恐るおそる切り立った谷底を覗き見る。
冬は車も入ってくることのない山の中...
すべてが寝静まりまた死に絶えた灰色の世界のなかで
その川の水だけが碧い眼差しで天を見上げながら流れていた。

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正月休みを返上して一週間の出張
客先の工場にある装置を設置する工事を終えて休暇をとった。
木曽に来たのは数年ぶりのこと
18歳の時に一人旅で出会って以来お付き合いしている
妻籠宿のSさんにお会いするのが目的だった。

津川駅で車を借りて木曽川を北上していくうちに
木曽川に流れ込む支流のその色の美しさに惹かれて
そのまま雪の積もる川沿いの道を登ってきたのだった。

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この色はどこから来るのだろう...
ここに川ができたときから何千年もこうして変わらず流れてきた色
そのときふと、志村ふくみさんの緑色への考察が浮かぶ。
自然の色と向き合ってきたふくみさんの色への想いが...

 自然はどこかに人を引きつける蜜のようなもの、毒のようなものを、
あの蜘蛛の巣の美しい網のようにひろげていて、私はそこに引っかかり
穴から落ちたアリスのようなものだった。その入口は緑である。
 植物の緑、その緑がなぜか染まらない。
あの瑞々しい緑の葉っぱを絞って白い糸に染めようとしても緑は
数刻にして消えてゆく。どこヘ。この緑の秘密が私を色彩世界へ導いていった。
(中略)
仕事をはじめて十年余り、徐々に膨らむ謎の奥に何か足がかりが欲しい、
私が何故か、と思うことに答えてほしいと絶えず求めていた。
 そんな時、出会ったのがゲーテの「色彩論」だった。
『自然と象徴』(冨山房百科文庫 一九八二年)によって
謎が次々に解けるばかりではなく、今まで私か漠然と求めていた感覚の世界に
的確な足がかりがあたえられたのである。
含蓄ある一点、導きの糸は、そこからするすると紐が解けるように
私を色彩世界の扉へと導いてくれた。
 緑の戸口には次のように書かれていた。

 「光のすぐそばにわれわれが黄と呼ぶ色彩があらわれ、
  闇のすぐそばには青という言葉で表される色彩があらわれる。
  この黄と青とが最も純粋な状態で、完全に均衡を保つように混合されると、
  緑と呼ばれる第三の色彩が出現する」
                         (『色彩論』序)

緑は第三の色なのである。直接植物の緑から緑はでないはずである。
 闇と光がこの地上に生み出した最初の色、緑、生命の色、嬰児である。
一度この世に出現した植物の緑は、次の次元へ移行しつつある
生命現象のひとつである。
志村ふくみ『ちよう、はたり』より

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闇に最も近い色...青と、光に最も近い色...黄色が合わさったときに
初めて緑が生まれる。
闇は死 光は生 緑は生死のあわいの色なのである。

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眼下を流れゆく水の色を見おろし、そして曇った空を見上げる。
やがて日が暮れて、夜の帳が降りてくる。
川は色を失い、漆黒の闇に溶けていくのだろう。
或は水面に星を映し、月を浮かべる夜があるかもしれぬが
水底には光は届かない。
ただ漆黒の流れが恐ろしいような音を立てて流れてゆく。
やがて夜明けとともに光が射しこんで、藍から緑へと目覚めてゆくのだ。
闇がなくても光がなくても、この美しい生命の色は出現しない。

人の生きるこの世界には
闇を消し去ろうとして、温もりのない しかし強烈な人工の光が増えすぎた。
その光は闇を消すのではなく、
光の当たる場所と当たらぬ場所をくっきりと塗り分けていった。
闇は益々深まってしまった。
社会においても、一人の人間においても...
いのちに届く光を取り戻さねばならない。
闇に射しこむ光を...
いのちのなかには、こんなにも美しい色が宿っているのだ。
川は静かに流れていた。

気が付くと陽が傾きかけていた。
こんな山の中で生きてきたSさんの
一点も曇りのない澄み切ったような笑顔を思い出し。
車に乗り込んでSさんの住む集落へと降りていった。

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月山

庄内平野を渡っていく風が、田んぼに積もった粉雪を巻き上げて
無数の渦を作りながら、乾いたアスファルトのうえを横切っていった。
午後になって、気温はやっと零度を超えたが
強風にあおられた細かい氷の粒は砂嵐のように襲いかかってきて
顔じゅうに突き刺さり、化繊のコートの生地の表面でぱちぱちと弾けた。

蒼い雪景色の彼方に見える月山の、牛の背のような頂だけが
午後の太陽に照らされて眩しく輝いていた。
『月山』の冒頭のあの情景を想い浮かべながら
引き寄せられるようにして、僕は車に乗り込み月山に向けて走りはじめた。
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 ながく庄内平野を転々としながらも、
わたしはその裏ともいうべき肘折の渓谷にわけ入るまで、
月山がなぜ月の山と呼ばれるかを知りませんでした。
そのときは、折からの豪雪で、危く行き倒れになるところを助けられ、
からくも目ざす渓谷に辿りついたのですが、彼方に白く輝くまどかな山があり、
この世ならぬ月の出を目のあたりにしたようで、
かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです。
しかも、この渓谷がすでに月山であるのに、
月山がなお彼方に月のように見えるのを不思議に思ったばかりでありません。
これからも月山は、渓谷の彼方につねにまどかな姿を見せ、
いつとはなくまどかに拡がる雪のスロープに導くと言うのを
ほとんど夢心地で聞いたのです。
      森敦『月山』

月山・鳥海山 (文春文庫)

月山・鳥海山 (文春文庫)


小説の時代とは違って、道は整備されていたが
月山に近づくにつれて空は白くなり、いつしか雪が舞い始め、
やがて月山がどこにあるのかさえ、わからなくなってしまった。

月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然の姿を見せず、
本然のすがたを見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを
語ろうとしないのです。
月山が古来、死者の行くあの世の山とされていたのも、
死こそはわたしたちにとってまさにあるべき唯一のものでありながら、
そのいかなるものかを覗わせようとはせず、
ひとたび覗えば語ることを許されぬ、
死のたくらみめいたものを感じさせるためかもしれません。
    (前掲書)

ナビだけを頼りに、『月山』の舞台になったその寺に向って急な坂道を登っていく。
道が細くなっていったその先で、
一棟だけ残っていた大きな木造の廃屋が雪に潰されてひしゃげていた。
世間と遮断された山のなかで密造酒をつくり、
行き倒れになった旅人の死体の内臓を抜いて燻してミイラをつくっていたというその部落は
消滅して厚い雪の下に眠っていた。
廃屋のさらに奥には、小説に描かれていたとおりの雪囲いをされた注連寺の
巨大な本堂が雪のなかで黒々と佇んでいた。

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引き戸の隙間から、住職もいないという寺の中を恐る恐る覗き込むと
人の気配に気が付いたのか、案内人の老婆が入るようにと促す。
敷居をまたぐと、何故か外よりも寒いような気がして背筋がぞっとする。
畳のじっとりとした冷たさが足の裏にねばりつく。
この世ならぬ空気が胸を圧迫し、ここに踏み入れてしまったことを後悔した。


『月山』を読んできましたと言うと老婆は頷いたが
「あげな難しい小説はオラにはわがんねェがの...」と言うと
何十年も繰り返してきたのであろう決まり文句の寺の案内を
イントネーションの不自然な標準語で始める。
この老婆までもが、この世ならぬ生き物のように見えてきた。

