西浦海岸の夕暮れ

西陽に照らされた錆色の街並みに導かれるままに
僕はその海岸に向って車を走らせていった。

街並みが切れて港に出ると、
帆を降ろしたヨットのマストの間にすでに春の太陽は沈み始めていた。
鳥たちは獲物を追うのをやめて、養殖網の竿の上で羽を休め
仕事帰りの釣り人たちは、堤防の上に並んで糸を垂らす。
金色に染まりゆく静かな春の海の夕暮れ... 
舞台の準備はもう整っていた。
僕は車を乗り捨てて、自分の席を探して走る

遠浅の三河湾に突き出した西浦半島の先端
真っ直ぐに伸びた光の道は漣のうえで揺らめき弾ける。
僕は、ひたひたと波打つ岸辺を歩いて、大きな岩に腰をおろす。
そこは夕陽を眺めるためにだけしつらえたような特等席だった。


おおいなる天体は、決められた軌道を寸分も外すことなく悠然と堕ちて行く。
「死」へ向かうその後ろ姿は、湿った大気のなかで余計な光を脱ぎ捨てて
完全なる真円の輪郭を露わにしながら、高度を下げるごとに色を増してゆく。

カメラのファインダーを覗いて、一羽の白鷺にズームしたとき
何故かガンジス川の夕景が脳裡に浮かび
一羽の鷺が、何かを祈っている人の姿のように見えた。
そのとき、ふと人生の苦境と闘っている友のことを思いだしたのだった。


太陽は瞬時も留まることなく堕ちて行く
そして残された時間を惜しむように、熱く燃える。
確かなことなど何もないこの世界で
ただひとつだけ確かなる太陽の軌道を見守りながら
彼は何を祈るのか...



光が強まるほどに、彼の真っ白な羽根はいよいよ闇に沈んでいくように見えたが
こちらから見えない半身は、海と同じ紅に染まっているはずであった。


太陽さえそこにあれば、確かなことなど何もなくていいのだ...
流転していくからこそ、いのちは美しい。
闇を経てこそ、この世界は光のなかで輝くのだ。


ただ友よ...闇のような現実のなかで苦しむ友よ
僕がかつてそうやってもがいていたときに君が祈ってくれたように、
君が泥の中から立ち上げる日を僕は祈る。
君の胸に太陽が赫々と昇る日を...

  わが願ひは、これこの生涯(いのち)
  君の歓喜(よろこび)のおおいなる歌 響かむこと
君の虚空(そら) 気高き光明(ひかり)の流れ
戸口小さしと見て 帰りな行きそ...
  わが心の奥に 装ひを常に新たにせよ


  君が歓喜を わが身も心も
  よも 妨げはせじ
君のこよなき歓喜 わが苦をば
焼きつくせ 幸(さき)はふ光明の如(ごと)
君の歓喜 卑しさを摧(くだ)
  花と開け わが業(わざ)すべてに


  タゴール『ギーターンジャリ』102段


光を失った太陽は、最後の力を振り絞るように燃えていた。
朱に染まった海の上を一艘の漁船が静かに横切っていった。

やがて太陽が雲に隠れ、薄暗くなった海辺の道を歩き出したとき
どこかでタイサンボクの香りがした。


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                2018年12月30日掲載

薔薇園にて

幾重にも重ねた花びらに秘め事を抱いて、その花は咲いていた。
僕はうな垂れる花にそっと手を差し伸べる。


曇り空の青島海岸... 
ふらりと入った薔薇園に人影はなく
椰子の並木のシルエットの向うで、いつもより少しくすんだ日向灘に白い波頭が浮かんでは消えていた。

 

僕の指先につめたい頬をもたせかけ、ほっと吐いた彼女のため息がふわりと匂う
隠していた想いが、少し湿った春の風に晒されてこぼれていく
明日には褪せてしまう幻のような色も、どこか紅茶に似た甘い香りも
胸の奥に沈んでいた感傷をよびさます。
蕾の裡に抱いていたものは悲しみだった。ただ、悲しみだけだった。




掌に花のいのちの重さを感じながら、ふと父の手の感触を思い出す。
おぼつかない足取りで歩きはじめたときに前に差しだす手を受け止めたときの
柔らかく弱々しい指先の感触を...
認知症が重くなるまでは触れたこともなかった父の手を...
力仕事で節くれだった逞しい父の手は、もうそこにはなかった。
若い頃から多くを語らなかった父にも、たくさんの悲しみがあったのだな
誰にも言えないまま、記憶の底に沈めてしまった悲しみが...
あのやわらかな笑顔に薫るいのちの底の悲しみが



 

風向きのせいか、海の音も聴こえてこない静かな庭園を一人歩く
悲しみにはひとつとして同じ色はない。
ふと足を止めると、煉瓦敷きの上に血のにじんだような花びらが
涙をいっぱいに湛えて咲いている。
ああ、なんという美しさか...


美しい自然の営みの底流には、いつも悲しみが流れている。
深い悲しみをくぐってこなかったものに
真の美しさは宿らないのだろう。



愛する気持ちを胸に宿したとき、私たちが手にしているのは悲しみの種子である。
その種子には日々、情愛という水が注がれ、ついに美しい花が咲く。
悲しみの花は、決して枯れない。それを潤すのは、私たちの心に流れる涙だからだ。
生きるとは、自らの心に一輪の悲しみの花を咲かせることなのかもしれない。
  若松英輔 『悲しみの秘儀』

いつしか現れた老夫婦
年甲斐もなくはしゃぐ妻を、夫の静かな視線が見守る。

 

僕は、父を見つめる母の視線を思い出す。
80年も生きてきて、楽しい時間などほとんどなかった母に
この薔薇をみせてやりたいと思った。

 


幻の光

峠越えのトンネルを抜けて長い下り坂にかかると、霧のような細かい雨が降りはじめた。
カーテンの襞のように折り重なりながら降ってゆく雨のむこうで
左右に迫る山々の青葉も、狭い空を覆う雲も、次第に光を失っていった。

 

山が切れて灰色に霞んだ水平線が見えたので、車を停めて橋の上から海岸を見おろすと
雨の底に沈んだような灰色の集落に、灰色の波が打ち寄せていた。
濡れた高欄に手をついたまま、僕はそこからしばらく動けなくなった。

すべてが灰色だった。
灰色に少しばかり藍を溶かせば海になり
少しばかり緑を溶かせば山になり
土色を溶かせば街になった。
雲が流れ去ろうと、季節が巡って行こうと、
すべての色の底に灰色が潜んでいるような気がした。

曾々木は一年中海鳴りの轟いてる貧しい町や。
冬は日本海からの風が強うて、吹きつのる雪すら遠くへ飛ばされてしまいます。
海の水のほうが、雪や空気よりも温いからという理由もあるけど、やっぱりその殆どは、
積もる間もなく風に吹き払われてしまうせいやそうです。
そやからどんなに雪の多い年でも、海岸べりには、まだらな雪しか積もることしかでけへん。
凍てついた風と一緒に、波の荒れ狂うような音としぶきだけが、湿った真っ黒な埃みたいに涌き起こってきます。
  宮本輝幻の光

幻の光 (新潮文庫)

幻の光 (新潮文庫)

 

ああ、これが何十年も胸に抱いてきた奥能登の景色だ...

 

曾々木までは来たことがあったが、観光のための看板や駐車場が整備されてしまって
小説の風景には直接結びつかなかったのだった。

 

急な坂道を降りて海辺の集落に入る
波の飛沫が混じったのか、粘りつくような雨が車を覆い、ガラスごしの景色が滲む。
車を置いて海岸沿いの路をふらふらと歩いてみるが
表通りも路地裏も、海沿いの小路も... どこを歩いても人がいなかった。
どこに居ても波の音だけが聴こえてくる。そして雨は蕭々と降っている。
自分は幻想を見ているのではないかと不安になってきた。

 


ゆみ子が、どこかの二階の窓際に座って、ぼんやり海を眺めている姿が浮かび
彼女が語りかける夫の、夜の阪神電車の線路の上を歩いている寂しい後ろ姿や
尼崎のトンネル長屋へと次々と連なっていく...

 

貧乏の巣窟のようなトンネル長屋は、自分が子供の頃に住んでいた便所の臭いのするボロアパートへと繋がり
ある日失踪してしまったまま帰ってこなかった祖母の記憶へと繋がっていく。
線路を歩いている男のうしろ姿に問いかけたかと思うと、自分がその男になって線路の上をとぼとぼと歩いている。
貧乏なうえに身体が極度に弱くて寝込んでばかりいた母の、自殺をしようとした日の映像が浮かび
不意にかきまぜられて舞い上がった沈殿物のように、次々と浮かび上がる記憶の粒子は
よるべなく浮遊して、いつしかまたいのちの底の方へと沈んでいくのである。

 

どこを歩いていても、あの線路を歩いているような気がした。
ここにたどり着いた道も...
いままで生きてきた道のりまでもが...

 

もう帰ろう...そう思って海沿いの小路から川に沿って昇りはじめたとき、川上の方に目をやってはっとした。
最初の橋の向うに、数百はあると思われる鯉のぼりが風に揺れていたのであった。
ここに来て初めて見た「色」であった。心のなかにぽっと灯りがともったような気がした。

僕はふと、「漢さんの金歯」を思い出した。
この奥能登の色そのもののような『幻の光』という小説のなかで
それは、不意に現れる希望の光であった。
夫を自殺というかたちで失ったゆみ子は、能登から見合いに来た関口という男と再婚することになる。
その出発の日、尼崎の駅で母と弟と別れて幼い子の手を引いてホームにあがっていく。

 生まれ育った尼崎の街を、わたしはホームの雑踏にもまれてしばらく眺めてました。
なんで、能登の最北端の、さびれた漁村に嫁いでいく気になったのか、わたしはそのとき自分の気持がはっきり判ったのやった。
能登から八歳になる娘をつれてわざわざ見合いのために尼崎までやって来た、関口民雄という三十五歳の男に心魅かれたのやない、公害の煙とサウナやキャバレーのネオンが、貧乏くさいアパートを囲んでる尼崎という街にいや気がさしたのでもない、ラブホテルでの、まだ生臭い香りが残ってるシーツの敷き直しを苦痛に思たのでもない。わたしは、あんたという人間にまつわる風景から、音から、匂いから、逃げていきたかったのでした。
      宮本輝幻の光

ホームを駆け下りて母のもとへ帰ろうとしたその時に、3人の子供を連れた漢さんとばったり会ったのだった。

漢さんは、朝鮮人で、女のくせに男みたいに髪を刈り上げ、男物の作業衣を着て、ひとりで軽トラックを運転し、廃品回収業をやってる人でした。実際は三十八歳やのに、もう四十七、八にも見える、赤ら顔の頬骨の張ったおばさんでした。その漢さんが、七歳の男の子と五歳の女の子を左右の手に引き、八ヵ月の乳呑み児を背中にくくりつけて、いつもの作業衣で電車を待ったはった。いっつも無愛想なくせに、その日はわたしの顔を見るなり傍に寄ってきて、
 「どこへ行くねん、こんな朝から」
 と訊きはった。

再婚のために能登に旅立つことを知ると
子どもたちを動物園に連れて行く途中の漢さんが、何を思ったのか不意にゆみ子を見送ると言い出す。

雷鳥二号の来るのを、漢さんはホームにまで入って一緒に待ってくれはった。何
か言いたそうな顔して、ときどき□を開きかけてはそのままつぐんでしまう漢さんと、汚ないなりした二人の子供を見てるうちに、わたしはなんでか涙がいっぱい浮かんできた。これまで一度も親しいに話をしたこともない漢さんが、なんでこうやってホームまで送ってくれたんか不思議でした。
 「これからが女ざかりや。....がんばりや」
 こわい顔でそう言いはった。
 「力いっぱい股で挟んだったら、男なんていちころや。相手の子供を味方にするのんが、こつやでェ。ほんまやでェ、ほんまにそないするんやでェ」
 列車の入ってくるのをしらせるアナウンスがあり、わたしはうんうんと頷いて、ホームを走り廻ってる勇一をつかまえるために走っていった。
 列車が出て行くとき、赤ん坊を乱暴に背中にくくりつけ、二人の子供を右と左の手で引いた漢さんが、じっとホームに立ちつくしたまま金歯を光らせて笑いはった。
それは、知り逢うて十年もたつ漢さんが、わたしに見せた初めての笑顔でした。
 不安や心細さや、後悔が重なり合って揺れ動いていた、あのときの私の心に、漢さんはいったい何を注ぎ込んでくれたんやろか。

ゆみ子は、夫の歩いた線路の上を電車で通り、そして新たな路線に乗り換えて新天地へと踏み出していく。
漢さんの笑顔と金歯に見送られて...

 

橋の上まで行って、鯉のぼりを見渡す。
雨に濡れたせいか、潮風が吹いているのに鯉のぼりは緩やかに揺れているだけであった。
それでも、それは人がここで生活を営んでいる証しであった。
線路の幻想は、いつしか僕の足元から消えていた。

 

橋のたもとにあった小さな商店から老婆が出てきたが
橋の上に立つ余所者には興味もないようにそそくさと川上への道を歩いて去っていった。

 

僕は車に乗って、また走りはじめた。






君の悲しみが美しいから...