老婆に導かれるままに本堂に入ると、
その隅の厨子のなかには、あの薄気味悪いミイラが仰々しい衣装を着せられて、
薄笑いを浮かべたような真っ黒な顔で座っている。
ここには五体もミイラがあるというのだから
旅人を燻してミイラを作ったという話も、作り話ではないような気がしてくる。
重苦しい空気に気分が悪くなり、老婆に挨拶をして外に出る。


本堂の階段を降りるとその奥には庫裡が建っている。
小説のなかで「わたし」が過ごしていたのは、あの二階の広い部屋の片隅か...
「わたし」は、朽ちた雨戸から粉雪の吹き込む部屋に障子を立て仕切りをつくり
そこに渡した細木に旧い祈祷簿を破っては貼りつけて作った小さな部屋であった。

それはもう廣野の中の小屋などという感じではなく、
なにか自分で紡いだ繭の中にでもいるようで、
こうして時を待つうちには、わたしもおのずと変成して、
どこかへ飛び立つときが来るような気がするのです。
 しかも、吹きは終夜吹いては吹き疲れ、明け方には寂まって、
やがていつ吹くともなく吹きはじめ、
夜にはいるにしたがって激しくなるのです。
たとえ吹いても、吹きつける吹きはサラサラとして障子を濡らすこともなく、
その障子も腰高の窓と廊下越しの部屋の敷居に立てられているので、
雨戸も開けていられるのです。
(中略)
どうやら今夜も月夜のようです。
わたしが独鈷ノ山で見たこれらの渓谷をつくる山々や、
彼方に聳えて臥した牛のように横たわる月山も、
おぼろげながら吹きの上に銀煉しに浮き立っているであろう。
そんなことを思っていると、わたし自身が吹きとともに吹いて来て、
吹いて行くような気もすれば、
もはやひとつの天地ともいうべき広大な山ふところが、
僅か八畳にも満たぬこの蚊帳の中にあるような気もするのですが、
眠りを誘う単調なまでの吹きのざわめきに、うつらうつらして来たようです。
しかし、これもひとり繭の中にある者の、
いわば冬眠の夢といったものかもしれません。
 (前掲書)

吹き(吹雪)とともに吹いて来て吹いてゆく... 
生きて死ぬとはそういうものなのかもしれない。
繭のなかで蚕が見ると言う天の夢のように、儚くよるべなく...
粉雪の一粒になった自分が、天から落ちて吹きに吹かれるままに谷を渡り
そして、見も知らぬ場所に落ちて行く姿を想いうかべる。

空はますます白く濁り
月山がどの方向にあるのかさえもわからなくなってしまった。
死は彼方にあるようにも思えたし、足元にあるようにも思えた。
月山の上にのぼる月が観たいと思った。




おまけ
遠ざかって再び姿を現した月山
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肘折の谷で食べた蕎麦
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倉敷川の紅葉

名残の紅葉が、力尽きたように一枚また一枚と枝から落ちて
水源のない倉敷川のどん詰まりの 黒い水面に貼りついてゆく。
乾いた葉は水を吸って一瞬息を吹き返し、
黒地に錦繍の柄を描いていった。
初冬の乳色の空の上に 輪郭のはっきりした白い太陽が上がっていた。

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倉敷駅前の旧いビジネスホテルの穴蔵のような部屋から抜け出して
朝飯を食べるために外に出た。
朝まで降っていた雨に濡れた横断歩道を渡り、シャッター通りの商店街に入って
一軒だけ灯りの点いている古民家を改装したカフェで朝食をとり
そのままふらふらとこの川の畔にたどり着いたのだった。

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岡山のK市から、ある環境問題が協会に寄せられて
自分のところに突然協力要請の電話があったのは先月のことだった。
転職の繰り返しの末に、失業保険が切れて転がり込んだいまの会社では
自分の積んできた経験は殆ど活かせずに、一からやりなおして8年...
環境関連の仕事を離れてもう10年以上が経ってしまった。
元々出張生活で厳しいなか、時間をこじあけて岡山に通うのは酷であったし
問題の大きさに怯んで、辞退しようとしたのだが...
以前その仕事をしていた頃に自分を育ててくださった故H先生の顔を思い出し
先生なら「勇気を出しておやりなさい」と言われるだろうと思ってお受けした。
今日は午後からその初会合であった。


昨夜は久しぶりに倉敷に泊まり、友人が教えてくれたバーに行った。
大きな壺に活けられた山茶花の紅い花が、カウンターのうえに散る静かな空間で
Adbegをちびちびと飲みながら、物静かなマスターと、山茶花の下にいた青年と
ぽつりぽつりと話をした。
話している間、僕の神経はカウンターの隅に落ちた山茶花の花びらに注がれていた。
暗闇のなかでスポットライトあたるその美しい屍を見詰めながら
ふと、H先生に導かれてここに来たのかな...と思った。

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ONODA Bar
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紅葉は音もなく次々と落ちてゆく
流れのない川面は、いつしか紅葉で覆い尽くされていった。
ああ、これも屍だな。
すでにモノとなってしまったいのちの抜け殻は
それでも、最後の美を競うようにそこに浮かんでいる。

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そのとき、不意にけたたましい泣き声をあげながら降り立った白鳥が
ひろがる錦繍を切り裂いて川面を滑っていった。
左右に割れてゆく絨毯の下から現れた泥水のなかへ
その水かきに蹴られた紅い葉が悶えるようにして
ゆっくりと消えてゆく。

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戯れるように落葉を蹴り続ける白鳥の
何色にも染まらぬその白い羽に、僕は憎しみを抱いた。


自分もいつかはああして沈んでゆくのだろうが
人々のなかに入ってちっぽけな使命でも為していかねばならぬ
会議に向かう電車の時間が迫っていた。
僕は大きく息を吸い込んで、駅に向かって大股で歩きはじめた。

紅に染まる

ゆらゆらと波立つ清流の水面が、
血を流したような深紅に染まっていた。

紅葉の盛りを過ぎたくらがり渓谷…
僕はひとりになりたくて、歩道を逸れた渓流伝いに森の奥へ奥へと歩いていった。
悩める一人の友を想いながら...
傾斜が緩やかになったそのとき
ふと足元にその血の海を見て足を止めたのだった。


打ちひしがれて悩み抜いてそしてやり場のない悲しみに暮れる
その友の心がそこに映し出されているように思えた。
臆病な僕は、彼になんと声をかければよいのかもわからないまま沈黙し
ただ彼の痛みが過ぎ去ることを祈ることしかできなかったのだ。

僕は、大きな岩に腰を下ろす。
頭上には、秋の深い蒼空を覆い隠すほどの紅葉が拡がっていた。
水面に映しだされていたのは、無数のいのちの悲しみであった。
その悲しみは、生きていることの悲しみだろうか...
それとも死ぬことへの悲しみだろうか...