「うちの桜を撮ってくださって、ありがとうございます」
背後から突然声をかけられて、はっとした。
振り向くと、小柄なおばあさんが微笑みながらそこに立っていた。

 

うちの桜と言ったよな...
もしかして人の敷地に入ってしまったか...
覗いていたファインダーから慌てて目を離し、姿勢を正して「すみません 勝手に入ってしまったようで...」と頭を下げた。
柵も門もなく、ただその桜に引き寄せられてこの舗装のされていない小路に入ってしまったのだ。

 

「いいのよ。それより、うちのおとうさんが植えた桜を撮ってくださって嬉しいの」
「...」
「ここの上の通りはみんな花見にくるけれど、ここまでは入って来る人はいないから...
 誰もこの桜なんか見向きもしないわ。 あなたみたいな人は珍しいのよ」

 

富山呉羽山...小高い丘のような山であるが
麓の民芸村から坂道に沿って頂上まで染井吉野が満開になり、花見の客で賑う。

 

天気が良いと立山連峰が一望にできる頂上まで登ってみたが
今日は、春の霞がかかって遠くに見えるはずの稜線は真っ白に濁って何も見えなかった。
坂道を降りてくる途中で谷間の鬱蒼とした木立のなかに瓦屋根が見え、
山桜と辛夷が咲いていたので、細い階段を降りてその路地を入ってきたのだった。


 

おばあさんは、80代後半くらいだろうか...
両手に杖をついていていた。
「うちのおとうさん...もう亡くなって10年経つんだけどね。
 桜が好きで好きで、どこかの山に行っては、枝を採ってきてここに植えてたの。
 育たないで枯れちゃったのもたくさんあるけど、何本かはうまく育ってね
 こんなに大きくなっちゃったわ。
 おとうさんが生きてたときは手入れもしてたんだけど、
 いまは雑草も伸び放題... 」
「僕はね、染井吉野より山桜の方が品があって好きなんですよ」
そう答えると
「ちょっとよかったら観て行って」
といって、両手の杖を交互に前に出して倒れ込むような歩き方で庭に入る階段を降りていった。
そこには、種類の違う何本かの山桜のほかにも春の花々が咲き乱れていた。
何年前に植えられたのか、一番背の高い桜は6〜7mはあるのではないかと思われた。
ただ、手入れができないのだろう...斜面になったところには雑草も生えたままだった。



あの桜はいついつ、あの桜はいついつというように思い出を語り始める。
時おり木立を抜けてくる風が心地よい。

 

話しながら、おばあさんの視線がどこか遠くを見るように空を見上げる。
僕は気づかないふりをして一緒に空を見上げる。
庭をせわしなく歩き回って桜の世話をするおじいさんの姿が思い浮かぶ。


 

おばあさんが不意に沈黙すると
さわさわと揺れる木々の葉擦れの音が聴こえる。
おじいさんが亡くなられた日
おばあさんの悲しみはいかばかりであっただろう...

 

 

自分のいちばん深いさびしい気持ちを、ひそやかに荘厳してくれるような声が聴きたいと、
人は悲しみの底で想っています。
そういうとき、山の声、風の声などを、わたしどもは魂の奥で聴いているのではないでしょうか。
                 石牟礼道子『名残の世』

おじいさんの遺した桜は、こうして春になると花を咲かせてはおばあさんに語りかけている。
彼女はいま、おじいさんに話しかけているのだ。
桜の花がいっせいにおばあさんに微笑み、そして風に散って彼女に降り注いでいく...

人間の苦悩を計る物差しはありえまいという悲しみ、
じつはその悲しみのみが、この世の姿を量るもっとも深い物差しかと思われます。
そういう悲しみの器の中にある存在、文字や知識で量れぬ悲しみを抱えた人間の姿、
すなわち存在そのものが、文字を超えた物差しであるように思われます。
           (前掲書)


いろいろな想いが蘇ったのか...
「私は少し疲れたから家に入るわ。あなたはゆっくり見ていってくださいね」
そう言って、おばあさんはまた杖をつきながら家の中に入っていった。

 

ぼくはしばらくそこに立ち尽くして桜を見上げ、
そして坂道を降りていった。

 

ふと足元を見下ろすと、山から浸みだした清水の流れに赤い椿の花が落ちていた。
清らかな冷たい水に身をさらしながら花は空を見上げていた。
おばあさんの悲しみが、胸の中に紅く咲いた。

 



若松英輔氏が、東日本大震災の後被災地で講演をした折に、
その講演を聴いていたあるご夫人から手紙が届いた。
そのご夫人は震災でご主人を亡くされ、その翌月交通事故で右腕をなくされていた。

ときおり私は、いただいたお手紙をじっと眺めているときがあります。
書かれている文字を読むのではなく、そこに刻まれている見えない文字を感じたいと願っているのです。
そこには、語られることのない人生の真実が記されている。
そのことが、私にははっきりと感じられるのです。お手紙の最後にあなたはこう書いてくださいました。

あまりにたくさんの方々の死にも向きあい、その悲しみのいき場がない感じがありましたが、講演で「どこまでも倖せになること」と言われ、夫が呼ぶまで倖せに生きて、たくさんの方々へもできることをやっていくことでいいと思えました。
 こうしてたくさんの命から命に温かな、大切なことが、こうして脈々と流れてきたことの荘厳さも改めて感じまた。
お心、ありがとうございました。


あなたがこうして生きてくださっていることそのことが、私を助けてくださっています。
倖せをあなたが語ってくださることで、私にも幸福がありありと感じられるのです。
 講演で幸福にふれたのは私ですが、幸福が何であるかを示したのは、私ではなく、あなたです。

   若松英輔『君の悲しみが美しいから 僕は手紙を書いた』


桜の頃にまた来ます。
どうかお元気でいらしってください。
心のなかで、おばあさんに呼びかけた。



おまけ
水墨美術館の一本桜



野口謙蔵『冬沼の鯉』

天に向かって差し上げた翅が、微かな春の風に震えていた。
七年の眠りから醒めた蝶は、渾身の力で翅をひろげたが
飛び立つ刹那に花に化身した。

春の光を吸い込んで咲き乱れる艶やかな花々の足元で
カタクリの花は、まるで闇を吸って生きてきたかのように哀しげな色で咲いていた。


巡りゆく季節を...流れゆく雲を...飛び交う鳥たちを...じっと見上げてきた。
長く厳しかった七度目の冬は
南からの湿った風に吹き払われて、遅れた春が降りてきた。



あの空を翔べたら... そう願って翅を精いっぱいに伸ばしたけれど
瞬く間に望みはやぶれた
薄暗い土の中で生きてきたその色は拭えないのか...
輝く雲が、空を流れていった。

最近、野口謙蔵という画家の詩に再会した。
一度目は志村ふくみさんの文章から『冬沼の鯉』という詩の一部を読み、記してあった。
そして先日、その記述を読まれた方からメッセージをいただいた。
その方は、野口謙蔵の絵をこよなく愛し顕彰しようと活動されている方で
この詩を記した掛け軸の写真を送っていただいたのだ。

一連の言葉が詩なのか
一行一行が独立した詩なのかはよくわからない

冬沼の鯉  野口謙蔵


水底にとどく冬日 背中にあたたかく ひそかにゐる


冬日のかげ ひっそり背中に感じ ぢっと水底にゐる


青い夜 急に低下した水温を感じ やがて氷のはるひそやかな気配


氷の上を夜のけものがあるいてゆく不気味な音 ぢっと水底にゐる


氷の上に月あかり 沼底に青く眠る


氷を通した朝かげ 虹の様にあかるく ひらりと位置をかへる


水底にとどくあさかげの位置に うす青くゐる


降ってはとける雪のつめたさが ひたひたと沼底にしみてくる


冬沼の青い水底に 藻草ひっそりと 月夜のあかるさである


冬の林に 青い沼が眼をさましてゐる朝


鏡のやうな青い沼 冬木ひっそりうつしてゐる


青い冬沼に すっぽりと自分をしづめてしまって 心すんでくる


心せめぬいて 冬沼の青さに自分をおちつける


落葉の路 心せめながら 青い冬沼にうつしてしまった


沼の青さがからだに滲み透って 枯草に光ってゐた


沼底をみやうとするとたん 私の顔にくる うす青い反射を意識する

世間に知られることもなく蒲生野の牧歌的な絵を強い筆致で描き続けた男が
自身のことを表現したに違いない、この詩の悲しみが胸に滲みてくる。
冷たい沼の底で、黙々と生き、そして死んでいく...
「心せめぬいて 冬沼の青さに自分をおちつける」
水の青さ、清らかさを貫く覚悟...
そうして絵を描き続けたのかな...

暗かった森に光が射しこんで、紫色の花びらに赤みがさして焔と化した。
それは無数の花へと燃え移っていった。
春の日の感傷は、一瞬にして蒸発して森のなかへと吸い込まれていった。

しだれ梅の園

糸のような細い雨が音もなく降りはじめた。
前を歩く白髪の夫婦と距離が縮まらぬよう、
土の匂いがたちのぼる小径をゆっくりと歩いていった。


何も言わずに連れてこられたのであろう...
少し下がって歩く夫人はどこか拗ねたようにうつむいている

 

門をくぐり目隠しになっている通路の先で
庭園が視界に入った瞬間、ちらっと見えた夫人の横顔がぱっと華やいだ。
まあ素敵と声をあげ、黙って前を歩く夫を小走りで追っていく...
二人の小さな後ろ姿の向うには、枝垂れ梅が雲のように咲き乱れていた。



 

花が降っていた... 滝が流れ落ちるように降っていた。
雨も霞むほどに いっせいに花が降り注いでいた。



 

花降る軌跡を留めたような、しなやかな放物線のうえに浮かんだ花びらに雨粒が光りそして滴る。
散った花びらは、やわらかな土のうえに降り積もって濡れていた。


 

美しい時間はあまりに儚くて、そして足りなくて...
なんとか押し留めようとあがいてみても、時は容赦なく流れていく。

生まれては死に、生まれては死んでゆく繰り返しのなかで

出会った花々もまた、今生の別れを惜しむひまさえなく散ってゆく。
堕ち行く花に追いすがって伸びたような細い枝垂れが、寄る辺なく風に揺れる。


 

鈴鹿の森庭園...一本だけでも見事な大枝垂れ梅が、
ここには200本以上も各地から集められているという。
そのすさまじい花々がいっせいに開き、そして散っている。
生と死とそのあわいのいのちの姿が、錦絵のように眼前にひろがっている。


 

愛する気持ちを胸に宿したとき、私たちが手にしているのは悲しみの種子である。
その種には日々、情愛という水が注がれ、ついに美しい花が咲く。
悲しみの花は、決して枯れない。
それを潤すのは私たちの心を流れる涙だからだ。
生きるとは、自らの心のなかに一輪の悲しみの花を育てることなのかもしれない。
     若松英輔『悲しみの秘儀』


儚く散るとわかっていても...否、儚いからこそなお人は花を愛でずにいられない。
いつか別れの時が来ると知りながら、人は人を愛しまずにはいられない。
一輪の悲しみの花を育てているのかな...

 

 

ここにはどれだけの花が咲いて堕ちていくのだろう
あの夫婦の姿は、もう僕のいる場所からは見えなかった。
今ごろこの庭園のどこかで、この奇跡のような花を見上げながら
寄り添って春の慈雨に打たれているのかもしれない。

 

僕は再び細かい砂利を踏んで歩きはじめた。
どこかで母親が子供を呼ぶ声が聴こえた。



春の気配

すこしだけゆるんだ寒気の底に、熟れた蝋梅の香りがたゆとうていた。
くすんでしまった蝋梅の花を囲むように植えられた梅の木の細い枝先で
小さな蕾がぽつりぽつりとほころびはじめていた。

花びらも動かぬほどの微かな空気の揺らぎにしたがって
すでに傾きはじめた午後3時の弱々しい陽射しが、戸惑うように揺らいでは
咲き始めた梅の小さな花びらをまばらに染めながら大気に吸い込まれていった。

京都の伏見で仕事を終えて、帰りに市営地下鉄に乗った。
なんとなくこの街を離れがたく...かといって名所に行くほどの元気もなく
地下鉄の路線図を見上げているうちに、この先に植物園があったことを思いだした。
滋賀に居た8年前、京都の漬物工場に打ち合わせに来た日に早く着き過ぎて、ここに寄ったのだった。
多分今ごろの季節のはずであったが、門から入った風景以外になんの記憶も残っていないのは
生きることに希望を失って茫然としていたからに違いなかった。

 

幻の光に誘われるままに踏み入れてしまった迷路の分岐のその先に、もう行き止まりの壁が見えていた。
道を踏み外してからこの方、何度も何度も突き当たってきた壁だった。
冬枯れの薄暗い道には、歩いても歩いても春はどこにも見当たらなかった。
きっとあの日は、ベンチにへたり込んで焦点の合わなくなった眼で足元ばかり見ていたのかもしれない。

 

そうしてみると、いまは少しだけ明るくなってきたのかな
今日のこの陽射しのように...まだまだ春とは言えないまでも
空を花を見上げている自分がいる。
あの日とは違った自分が、ここに立っている。

 

先の見えない薄暗い迷路には変わりはないけれど
諦めなければならないことばかりの情けない日々だけれど...
それでも決して負けないと、あのお方に誓ったから...
先日不意に届いたお手紙
「いつも見ています」という慈愛の一言に、胸が熱くなった。

 

今年の冬は厳しかったな...
それでもこうしていのちは芽吹き、いのちは開いく。
生きなければ...