紅い水面にほつりほつりと紅い葉が落ちては流れてゆく
生と死が...悲しみが... とめどなく降りしきっていた。
そして僕の胸のなかには、あの友のそしてあの友の悲しみが降りはじめた。

 僕にはある。僕にはある。僕にはまだ嘆きがあるのだ。僕にはある。僕にはある。
僕には一つの嘆きがある。僕にはある。僕にはある。僕には無数の嘆きがある。
(中略)
 一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。
僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ……。
  原民喜『鎮魂歌』より

若き妻を病で亡くし、そして原爆で奇跡的に助かったものの家族を亡くし
そして無数の死を眼にした原民喜は、
自分の生の深みに導いたのは、死者たちの嘆きであると詠う。

ああ、この生の深みより、あおぎ見る、空間の荘厳さ。
幻たちはいる。幻たちは幻たちは嘗て最もあざやかに僕を惹ひきつけた面影となって僕の祈願にいる。
父よ、あなたはいる、縁側の安楽椅子に。母よ、あなたはいる、庭さきの柘榴のほとりに。
姉よ、あなたはいる、葡萄棚の下のしたたる朝露のもとに。
あんなに美しかった束の間に嘗ての姿をとりもどすかのように、みんな初々しく。
 友よ、友よ、君たちはいる、にこやかに新しい書物を抱かかえながら、
涼しい風の電車の吊革にぶらさがりながら、たのしそうに、そんなに爽やかな姿で。
 隣人よ、隣人よ、君たちはいる、ゆきずりに僕を一瞬感動させた不動の姿でそんなに悲しく。
 そして、妻よ、お前はいる、殆ど僕の見わたすところに、
最も近く最も遙かなところまで、最も切なる祈りのように。

死者よ、死者よ、僕を生の深みに沈めてくれるのは...
ああ、この生の深みより仰ぎ見るおんみたちの静けさ。
 僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。
堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。
嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失った僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。

 明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀さえずるだろう。
地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもってそこを通りすぎるだろう。

   (前掲書)

人はみな心の底にそれぞれの悲しみを抱きしめながら生き、そして死んでゆく。
胸をえぐられるような悲しみこそが、生の深みを垣間見る道標であり
一人の人間を美しく彩るただひとつの要因なのだ。
美の底に眠るものは、悲しみだけなのだ。


だから悲しみに背を向けるのはやめよう
僕は僕の悲しみにまっすぐに向き合って、そして祈るのだ。
そして友よ... 打ちひしがれて眠れぬ夜があることも、僕は知っている。
しかし、その悲しみこそがきっと君のうえに美しい花を咲かせる。
いのちの中から咲く花は、誰人も手折ることはできないのだ。

渓流に沿って歩きはじめたとき
何かに呼ばれたような気がしてふと見上げると
まっ白な山茶花の花が恥じらうような眼差しで、こちらを見おろしていた。

僕は誘われるままに森の奥へと歩みを進めていった。



おまけ
翌朝の浜松の日の出

能舞台『沖宮』

能舞台のうえで緋色の花がぱっと咲いた。
白装束の少女あやが
目の覚めるような鮮やかな紅の長絹に袖を通す。
小さな白足袋が舞台を滑り
能舞台は佳境に入っていった。


水俣病との闘いに生涯をささげた石牟礼道子さんが
最後の力を振り絞って遺言として書いた新作能「沖宮」(おきのみや)
島原の乱の後、天草を襲った飢饉
村人の間で雨乞いの人柱に選ばれたのは、天草四郎の乳母の子あやであった。
島原の乱で四郎もあやの母も死に、みなしごであった故に
あやがいなくなっても誰も悲しまないどろうという村人の同意で
竜神への生贄となった。
「よきところへ行こうぞ」と少女に言い含め
緋の衣を着せて高貴な人に仕立てて小舟で沖へと船出させる。


水俣病は、日本の高度成長のしわ寄せとして
日本の端の美しい海とともに平和に生きてきた人々を
地獄の苦しみに陥れた。
それはチッソという会社によるものではあったが
海を汚し生命に致命的な傷をつけて行った有機水銀
当時全国民が恩恵を受けていた化学原料を増産する工程で出る物質であり
彼らは全国民の人柱となって悪魔に差しだされたのである。


産業の急激な発展によって、日本社会は戦後から今日に至るまで
驚くべき発展を遂げてきた。
ひたすら快適で便利な生活を求め、経済的豊かさを追い求めて
大量生産 大量消費 大量廃棄の道をまっしぐらに走ってきた。
情報化社会は、さらに産業や生活を革命的に変えたが、
いのちの本来の速度とは大きなズレが生じ、人々は常に他者に対していらつく。
そこに居なくてはならない人間は減らされ、入れ替え可能なパーツとしての人間…
人の存在が...いのちというものが...日に日に軽んじられ
いのちをいのちと思わないような事件や事故が加速度的に増える。
どこまで堕ちて行くのか...


そんな社会に警鐘を鳴らす石牟礼さんに志村ふくみさんが共鳴され
2011年の震災をきっかけに、2013年までの往復書簡と対談が
「遺言」というタイトルで発刊された。

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それは、今年の2月に逝去された石牟礼さんにとって、まさに遺言となったのである。
新作能「沖宮」への想い。そして能の衣装を日本最高峰の染織家志村ふくみさんに託す。
しかし、舞台の実現を目前にして石牟礼さんは90歳で天命をまっとうされた。
どれほどこの舞台を楽しみにされていたことか...


そんなことを想いながら、あやが舞台の上で舞う姿をぼんやりと見つめる。
あ! そうだったのか...
あやは、石牟礼さんの生まれかわりだったのだ!
平凡な一人の主婦が、水俣病を見て奮い立ち
生涯をかけて苦しむ民衆の先頭に立って闘ってきた。
美しい文章を武器として...

詩人とは人の世に涙あるかぎり、これを変じて白玉の言葉となし、
言葉の力をもって神や魔をもよびうる資質のものをいう。
  石牟礼道子『こころ燐にそまる日に』

自らが人々の人柱となって身を捧げてきた石牟礼さんが
いま若い身体になって、舞台の上で舞っていた。
自らの生涯までも一編の詩としてしまったのだ。
なんという執念か...


物語では、あやを乗せた船が沖へ沖へと流されて
紅の衣が小さくなったとき、雷がおちて雨が降りはじめる。
あやは竜神天草四郎に伴われて沖宮へと召されてゆく...
沖宮に行くとは死ぬことではない、
いのちの蘇る場所であると石牟礼さんは対談で語っておられる。


そして、夢のなかのような舞台は幕をおろした。

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舞台を観賞されていた美智子皇后さまをロビーでお見送りして
ビルに囲まれ汚れてしまった街へ出た。


破滅へと向かっている社会の
その片隅にはしかし花が咲いている。
いのちの中に咲く花の力を信じて合掌する石牟礼さんの詩を思い返し
僕は、地下鉄の階段を降りていった。

花を奉る  石牟礼道子

 春風萌すといえども
 われら人類の劫塵(ごう)いまや累なりて
 三界いわん方なく昏し
 まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに
 なにに誘(いざ)なわるるにや
 虚空はるかに一連の花
 まさに咲(ひら)かんとするを聴く
 ひとひらの花弁
 彼方に身じろぐを
 まぼろしの如くに視れば
 常世なる仄(ほの)明りを
 花その懐に抱けり
 常世の仄明りとは
 暁の蓮沼に揺るる蕾の如くにして
 われら世々の悲願をあらわせり
 かの一輪を拝受して寄辺(よるべ)なき今日の魂に奉らんとす

 花や何
 ひとそれぞれの涙のしずくに現れて咲き出づるなり
 花やまた何
 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに
 声に出せぬ胸底の想いあり
 そを取りて花となし
 み灯りにせんとや願う
 灯らんとして消ゆる言の葉といえども
 いずれ冥土の風の中にて
 おのおのひとりゆくときの花あかりなるを