冬の日はみるみるうちに光を失っていくように思えた。
楠の並木に差しかかった時、その大木の影に大きく傾いた陽光が射しこんだ。
その瞬間、薄暗い木陰に咲いていたマンサクの情けないような細い花びらの穂先が不意に光った。
その金色の火は次々に燃えひろがっていった。
僕はただ呆然と、その輝きを見上げていた。
そしてその火が、胸のなかに燃え移ったような気がした。

 

おまけ
別の日の梅@愛知


 

 

冬の漁師小屋

真っ暗な雲の下で、風に煽られて大きく膨れ上がった波が、
碧くなったり黒くなったりしながら、幾重にも折り重なるように岸に押し寄せていた。


強烈な風に何度も圧し倒されそうになりながら、僕は浜辺に向ってゆっくり歩いていった。
海から吹き上げてくる雪は、羽虫のように正面から襲いかかり、
全身にぷつぷつと当たっては、そのまま吹き飛ばされていった。
切り裂かれるような痛みの後に顔はびりびりと痺れていった。


捨て置かれた小舟の縁につかまり、轟々と荒れ狂う海を見渡した。
仲間からはぐれた鳥が一羽、飛び立つこともできずに波打ち際をよるべなく歩きまわり
そのはるか向こうの河口のあたりで、硬直した鹿の死骸が波に洗われていた。
耳元をかすめる風の音が激しくて波の音さえ聴こえなかったが
冷え切って痛みを感じ始めた脳の中には、何故か美しい音楽が響いていた。

 

皮膚の痛みが増すほどに、呼吸が苦しくなるほどに
生きている実感が湧き上がり、自分のいのちが愛おしいと思った。
こんな厳しい風のなかに立ったことはなかったな...
吹き飛ばされていく雪の粒が、生きてきた時間のように思えた。


時間は凄まじい速度で永遠に飛び去っていく
自分もそんな時間に晒されて老い衰えてしまったけれど、
それでもこうしてここに立っている。



廃船の両隣には朽ちかけた漁師小屋が建っていた。
いつからここに立って海を見てきたのか...
かつては子どもたちが駆け回り煙突から煙もあがっていたのだろうが
いまは明かりも灯らないガラス窓に雪がへばりついていた。

 

ふと思いついて背後の土手によじ登った。
大海原をまっすぐに見据えて暴風の中に老兵たちが黙って立っていた。
その中ほどに脚を踏ん張って立っている自分の後ろ姿が見えた。
ここで、こうして生きていくしかないのだ....


いつしか途切れた雲の間から光が射しこんで、遠くの海が輝きはじめた。
浜辺に立っている自分の眼が空の色に染まっているような気がした。

 



雪をかく老婆

郵便局の赤い車が行ってしまうと
そのまっすぐな雪の坂道は静寂に包まれていった。
目の前も霞むほどの雪は
風のない大気のなかをスローモーションのように
しかし止めどなく降り続けていた。


 

おわらの夜に人で埋め尽くされたこの石畳の坂道に
いまは分厚い雪が降り積もり、人影はひとつとしてない。
息が苦しくなるほどの雪のなかを一歩また一歩と、僕はのぼっていった。
傘にあたる乾いた雪の音と、雪を踏むきしむような音以外には何も聴こえなかった。


 

そのとき、雪に煙る坂道の途中で不意に浮かび上がった一人の人影...
老婆が一人 雪をかいていたのだ。
家の前なのか...石畳の通りの端から端にスコップで雪を寄せては
山の水か流れている「雪流し」という側溝のふたを開けて、どさりと落とす。
雪の大きな塊は、水の流れに吸い込まれるように消えてゆく...


 

しかし、なぜこんな大雪のなかで彼女は雪をかいているのだろう...
街の人々は家に籠って、誰一人外を歩く人もいない
雪はますます烈しくなるが、老婆はそんなことには目もくれず
ただ黙々と雪をかいては、雪流しに落としている。

 

雪の降り積もる坂道のそこだけ、石畳がのぞいて見える。
おわらの列が通り過ぎた石畳が...

 

老婆の横を通りすぎて、しばらく歩き
南天の紅い実のなる家の軒下から坂道を振り返る。
かいてもかいても雪はまた積もっていくのに
それでも彼女は雪かきをやめない。
家族も誰もいないのか、ただひたすら憑かれたように雪をかく

長い長い真っ白な坂道の上にいるのは

僕と老婆だけだった。

 

見ている間だけでもどれほど往復したのだろう
老婆のその動きを見ているうちに
ふと、彼女が何かを祈っているようにみえてきたのだった。
誰にもわからぬ彼女だけの儀式であるかのように
誰もいない大雪のなかで、一心に雪をかいては落とす。

 

彼女が、雪落しに落としているものは哀しみか…
胸に浮かぶのは遠き日の辛い思い出か…


おわらの夜の賑いは、かえってこの街の日常を寂しいものにする。
雪の降る日には、そんな想いが溢れてくるのかもしれないな。

 

人はみな、誰にも理解されない寂しさを抱いて生きている。
それでも生きていくには、悲しみを振り落として

涙をぬぐいながら歩かねばならないのだろう。


 

坂道をさらに上へと昇りはじめたとき、
雪はいっそうに激しく降りはじめた。
彼女が心配になって振り返ると、その姿は雪煙に紛れて見えなくなっていた。

 

僕は空を見上げた。

そして、誰かに手紙を書きたくなった。

 

無名の悲しみ

降りしきる雪のなかでその花に出会った。
深い緑の葉陰に身を隠すようにして、その白い椿は
降りかかる雪よりもなお白い悲しみをまとって
雪の降り積もる大地をじっとみつめていた。


午後から降り出した激しい雪は、瞬く間に街を包んでいった。
車も人も途絶えた通りを、窓辺に立ってぼんやりと眺めながら、
雪のなかを歩きたくなってふらふらと出かけた。

 

灰色の空を竜がうねるように逆巻く雪を見上げながら
静まり返った街を抜けて、宛てもなくただ歩いた。


 

住宅街を抜けた畑地への真っ白な一本道で
ふと振り返ると、その花が咲いていたのだった。

 

その花の悲しみはどこから来るのか...

「何を悲しむのやら分かりませんが、
 心が泣いておりました」(中原中也「朝」より)
この一節は、中原中也の生涯を痛切なまでに表現している。
自分が悲しいから泣くのではない。世にある無数の、無名の悲しみが詩人に宿るのである。
  若松英輔小林秀雄 美しい花』 「信仰と悲しみ..中原中也


寂しい場所でひとりで咲いて、明日にはぽとりと堕ちてゆく
しかし、彼女の白い悲しみは、儚いいのちゆえの悲しみではないのだろう
世の悲しみを...無数の無名の悲しみをわが身に引き寄せて
そしてあんなにも真っ白に咲いたのだと思う。

 

見渡す限り誰もいない銀世界のまんなかで
僕たちはしばらく見つめ合っていた。
こんなに激しい雪の日に、あてもなく歩いてきたその道で、
彼女に出会ったことが、ずっと前からの約束であるように思えた。
生きる方途を見失った僕に、いのちの美しさをしめしてくれた。

現実の問題は解決しなくとも、それにたちむかう新しい力が湧きあかってくる。
現実の世界は苦悩にみちみちていても、それはもっと大きな世界の一部にすぎず、
そこに身をおいて眺めれば、現世でたどる人生のもろもろのいきさつは、
影のようにみえてくる、重要なのは、今自分のうちにあり、
自分をとりまくこの大きな力のなかで生きていることなのだ、その力が宇宙万物を支えているのだ。
  神谷美恵子『生きがいについて』


神谷美恵子さんの姿にも重なるな...
ハンセン病に出会い、そしてそこに身を捧げていったあの慈悲の根底はやはり悲しみだったのだ。

 

悲しみの川を泳がずして、幸福の彼岸には渡れないのかもしれない。
その川が深かったとしても、負けないように...枯れないように...生きねばならぬ

 

降りやまぬ雪の中で花は不意に微笑んで、もう行きなさいと言った気がした。
厚い雲の上をゆく太陽はいまどこにあるのだろう…
僕は、来た道をゆっくりと歩きはじめた。

 

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帰り道で出会った 山茶花 蝋梅






冬枯れのなかに

閉園間近の植物園の切符を買って門をくぐった。
閉門までにはお戻りくださいと言いながら、係員が怪訝な顔で半券を切る。
僕は、日没の迫った緩やかな坂を急ぎ足で登っていった。


名古屋での仕事を終えてホテルに向かう途中、東山動植物園の前を通り、不意に車を停めた。
冬の植物園に、なぜ衝動的に足を踏み入れたくなったのか...
自分でもよく解らないまま、緑さえ乏しい枯葉色の道を歩いていった。


僕はひどく疲れていた。
正月2日に施設から帰った父が高熱を出して夜中に救急搬送され、誤嚥性肺炎と診断された。
酸素のチューブを鼻に差しこまれて強制的に呼吸をさせられ、意識も朦朧として目を閉じたままの父を見て
このまま命の火が消えてしまうのだろうかと思った。
父の生命力は、それを覆して数日後には熱も下がり意識も戻ったが
認知症はさらに進んで、とうとう僕のことさえわからなくなってしまった。
去年の秋ごろから父の行動がおかしくなっていったのは、施設の紹介で行った精神科の処方した薬のせいだと信じている母の
施設やケアマネに対する不信と怒りは収まらず、間に立って病院との調整に右往左往した年の始まりだった。
仕事も誰もが目を背けるような仕事ばかりで数字も出せず、会社に戻れば下を向いているしかない自分
先の見えない冬枯れの道を歩くような日々に、疲れ果てていた。

枯葉の積もるその道を、うつむいたまま歩く...
鳥も鳴かない乾いた空気のなかに、かさかさと自分の跫だけが聴こえる
閉門の時間が気になりだして、そろそろ引き返そうと思ったとき、
目の前の石段に赤い花びらが積っているのが見えた。

ふと見上げると、陽の当たらない薄暗い木立の中に立つその山茶花の木には無数の赤い花が咲き乱れ、
そして時折その真紅の花びらが冷たい大気のなかをはらりはらりと舞い落ちていた。
僕は花を踏まぬようにその木の下まで行って、時間も忘れて祈るような気持ちでその花を見上げていた。
何を祈っていたのか...父の回復をか...仕事のことか...否、そんなことではなかった。
この世に生まれて、こうしてこの場所に立てたことに...
こんなに厳しく寂しい季節に咲いては散ってゆく美しい花に出会えたことへの感謝の祈りであった。
すべて受け入れよう...願ってここに生まれこうして生きているのだ

雲が切れて、大きく傾いた西陽が森のなかに射しこんだ刹那
その紅い花は、陽射しを吸い込むようにいっせいに輝きはじめる。
氷のような緊張がほどけていくような気がして西の空を見ると
自分の頬にも朱い陽射しが当たっているのだということに気が付いた。

ほっとした気持ちで坂道を降りていくと、不意に甘い香りが鼻をかすめて風の方を眼をやると、
梅の花がまるい蕾からぽつりぽつりと透きとおった花びらを開いて、暮れゆく空のしたで星のように浮かんでいた。

閉門時間が迫ったことに気が付いて、ぼくは坂道を走りはじめた。


大事な友と...

伊勢湾岸道から桑名に入った入ったあたりから雨になり、員弁川に沿って北上していくうちに、霙が混じりはじめた。
仕事を終えて建物から出てくると、それは吹雪きとなって吹き荒れ、鈴鹿山脈の稜線さえも見えなくなっていた。


三重県の天気予報は晴れだったのに...
二人と一緒に観ようと約束していたあの美しい夕陽は、今日は観れないのかな...
「今から出発するよ」とLINEを入れた。


数日前...うどん屋『かめ吉』の大将に連絡して
久しぶりに三重に泊まることにしたので、会いに行きたいと言うと、ゆっくり一緒に過ごしたいから店の営業を休むという。
年末の稼ぎ時に一日分の売り上げをふいにするのは申し訳ないから、閉店後でいいと言ったのだが、もう決めたから一緒にともやま展望台で一緒に夕陽を見ようと誘われた



単身赴任をしていた志摩で、開業したばかりの『かめ吉』にふらっと入ってから12年
うどんが美味しいので毎日のように食べに行き、ご夫婦とも気が合って、閉店後に一緒に飲み歩いたりしていたが、2008年のはじめに会社が破綻して、三重を引き上げてからは、めったに行けなくなってしまった。


伊勢道を下るうちにいつしか雪はやみ、雲は切れて晴れ間が広がっていった
しかし、山側から吹き下ろす風は強く、何度もハンドルをとられてはスピードを落とした。
「早く来ないと陽が沈んでしまう」とLINEが入る。
ふと「日没に少し遅れてくるがよい」というあの「走れメロス」の悪王の言葉が蘇る。
大丈夫... 待っていてくれるさ


とっても心優しくて、ちょっとシャイな大将のかあくんと、底抜けに明るい女将のきみちゃん
三重から帰ったあとの失業と転職の繰り返しの間も、たまに声をかけてくれて...どれほど励まされ、勇気づけられてきたことか...