 この世の有縁(えにし)といい
 無縁ともいう
 その境界にありて
 ただ夢のごとくなるも花
 かえりみれば
 目裏(まなうら)にあるものの御形
 かりそめのみ姿なれどおろそかならず
 ゆえにわれら
 この空しきを礼拝す
 然して空しとは云わず

 現世はいよいよ地獄とや云わん
 虚無とや云わん
 ただ滅亡の世迫るを待つのみか
 ここに於いて
 われらなお
 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す

   2011年4月20日

石牟礼:色のない世界からしか、色は出てこない。
志村:そのとおりですね。
洋子:最近になって、八十を過ぎてから母が紅花というか、緋色を一生懸命やりだしたというのが...
   紅花の色というのは、屈折がないんですね、他の色は屈折があるんですよ。
   蘇芳の赤であるとか、櫟(いちい)の朱であるとか、色に苦労があるんですけど、
   紅花は本当に色そのものなので、屈折がない。
(中略)
志村:なんか、人生の幕が開く前みたいな気がする。特別なんですね。
洋子:しかもそれはきれいごとではなくて、非常に深い悲しみの、
   ある意味、闇からしか出てこないという、そこが大事だと思うんですよ。
   光、命、希望、もちろんそれはそうなんだけれども、
   やっぱりそこに深い悲しみとか諦観がないと、けっして咲かないというか。
(中略)
洋子:紅の表現というのは…何て言ったらいいんだろう。
   紅はホントに難しい。真意がなかなか伝わらないので。
石牟礼:美なんですよね。究極的には。
洋子:その美というものが、ほんとうにきれいなだけが美なのかどうか。
   悲しかったり苦しかったり、そういう人間の叫びみたいなものも美に昇華されるのか。
志村:それこそが美なのよね。そこをとおりぬけないとね。
石牟礼:美を失ったんですよ。失いつつあります、今の日本人は。
洋子:そうですね。
志村:その前に、真・善がもう失われつつあるから、美も必然的に失われてゆくしかない。
   そこに踏みとどまることのむずかしさ..たいていは手放しますよ。
洋子:美を勘違いしている。きれいなものを美しいと思って、そっちをやっているけど、勘違いしている。
   本当の美が取り残されて、滅びるというか。でも、この美がないと、命はよみがえらない。
 『遺言』 石牟礼道子・志村ふくみ・志村洋子 対談

雨の兼六園

川を模した流れにかかる石橋に差しかかったとき
薄鼠色の空から糸のような雨が落ち始めた。
水面に浮かんだ輪郭のぼやけた太陽が
折り重なる同心円のうえで拡がっては消えてゆく。

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流れから取り残された黄葉の配列さえもが
庭師たちの企みではないかと思うほどに美しい。

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兼六園の紅葉がもう一度観たくて
富山出張前夜に金沢に泊まって早朝の兼六園に足を踏み入れた。
昨日までの晴天は失せて、すっかり雲に覆われてしまった空を見上げて
北陸らしい空の演出も整ったなと幸福に感じた。

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金沢は江戸の町である...そんな対談を読んだことがある。(『日本の町』丸谷才一 山崎正和
全国各地の古い街並みを残した町を小京都と呼ぶが、金沢は小京都とは呼ばれない。
たしかに兼六園を観ただけでもそれはわかる。京都にこんな庭園はない。


前田家は加賀を拝領してから、徹底して文化の振興に力を入れる。
徳川に二心のないことを示す目的でもあったが
一方で一向一揆が非常に盛んで、権力者を悩ませていた土地で
これを抑えるのは武力ではなく文化しかないと考えたらしい。
明治維新の後も
京都が文化を売り物にして観光都市の道を進んできたのに対して
金沢は文化が生活に根付いた文化都市として発展してきたと山崎氏は語る。
兼六園にも、その思想は受け継がれてきたのだろうな…


雨は強くもならず、しかしやむこともなく降っている。
最盛期を過ぎた紅葉は、雨に打たれて濡れそぼっていき
はらりはらりと散り落ちては、苔のうえに彩をなしていった。

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春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。
春はやがて夏の気をもよほし、夏よりすでに秋はかよひ、秋はすなはち寒くなり、
十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。
木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。
  兼好法師徒然草』第155段

厳しき冬を迎えるまえのひと時…
木々の枝のなかに既に芽吹くいのちが萌しているのなら
堪えず落ち行く木の葉がそれぞれに美しく装うことの
なんと健気なことか...
そして、散り落ちる足元に青々とした苔を敷き
清流に見立てた流れを配した庭師たちのなんと粋な計らいか

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山水を模していくうちに、彼らは草木の生死と向き合うようになり
生も、そして死をも美しく仕立てようとするうちに
いつしか山水が息づいていったのだろう...

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雨とはいえ、紅葉の季節で観光客は多い。
それでも、京都や東京の庭園と違ってここは静まりかえっている。
広大な庭園のいたるところで、渾身の力を振り絞るように
冬の眠りに入るまえのいのちが燃え上がっていた。


立派な黒松の下に立って、ああそろそろ雪吊り作業が始まるのだなと思う。
ふと足元に目を落とすと、暗い水面に映ったその曲がりくねった太い枝が
じっとこちらを見ているように思えて、後ずさりした。
問われたのかな... おまえはどうなのかと....

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徒然草はこう続く

生・老・病・死の移り来る事、又これに過ぎたり。四季なほ定まれるについであり。
死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
  兼好法師徒然草』第155段

何の覚悟もなく、漫然と生きていることに
ふと足元に迫っているかもしれない死を思えと...


庭園を出て車に乗っても、松の映像だけがずっとついてきた。
そしてふと胸の奥に火がついた気がした。

鉄橋

錆びの浮いた鉄骨の下にたまった雨の滴が膨らんでは落ちて
暗い水面に不規則な波紋をつくっていた。
ゆっくりと流れてきた紅葉の落ち葉の列が波紋のうえで微かに揺らめく...
見事に色づいた錦繍を背にして、その鉄橋はただ静かに佇んでいた。


新潟から鶴岡に向って海沿いの道を北上する途中
米沢へと向かう県道を右に折れて山の中へと入って来た。
標高があがるごとに紅葉は色を増し
気温は急に下がってエアコンの温度設定をあげた。
山と川しか見えない景色のなかに不意にこの鉄橋が現れて
車を停めたのだった。
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コートを羽織って車の外に出る。
先刻まで降っていた雨はもうあがっていたが、
大気のなかに残った微細な水の粒が、肌をしっとりと湿らせていった。
濡れそぼった森のなかで、鳥たちも息をひそめ
霞んだ大気にすべての音が吸い込まれ
ただ静寂に包まれていた。


中原中也のあの詩の一節を思い出し
ゆっくりと小さな声で諳んじてみる。
.....僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。


紅葉で賑う山の中にあって微動だにしないその姿は
あまりに頑なで、そして寂しげであった。
季節が巡り景色が変転していっても...
冬に凍りつき、夏に焼け付いたとしても
彼はこうして黙って列車を待っているのであろう。
少しずつ年老いていきながら...


詩の続きが思い出せず、スマホで検索して読み返す。

 僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きてゐる。
 僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。
 僕はその寂漠の中にすっかり沈静してゐるわけでもない。
 僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。

そして詩はこう結ぶ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

もう一度目の前の景色を眺め
そして、この詩を教えてくださったM先生のお姿を想う。


浮き草のような自分ではあるが
この鉄橋の姿を忘るまい…
先生のお心を片時も見失うまい。
そう心に誓って雨上りの曇り空を見上げた。


天地の間に一人立っていることが
このうえなく幸福なことのように思えた。
この先どうなっていこうが
おおいなるものに身を任せていけばよいのだ。


そして車に戻って冷え切った身体を温め
曲がりくねった山道の誘うままに
車を錦繍の中へ中へと走らせていった。

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堂島川

北新地の居酒屋で飲んでから、酔い覚ましにふらふらと歩いて
気が付いたら堂島川の畔に出ていた。
8年前に突然仕事を失って滋賀から家に帰る気になれず
逃れてきた大阪で泥のように酔っぱらって、ここに来た夜を思い出す。
四度の転職、そして三度目の失業だった。
夜の堂島川に来たのは あれ以来だな…
両岸に並ぶ立派な高層ビルの冷たい灯りが、真っ暗な川面で滲む。
あの日もこの黒い川面を見おろして茫然としていた。
そしてこの暗い水のなかに潜り込むような日々が始まったのだ。
失業は一年以上続いた。
こうして元気で戻ってくるまで8年かかったのだなと思う。

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中之島の西端まで行けば『泥の河』の記念碑があることを思い出す。
そしてその途中には、宮本先生と思い出を刻んだリーガロイヤルホテルもある。
そこまで歩こうと思った。
20歳の原点の場所に...
高速道路が走り、ビルが建ち並んで、昭和30年の名残など何もないように思うが...
それでも『泥の河』はここで生まれ、宮本輝という大作家はここから飛翔したのだ。


川を渡ってくる風が心地よかった。
少年のぶちゃんが前を走って行く...
次第に成長し、学生となり青年となり壮年となって行く先生の
うしろ姿が闊達に自分の前を歩いて行く。


先生は37年の歳月をかけて『流転の海』を書き上げられ
今月末には最終巻が発刊になる。
自分ももうすぐ57歳 奇しくも先生の小説を読み始めて37年になるのだ。
前を歩く先生の姿を追いながら、
ああ、この人についてきて本当によかったなと思う。
自分と先生の間には細い一本の道があり
傍らには堂島川の真っ暗な水面が続いている。


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真っ暗な水の底に潜るような歳月は幾度もあったが
闇のなかでも灯火を求めて先生の書かれた言葉を読んできた。
そして今はこうして這い上がることができたのだ。


リーガロイヤルホテルが左に見える。
2006年11月19日 ここでトークショーがあった。
ずっとお慕いしてきた先生に初めてお会いできる機会を得て
三重の単身赴任先から車で駆けつけた。
案内された席は、舞台に一番近い円卓の舞台に向いた中央の席だった。
はじめて目にする先生のお姿は、思ったとおりの柔和な笑みをたたえた
深い眼をした紳士であった。
いままでの思いの丈を手紙に書いて受付に託した。
2週間後にまさかと思っていたご返事をいただき、
そして2年後に再びお手紙をいただいた。
数えきれないファンの一人に過ぎない自分に
真心のこもったお便りであった。
二度目の不意のお手紙をいただいたのは
まさに泥沼の中でもがき苦しんでいた時であった。
本当の慈悲というのは、相手が見えなくても見通してしまうのかと驚嘆した。
そこからすぐに良くなるわけではなかったが
どんなに突き落されるようなことがあっても
そのお手紙を何度も何度も読み返して、
遂には克服することができたのだった。


先生は振り向かれることもなく同じ歩調で歩いて行く。
もう過去のことはいいではないかと、仰っているように思える。
先生も既に新しい小説を書き続けておられるのだ。
手すりにもたれて波も立たない静かな堂島川の流れを覗き込む。
あのお化け鯉は、きっとまだこの水底に潜んでいるのだ。
この川もまたいのちのようだなと思う。
あらゆる汚濁も呑みこんで、光も闇も映しこんで流れていく...
やがて海へと注ぎ込んでいくのだ。


阪神高速をくぐり川風に微かに潮の匂いが混じったと思うと
向うに船津橋のアーチが見える。
湊橋を渡って記念碑の前に立つ。
今日からまた一歩前に踏み出すのだ...
石碑に一礼して「先生 ありがとうございました」と呟く。


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そして、昭和橋・端立蔵橋・船津橋と巡り
中央卸売市場の前を歩いて野田駅へと向かった。


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10月31日 『流転の海』第9部「野の春」刊行イベント@紀伊國屋ホール
受付にお祝いのお手紙
東京からお荷物を増やしては失礼と思い、薔薇の花一本添えて…
小川洋子さんとの対談を終えて舞台からさがる際
先生が視線を客席に走らせて、私を見つけてくださり
こちらに指をさされて、にっこりと笑顔を向けてくださる。
ありがたきご慈愛に感極まる。


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曼珠沙華と中川幸夫と

黄金色に染まりはじめた田園に
曼珠沙華の花が咲いていた。



狂おしく燃えた夏の恋の残像のように
身を捩りながらが燃える花びら。
天に向かってまっすぐに伸びる蕊は
彼女の祈りか...



残暑の眩しい陽射しの中でぱっと燃えて
あっという間に萎れて堕ちて行く儚いいのち…
それでも
生まれかわってもまた燃えずには居られない
悲しい宿命の花



血よりもなお赤い花びらを見詰めるうちに
ふと、先日 富山の樂翠亭美術館で見た中川幸夫の花を思い出す。
死してなお燃え上がる花の想いを生け続けた男
生死のあわいで悶え血を流す花を見て多くの人は目を背ける
(作品のことはまた改めて書くとする)



幼少期に脊椎カリエスを患い、大きく背中が曲がってしまった中川が
生まれて初めて見た記憶が、故郷金倉川の曼珠沙華であったという。
池坊の四国総代であった祖父の影響で、生け花に親しみ池坊に入門するが
あまりの独創性の故に家元とぶつかり33歳で脱退
以後、どの流派にも属せず弟子もとらず、孤高の生け花作家として
極貧の中で花の本来のいのちと向き合ってどこまでも自由に花を生け続けた。
それは幼い頃、彼の眦に焼きついた曼珠沙華のような生涯であった。
草月流の創始者 勅使河原蒼風は、中川が丸亀から東京に出てくると
「恐ろしい男が花と心中しにやってきた」と語ったという...