今年もいろいろあったな
父の大怪我...手術... 進む認知症
息子の一級建築士試験 娘の地域活動での新たな挑戦...
いろいろあったけれど、すべてが良い方向へと向かっているように思う。
こうして一年の終わりに、大事な友と大好きな景色が観れるなんて
なんと幸福なことだろう...


志摩半島に入ったころには日没の刻限はいよいよ迫り、国道からは西側の木立に遮られて、太陽は見えなかった。
逸る気持ちで国道を右折し、ともやまへと向かう道を飛ばす


展望台に着くと、軽自動車から二人がいつもと変わらぬ笑顔で降りてきた。
凄まじい寒風が吹きすさぶなかで、三人並んで静かな英虞湾を見渡しながらその時を待った。
太陽は、二人が生まれ育った志摩半島の先端に向かってゆっくりと落ちていった。


雲は少なく、空も海も燃え上がることはなかったけれど
日没の寸前に周囲の雲だけがぱっと焼けた。
その瞬間をカメラで追いながら、傍らでふざけ合う二人の声を愛しく想い
いつまでもこうして仲良く元気でうどん屋をしていってほしいと
ファインダーの中の太陽に願った。

そして海は静かに闇のなかへと沈んでいった。


おまけ
その後、五カ所湾のヨットハーバーのイルミネーションを観に行って
居酒屋で乾杯 美味しい魚をいただきました。

そして翌日の鰻

一級建築士合格の日に

低い欄干に両手をついて 橋の下を覗き込むと
昨日の雨で水嵩を増した清流が、岩で砕けていよいよ激しく流れていた。
もう正午になろうというのに、冬の低い陽射しは狭い川原の枯草を照らしはじめたばかりで川面には届かず
暗い川面のところどころに白波が立っているばかりであった。

岸辺に降りて岩に腰かけ、その時を待つ。
やがて尾根の上に現れた力ない太陽の陽射しが深い谷間に射しこんで
ひたひたと水の揺れる川岸の緩やかな流れを光の中に浮かび上がらせた。

スマホに届いたばかりの、息子の合格発表の画面を今一度開いて見つめる。
感情をあまり露わにしない息子の、はにかんだような笑顔が浮かぶ。
よくやったな...
大学院を卒業してからずっと下積みの苦しい仕事を我慢強くしてきた息子が
一級建築士を取るために、小さなアトリエ事務所を辞めたのは去年のことだった。
毎日終電ぎりぎりまで仕事をして、月に1日休めるかどうかの職場では
勉強に専念する時間を捻出することが不可能だったからである。
担当した仕事が立て続けにグッドデザイン賞をはじめ、数々の海外の賞も受け
お世話になった事務所ではあったが、将来を考えれば苦渋の選択であったと思う。


息子はこの一年にかけていた。
それでも仕事をしないわけにもいかず、いくつかの事務所の小さな仕事を掛け持ちながら
結局忙しいなかで、高い授業料を払って学校に通い、必死に勉強に取り組んできた。
親としてなんの援助もしてやれないことが情けなかったが
彼は愚痴ひとつ口に出さずに、一人で黙々と闘い抜いた。
7月の一次試験は、受験者26,923人中 合格4,946人 合格率18.4%
9月の二次試験は、過去の一次試験合格者も加わって、受験者8,931人中 合格者3,965人 37.7%
全体の合格率は、ここ数年の平均12.5%程度を大きく下回って、10.8%
難関を見事に勝利したのであった。


家計の事情を知ってか知らずか...無理をして家の近くの公立進学校に入学した。
しかし、成績はふるわなかったようで、周囲の同級生が有名大学に合格していくながで
大学は滑り止めひとつしか合格しなかった。
私の失業中ということもあって浪人もできず、黙ってその大学に進んだ。
大学で人が変わったように頑張って、上位の成績をとり続け大学院まで進んだが、
景気も悪くて希望する企業には入れず...そして卒業直前にあの震災が起きた...


私はといえば、息子の受験大詰めの11月にリストラに遭い翌年9月まで失業
受験勉強中に大きな不安を抱えさせてしまったことは間違えない。
その後も、大学4年で大学院に進む直前に会社がつぶれて4か月の失業
大学院2年生の時にまた会社がつぶれて14か月の失業...
こんなダメな父親の子どもとして生まれてきたことからして、あまり運がよくないのだろうが...
それでも、彼は負けなかった、おそるべき忍耐強さで闘ってきた。


よかったな 本当に...
7月の一次試験から、何よりも何よりも、息子の試験が大きな願いであった。
光の射さぬ谷を、この川のように弛まずに黙々と流れてきたのだ。
誰の眼にとまらずとも、内なる情熱をたぎらせながら激しく流れてきたのだ。
一級に合格したからといって、そこで終わりではない。むしろ始まりなのだろう...
川の流れは留まらない。
濁りなく、汚れなく、我が道を往け
やがて光射す時が来るであろう。その時に輝けるように、光に恥じぬように...
時には大空を見上げ、美しき森を眺め、鳥のさえずりを聴きながら
その時を待つのだ。


冬の太陽は、高い尾根に阻まれて、それ以上その谷に射しこむことはなかった。
車に戻って川沿いの道を下りはじめる...
川はいつしか道から遠ざかって、どこに流れているのかも見えなくなった。
しかし、檜の木立を抜けたそのとき、視界がひらけて川は再び道路の脇に現れた。


車を降りて、川の畔に降りていくと
陽射しを阻むもののない川面一面に光を吸い込んで、
その流れはいっせいに金色に輝きはじめたのだった。


おまけ
合格祝いに息子にプレゼントしたペーパーナイフ
合格の報を聴いてから、黒柿を削って作りました。



そして、合格発表の前日
私の誕生日に、なけなしのお金で息子がプレゼントしてくれた高級ウィスキー
そして 一緒に乾杯

翡翠色の海

鉛色の空から落ち始めた霙が、灰緑の波の上に無数の波紋を残しながら海に溶けていった。
山から這い降りてきた痺れるほどの冷気が、海の吐息を白く曇らせる。


それは、海に溶け込むように死を迎えたいのちが、再び次の生へと蘇っていく姿のようであった。

冬の上越の海を見たくなって、出張を一日延ばしにして富山から東へと向かった。
県境を越えるあたりから平野は急激に狭まる。
急峻な山が海に迫ってせり出し、長いトンネルがいくつも続く合間に海と山に挟まれた細長い街が現れた。
そこには、モノクロの景色の中で、わずかに緑を溶かしこんだような海だけがうねっていた。