若き日の中川と内縁の妻半田唄子の会話

哲学堂の木造アパートで幸夫と唄子はむかい合って座っていた。
その夜、二人は食事を抜いているのだ。
 二人の間には見事な椿の花があった。
「これ、花屋さんに返してきましょうか」
 二人は花屋で見事な椿の花を見つけ、つい買ってしまい、食事する金がなくなってしまったのである。
 唄子は椿を手にして立ちあがった。
「やめなさい」
 幸夫は唄子の手にした椿を奪って、やにわに椿の花を食べた。
「あなた……」
「この花をメシにかえるぐらいなら、僕はこの花を食う」
 幸夫は椿の花を顔もしかめずに食べてしまった。
「君も食べるか」
「いえ、私はいけます」
 唄子は残った椿の花を時間をかけて小さな花器に生けた。生けている間は空腹を忘れる。
 出来あがって、窓辺に置いた。
 幸夫は黙って見ていたが、花器ごと手もとに引き寄せると、椿の花を全部引き抜いた。
「なにするんですか」
「君はいけ終わったんだろ。今度は僕の番だ」
「それは判りました。しかし、私が一生懸命にいけたものを、黙って壊すことはなかでしょう」
 昂ぶると唄子は博多訛りが出る。
「つまらんなら、つまらんと。言うのが、なんぼ夫婦の間でも礼儀でしょうが」
「そうだった。ぼくが悪かった……」
 幸夫は不意に穏やかな顔になった。そして。言う。
「唄子さん、あなたのいけた椿は、つまらんでした」
「……どこがですか」
「唄子さん、椿という字を書いてください。さあ、書いてください」
「……書きました」
「木へんに春と書きましたね」
「……はい」
「唄子さん、椿には、春をや感じさせるものがなくては椿じゃないです。
あなたのいけた椿はただ赤い、美しい花を見せるためだけのものです。
あれなら、ひまわりだろうが、菊だろうが、カーネーションだろうが、どんな花だっていいんです」
「さっき花屋の前で、僕たちはこの椿に出会った。つい、夜の食事を忘れるほどに心を奪われて、
椿を買ったのは何故ですか。……何故ですか」
「……美しかったからです」
「美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです」
「……」
「この椿に、春の美しさ、春の近さを感じたからでしょう。
僕たちは今日、新宿のキャバレーに花をいけてきた。東京での初仕事だ。
おい花屋、もっと面白い花をもってこいとボーイにいわれても、黙って一生懸命に花で店を飾った。
二人とも電車賃を倹約しようと歩きだした。そうだったね」
「はい」
「歩きながら、僕は考えていたんだ。……こんなはずじゃなかった。
こんなにいけ花作品だけで生きていくのが難しいとは思わなかった。僕は甘かった……。
多分、僕が印刷の仕事に手を出せば、生活は楽になる。しかしそれだけはしたくない。
それなら、四国から、あなたを誘って出てきた意味がない」
「そうです。意味がありません。ですからあなたが印刷の仕事をすればええのにと思ったことは一度もありません。
ほんとに一度もありません」
「……でも唄子さん、ぼくは、冬はどんなに厳しくても、必ず春はくると信じています。
必ず僕たちのいけ花にも春の季節がくると思って、自分をはげましながら歩いているとき、この椿をみた。
この願い、どんな他の花にもない硬い蕾こそは、中にある春がどんなに大事なものかを教えてくれているんだ」
「はい。私もそう思います」
「だったら、この椿の春への思いをいけなくて何のためのいけ花か」
 『君は歩いて行くらん 中川幸夫狂伝』 早坂暁


世間から如何に狂人扱いをされようとも
自らの花への想いを信じ、春が来ることを信じて
彼は闘い続けたのだ。


曼珠沙華は、まっすぐにそして静かに立っていた。
一途な祈りと悶えるほどの情熱を携えて…
どこまでも高い蒼天を見上げていた。



僕はあぜ道に屈みこんで
その色を瞼に焼き付けるために瞼を閉じた。


*おまけ
作品の写真は著作権で貼れないので、一例のリンクを貼っておきます。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/promotion/22734


                      2019年4月29日掲載


おまけ

中野重治『古今的新古今的』
君は歩いて行くらん
おかしなステッキをもつて
途中で自動車が追い越すらん
そして美しい老人が会釈すらん
西園寺公望公爵の車なり


君は歩いて行くらん
きょろりきょろりと
そしてやがて三途の川に着くらん
君は渡し銭を出さねばならぬ
君はにやりとして支払うらん
やがてばばァが着物を脱げという
そこで君がいつそうにやりとりして止せというらん


君は歩いて行くらん
どこまでもどこまでも
そうしてとうとう着くらん
大きな門の前に
そこで君は例のステッキをあげ
つぼめた口して開門開門というらん
どうれと中からいうらん
切符があるか
切符はこれだといつて
君が片あしで立つてくるりと一まわりすらん

中川と親交のあった写真家土門拳は、
この詩は中川の人生だと言ったそうである。





おまけ2
その日の夜の「サンセット」
正確には覚えていないが、30代の前半だから25年ほど前
大五郎さんに連れてきてもらった名古屋のイタリアンレストラン
マスターの安藤さんは、大五郎さんとはバンド仲間で、
若い頃はプロのドラマーとして有名バンドでドラムをたたいていた。
そして1980年に伏見のヒルトンの近くにこの店を開店
大五郎さんと名古屋で食事をするとここに来たものだが
それからリストラになってしまい、大五郎さんと会う機会もなくなり
この店にも来なくなってしまった。
約20年ぶりに訪れてからFaceBookで繋がって、また来るうようになった。
大五郎さんともまた違って、安藤さんのお人柄にもすごく惹かれる。
2020年で40周年 名古屋では一番の老舗イタリアンである。
一人で厨房を切り盛りされているので、混んでいると話す時間もないが
たまに出てこられて話しかけてくださる。
常連さんとも最近は繋がりはじめて、とても嬉しい。
40年と言わず、50年60年目指して元気で頑張ってくださいね。

川のように...

その川にかかる橋を渡るとき
視界に入ったその色に驚いて慌てて車を停めた。
なんという色だろう...
まるで顔料を流したような鮮やかなターコイズブルー

川沿いの木立に車を置いて
岩を伝って川岸に降りていった。

大きな岩のうえに立って川上の方を見ると
大きく湾曲した川が岩で砕けて飛沫を上げていた。
深い川底で乱流になった水は、湧きあがるように水面に噴き出し
そのまま川下へと圧し流されてゆく...
激しい水流で気泡までもが砕けて白濁し、透明度のない蒼になるのだ。
こんなに明るい陽射しのなかでも、悲しい色だなと思う。
悲しみを幾重にも重ねた色が、足元の水面で慟哭するように
激しく湧き上がっている。
自分はこんなにも激しく哭いたことはないなと思う。

手に掬った瞬間に消えてしまうその色は
やがて平坦な流れにもどると透明度を取り戻して
何事もなかったかのように下流に向っていく。


バラモンの家に生まれたシッダールタは、禁欲と思索と瞑想に励み
家を出て苦行者の後を追って、ありとあらゆる苦行を重ねる。
仏陀との出会いでおおいなるものを感じ取るが、そこからも去って...
やがて賢く美しいカマーラのもとで愛の歓びを学び、
カーワスマーミのもとで取引を学んで膨大な富を得た。
しかし...ある時、そのすべてを捨て去って森の中に戻るのである。

 シッダールタは森の中の大きな川にたどりついた。かつてまだ若かったころ、
仏陀の町からやって来て、渡し守に渡された、あの川だった。
この川のほとりにとまって、彼はためらいながらたたずんだ。
疲労と飢餓に彼は弱っていた。なんのためにさらに進まねばならなかったか。
いったいどこへ、いかなる目標に向って? いや、もはや目標は存在しなかった。
このすさんだ夢を残らず振い落し、気のぬけた酒を吐き出し、
みじめな恥ずべき生活を終らせてしまいたいという、
深い悩ましい切望よりほかには何も存在しなかった。

その緑の水に身を沈めようとした刹那、修業時代に聴いたある言葉を思い出して踏みとどまる。
そして彼の意識は転換して生き返ってゆく。

彼は死んだ。新しいシッダールタが眠りから目ざめた。
彼も老いゆくだろう。いつかは死なねばならぬだろう。
シッダールタははかなかった。すべての形ははかなかった。
しかし、きょう彼は若かった。子どもだった。若いシッダールタだった。
喜びに満ちていた。
 こんなふうに考え、微笑しながら自分の胃に耳を澄まし、
感謝の念をもってミツバチのつぶやきに聞き入った。
流れる川を朗らかに見つめた。水がこれほど快く思われたことはなかった。
移り行く水の声と比喩をこれほど強く美しく聞いたことはかつてなかった。
川は何か特別なことを、彼のまだ知らない何かを、まだ彼を待っている何かを、
彼に語っているように思われた。この川でシッダールタはおぼれ死のうと思った。
その中で古い疲れた絶望したシッダールタはきょうおぼれ死んだ。
新しいシッダールタはこの流れる水に深い愛を感じ、
すぐにはここを離れまいと、心ひそかにきめた。

唄いながら常に下ってゆく川の声を聴き、そこにいのちの姿を見出したのだ。
そして渡し守ヴァスデーヴァの元に身を置いて、共に生きるようになる。


ヘッセの代表作『シッダールタ』の場面である。
川はあらゆるものを受け入れ、あらゆるものを内包し、そして留まることなく流れている。
生きることは川にどこか似ている。
決められた道を常に下りながら死へと向かって流れ続けている。
できることなら、清らかな流れでありたい。
清らかであるためには、清濁を呑みこんで尚それを浄化するだけの覚悟がなければならぬ。
元々出来の悪い宿命であるのに、そこに来て数知れぬ失敗を繰り返し、
いくつもの落とし穴に堕ちながら河口の見えるところまで流れてきてしまった。
自分はいまどんな色なのだろうか...どれほど濁ってしまったのか...
心して心して、いのちを澄ませていかなければならない。
そのためには、この川のように、もっともっと悲しみを重ねなければならないだろう
そして激しく闘い続けなければならないだろう
緩やかに流れていれば澱んで濁って行くしかないのだ。


そしていつか川辺に咲く花を潤していけるだけの豊かさを育んでいくのだ。


美しい美しい川を眺めながら思い浮かべた内なる情景


おまけ
「モネの池」

常願寺川の夕暮れ

夕陽からこぼれ落ちた光の道が、
波に揺られるごとに色を増しながら海に拡がっていった。

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赤銅色に染まりゆく波のうえに影絵のようなサーフィンが三艘、
木の葉のようにゆらゆらと揺れていた。
昼間のぎらつく太陽は、真夏のそれと変わらなかったのに
海辺の夕暮れの陽射しは、秋の色を隠しきれず...


今日の常願寺川は、いつもとは見違えるほどに膨れ上がり
押し寄せる波をも呑みこんで、外海に流れ出し
どこまでが川なのか海なのかさえ、もう見分けもつかなかった。

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昨日までの雨が無数の水の道を駆け下りて
渾然と混じりあいながら競うようにここまで落ちてきたのだろう。
かつて暴れ川と呼ばれたこの川の本性が俄かに蘇ったのか...
凄まじい圧力で海になだれ込み、
せめぎ合い、からみ合い、抱き合いながら、やがて海に溶けこんでいるのだ。
そんな水底の闘争をよそに、波は緩いカーブを描いてゆったりと揺れている。


少年たちの笑い声が、風に途切れながら聴こえてくる。
たまに盛り上がる波に乗って立ち上がってはボードから落ちる。
河口に作られたデッキの手すりにもたれた女子高生が一人
静かに彼らの姿を眼で追っている。

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生きるとは...
生きていくとは...
なんと危うく、そして悲しいことだろう...
海の色が増すごとに濃くなっていく
よるべなき四つの若者の影を眺めながら
そんな感傷に浸る

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やがて陽は落ち一人取り残された僕は、
デッキに座って潮騒を聴きながらいつしか眠ってしまったようだった。

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ふと気が付くと海の上に月がのぼっていた。
海に映る月を見て、ふとあいつのことを想い出した。
一緒に月を見上げながら語り合った夜のことを...
彼が逝って8度目の9月になっていた。

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叔父に会いに...

「向うに弥彦山が見えるだろ? 弥彦山はいい山だ...」
そう言ったまま征三郎叔父はまた沈黙した。
ベッドから起き上がれない叔父の姿を見るのがちょっとせつなくて
僕も黙って叔父からは見えない窓の外を見ていた。
黄金色に染まりはじめた田園の向うに、
美しい稜線をひろげた弥彦山が雲を携えて静かに佇んでいた。
父もこの景色を見て育ったんだな…とふと思った。


やがて叔父の弱々しい寝息がベッドからたちのぼってきた。
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長岡に仕事で来たのは久しぶりのことだった。
週末だし…父の兄弟に会って父の近況を知らせておこうと思って、長岡の駅前に宿をとった。
五人兄弟のうち一人は亡くなっているが、あとの三人はこの辺りに暮らしている。
昨日は燕の秋枝叔母の家に行って、晩飯をご馳走になりながら2時間ほど...
そして今日は弟の征三郎叔父の入っている施設を教えてもらって、突然会いに来た。
昼食が終わってベッドで眠っていた叔父は、「お客さんですよ」という施設の人の声で目を覚まし
ベッドに横たわったまま顔だけこちらに向けて、少し驚いたように僕の顔を見てから
よぉと手を上げた。
僕がベッドの横の丸椅子にかけると「こんな情けない姿になっちまったよ」とぽつりと言った。


征三郎叔父が60年以上過ごしてきた東京の家を引き払って
夫婦で故郷に近いこの施設に入ったのは一年ほど前のことだった。
ご近所の幼馴染同志で結婚した二人はとても仲が良くて、
御茶ノ水で二人で小さな写真屋を営んでいた。
新聞社や出版社の現像を中心に、商売をしていた。


時代の流れでそんな商売は需要がなくなり、店を閉めて郊外に移り住んだ頃、
叔父はパーキンソン病と診断された。
病気の進行もあってか、夫婦で一緒に故郷の施設に入ることにしたようで
弥彦山の見える二人部屋を望んでここに入所した。
ところが、入所して間もなく元気だった叔母の方が突然亡くなった。
身体が動かなくなっていく失望に追い打ちをかけるような
最愛の妻の突然の死...
叔父の悲しみはいかばかりであったか...
写真立てのなかで、若き日の二人が笑っている。

日はゆき、もはや名ごりを留めず
 ぬれ空、星のかげも見えない
 ぬれがけらのことく私は帰る。
・・・・・・・・
宇宙の底より湧くと覚しき
 暗黒がわたしの霊を呑んで
 平安は跡もなく消え失せた
泣こうか、否、祈ろうか、否、
 一切の否定、否定の否定
旋風にめぐる木の葉のように
 心は宙にから舞い、身もまた
 いつしかぐるぐると歩き廻る
  藤井武『愛するものに死なれること』

兄弟なのにあまり似ていないと思っていたが
寝顔は、父のそれと瓜二つだった。
平安な寝顔を見ていると、それが哀しい夢ではなく、
楽しい思い出をまぶたの裏に描いているだろう...
目の前から愛する人がいなくなることは哀しいけれど
忘れないでいるかぎり、その人はいつも胸の中で微笑む


少し話してはいつしか眠りに落ち、そしてまた目を醒ます。
そんな繰り返しで、いつしか陽が傾きはじめていた。
負担をかけてはいけないな…そう思って席を立った。
部屋の引き戸を開けて振り返ると
懸命に身体を起こして手を振ってくれている叔父の姿があった。
僕は泣きそうになって「また来るね」と大きな声で言ってから
ゆっくりと引き戸を閉めた。


車を走らせて海岸を西へ...
雲が多くて夕陽は見れるかどうかわからなかったが
今日は美しい夕陽がどうしても見たいと思った。


しかし...
たどりついた岬の上に立つと、雲の一部分がほんのり色づいただけで
太陽はそのまま沈もうとしていた。
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どうか一瞬だけでも、美しく燃えてください!
願いながら、急な石段を駆け下りていくと、
不意に雲の隙間から太陽がのぞいた。

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そして、その熱が瞬く間に雲に燃え移って
日没後の空と海を一気に染め抜いていった。


若き日の叔父の笑顔が浮かんだ。

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                    2019年3月9日掲載

おまけ

生れてはじめて撮った写真は、征三郎叔父の撮影

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常滑 火を吸いこんだ土

四角い煉瓦積みの煙突が
梅雨の合間の白藍色の空を見上げていた。

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常滑には夕陽を観に何度か来たことがあったが
泊まったのは初めてだったから、朝の散歩に出た。
海を見おろす西向きの斜面にはりめぐらされた迷路のような
街のいたるところに積み上げられ、埋め込まれ、放置されたレンガやら土管やら壺は、
おそらく観光客のために後から埋め込まれたのだろうか...
もう8時になるというのに、街には物音ひとつなく
人通りもほとんどなかった。

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常滑焼の発祥は平安時代末期というから900年前...
知多半島に点在していた窯元が淘汰されて、この常滑地域に集結した。
古くから広く国内に流通したようであるが、時代の流れとともにその姿も変遷し
近代に入って明治初期に上下水道の普及とともに土管として採用され
また植木鉢等にも多く使われるようになり、大量生産への道をたどる。
かつては黒煙を撒き散らしていたという煙突には雑草が生え
往時を偲ぶ巨大な登り窯も、いまは時代の墓場のように斜面に横たわっている。

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登り窯の斜面に沿って階段を上り、窯の入口の奥を覗き込む。
頭上で騒ぐ葉擦れの音の向うで、人々の声が聴こえるような気がする。
全身真っ黒になって働く男たちの姿が浮かぶ。
やがて窯に詰め込まれた薪から凄まじい勢いで炎が上がる。
男たちは肌を焦がすほどの灼熱地獄のなかで
黙々と入口を塞ぐ煉瓦を積み上げていく
一人の若い職工の汗と煤にまみれた横顔のなかで
瞳だけが焔を映してらんらんと燃えている。
もしかして彼は、陶芸家を目指してここに来たのかな
大量生産の時代に呑まれて、一介の職工になったのかもしれない。
窯の中で燃え盛る炎を見つめて、胸中に今一度火を灯そうとしたのか

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「にいちゃん 俺もさ、青雲の志をもって田舎から東京に来たんだけどさ...
 にいちゃん 青雲の志わかるか?俺はダメだったけどさ。兄ちゃんはまだ若いんだ。頑張れよ」
大学生4年生の夏、どうしても現金が必要になって港の冷凍倉庫でひと夏 日雇いのバイトをしたとき...
冷凍コンテナの荷台から鱈の入った木箱を運び出しながら、そのトラックの運転手に言われた一言を思い出した。
「青雲の志」か... 俺はそんな志さえ持てなかったな
目標も夢も持てないまま、ずるずると生きてきてしまった。
長い人生のたった10分の出会いが、蘇ってくるなんて…
轟々と燃える炎が見たかったな… 


量産で一時代は隆盛を誇ったこの街も
新素材が次々に入ってきて、一気に衰退していった。
900年の歴史が幻であったかのように...
何故そんなに生き急いでしまったのか


そろそろ仕事に出なければ...
そう思って急な坂道を降りはじめたとき
向うに伊勢湾が横たわっているのが見えて、昨日海辺で見た夕陽を思い出した。
そして、西の空が夕陽に染まるその一瞬に、
火を吸いこんだような朱色の陶器の欠片が、いっせいに燃えだす情景が浮かんだ。
僕は土管の欠片の敷き詰められた坂道を一気に駆け下りていった。

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                  2019年2月25日掲載

鏡池にて

父親に手を引かれた少女の少し縮れた髪が風になびいて
初夏の陽射しのなかで金色に波打っていた。


戸隠山から吹き下ろすその風は鏡池に細波を立て
尖った稜線は、ざわめく水面の上で滲んで空に溶けてゆく。
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明日からの富山出張を一日前倒しして
新幹線を途中下車して妙高から戸隠へと走った。
人間に疲れ切って、逃避したくなったのだった。


鏡池という名前に惹かれて
あの御射鹿池のような光景を思い浮かべながら来てみたけれど
自分のいのちが映し出されたようなざらついた水面には
あのシンメトリーな美しい絵は浮かび上がりそうにもなかった。
何かが微妙にずれている....
そんな気がした。
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ここからは見えないが、あの少女の瞳には
きっと何もかもが鮮明に映り込んでいるのだろうな…
黒い瞳のなかを流れゆく雲の白さを想う...


風に向って静かに立っている父娘の後ろを急ぎ足で通り過ぎて
僕は、森へと入っていった。
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全身を包み込む冷気と木々の芳香
万緑の天蓋のどこかで春蝉の鳴き声が響いている。
足元には、芽吹いたばかりの幼木が並び立ち
木漏れ日の中に花が浮かび上がる。
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ああなんという清らかさ
がさついた心が、しっとりと潤いを取りもどし
欠け落ちてずれていたいのちが
再生されていく
生きてゆかなければならない
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この失敗にもかかわらず        茨木のり子


五月の風にのって
英語の朗読がきこえてくる
裏の家の大学生の声
ついで日本語の逐次訳が追いかける
どこかで発表しなければならないのか
よそゆきの気取った声で
英語と日本語交互に織りなし


その若々しさに
手を休め
聴きいれば


この失敗にもかかわらず……
この失敗にもかかわらず……
そこで はたりと 沈黙がきた
どうしたの? その先は


失恋の痛手にわかに疼きだしたのか
あるいは深い思索の淵に
突然ひきずり込まれたのか
吹きぬける風に
ふたたび彼の声はのらず
あとはライラックの匂いばかり


原文は知らないが
あとは私が続けよう
そう
この失敗にもかかわらず
私もまた生きてゆかねばならない
なぜかは知らず
生きている以上 生きものの味方をして

情景もなにも違うけれど…
ブログを書きながら、ふと最近読んだ詩を思い出した。
(8か月も遅れて2019年2月に書いている)
絶句してしまうような失敗ばかりだったな…
でも生きてきた。
これからも生きていかねばならない。


あの幼木はいつまで生きられるのか...
冬になれば分厚い雪のしたで朽ちてしまうものもあるだろう
生存競争に敗れて枯れてしまうものもあるだろう
大木に育つのは、奇跡のまた奇跡なのだ
そうしてみると、いまここに自分が生きていることもまた奇跡なのかな


森を抜けた先に池が現れた。
澄み切ったあの少女の瞳が、そこに横たわっていた。



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落ちこぼれ―茨木のり子詩集 (詩と歩こう)

落ちこぼれ―茨木のり子詩集 (詩と歩こう)



                  2019年2月16日掲載