なんと寂しく、そして厳しい景色であろう...
かつてこの街道を歩いていたであろう瞽女(ごぜ)の旅姿を思い浮べる。
瞽女とは、江戸時代に上越高田で発祥した盲目の女性の旅芸人のことである。
眼病などで視力を失った女たちが、高田の瞽女屋敷で三味線や唄を教えられ
村々を歩きながら、芸を披露して米や農産物と引き換えることを生きる術としていた。
娯楽のなかった時代...北陸の農家の人々は、暦を繰って瞽女たちの訪れを待っていたという。


「七つの時に眼がつぶれて、杉坪の薬師さんに母親につれられ参ったけれどなおらず、
とうとう医者からも、もうお前の眼はなおらんといわれて...
ある日のこと、俵をあんでいたお父つぁまに『キクイよ。お前は一生眼がわるい。
ふつうの子のように学校へもゆけんからして、あんまになるか、ごぜになるかせんならん。
どっちになるのか』と問われて、『あんまとはどんなことをするもんかいの』とお父つぁまにたずねると、
『人さまの肩をもんだり、腰をもんだりすると、お菓子やらお金を下さる』といわれた。
そんではごぜとはなにをするもんかとたずねると、『三味線をなろうて、歌をうとうて歩くと、
人さまがお菓子やらお金を下さる』というので、そんならわたスは、あんまよりも、ごぜさんになりますというたら、
お父つぁまが、当時のここの親方さんであったマセさんにたのんでくれて、七つの時にもらわれてきたのでござります」
 七つでもらわれてきた時に、はじめてこの瞥女屋敷で寝たが、父母が恋しゅうてたまらなかったそうだ。
あずけて帰った父親が、『十日寝たら、またつれにくる』といったそうだが、
その十日が、いつまでたってもこないのだと、マセさんにだまされて大きくなった時代のことを物語る
七十歳のハルさんのつぶれた眼に涙が出てくる。すると、そばできいている手ひきのキヨさんも鼻涙をすする。
  水上勉『失われゆくものの記』より「雪のなかの瞽女たち」

昭和に残った最後の瞽女の話である。
昔はもっと寂しかったであろうこの海に沿った道を、手引き女に誘導されて歩く瞽女たちの姿に想いを馳せる。
年端のゆかぬ少女もそのなかには混じっていたのだ。

まだ雪のとけきらない三月はじめて、ゆく先々で、みぞれ雪にあいました。
当時の足袋は、甲だけあって、底のないもので、びちょびちょのぬかるみに足がつかると、凍えて痛くて泣いてばかりいた。に
すると親方さんは、通りかかった馬車をよびとめて、『この子を乗せてやってくれのう』とたのんでくれます。
馬方さんは乗せてくれました。道すがら、ぬかるみに足がつかって冷たいのは、家を出る時から裸足じゃなかったからじゃ、
家を出る時から裸足なら、途中で会うたぬかるみも温こうなるわいの、と親方さんが教えてくれました。ありがたい教えでございます」
 盲目の幼少時から、本一冊よんだことのないこの瞽女のロから、私たちが万巻の書をさがし求めても出てこない人生哲学が語られる。
きいている私の眼も自然とぬれてくる。
   前掲書

こうして整備されていても下を覗くのが恐ろしいような絶壁の上の道を、女たちは手を取り合って歩いたのだな...
いつしか霙があがり空が明るくなるにつれて、海の色も変わっていった。
小高い丘の上から見下ろすと、深い翡翠色の海がひろがっていた。

光のすぐそばにわれわれが黄と呼ぶ色彩があらわれ、闇のすぐそばには青という言葉で表される色彩があらわれる。
この黄と青とが最も純粋な状態で、完全に均衡を保つように混合されると、緑と呼ばれる第三の色彩が出現する。
  ゲーテ『色彩論』

瞽女たちの眼には、この美しい海の色は映らなかったであろう。
しかし、彼女たちの闇の世界にも光の射す瞬間はあったに違いない。
ぬかるみの温かさに気づいたとき...訪ねた先の人々に温かく迎えられたとき...
聴衆の歓声を耳にしたとき...いただいた米に手を差し入れたときのぬくもりを感じたとき...
その瞬間、いのちのなかには、こんな色が映っていたのだと僕は信じようと思う。

考えてみれば僕らとて、一瞬先のことさえも見えない無明の闇なかで生きている。
そんな不安に苛まれそうになったとき、この海を思い出そう。
瞽女たちが、漆黒のいのちのなかに湛えていたであろう哀しくも美しい海を...
僅かばかりの光を吸い込んで、輝きはじめた翡翠の海を...

瞽女の育った街が見たい...そう思って高田に向けて走ってはみたが、
その街に着くころには夕刻の闇が迫っていた。
また来ようと諦めて引き返そうとしたその時
雪に覆われた畑の隅にとり残された柿の木が視界に入って車を停めた。
雪景色のなかに浮かび上がる朱い実が、何故か雪のなかで唄う瞽女たちのように見えた。

おまけ
雪のいもり池と野尻湖 そして富山の雪景色




紅葉を求めて...

西側の山の稜線から現れた雲が、薄墨が拡がるように青空を覆っていった。
不意に降りはじめた霙がフロントガラスにへばりついて、山々の紅葉を滲ませた。
ワイパーに拭われるごとにできる扇のなかの紅葉の絵巻は、コマ送りのように姿を変えながら、窓ガラスを伝う霙とともに過去へと流れていった。

 


 

香嵐渓の近くを通りかかって、ふと幻想的なライトアップを見たのは去年の今頃だったなと思い、昼間の紅葉を見ておきたいと思って立ち寄った。

400年前から人の手で植えはじめられたという紅葉の山は、まだ多少の青葉も残ってはいたが、青空の下で全山が見事に染まっていた。
夜空の下でライトに照らし出されていた、あの妖しげな蝶の片鱗はどこにも見当たらなかった。
天を覆い尽くす紅葉に心を躍らせながら川沿いをしばらく散策したが、続々と詰めかける観光客であたりは人でいっぱいになってしまい、
錦繍の天幕の下はにわかににぎやかになった。

厳しい冬を迎える前のお祭りだと思えばよいのだろうが、どうも自分はこの雰囲気には合わない。
一人になって静かに感動を胸の裡に矯めておきたかった。
そして再び車に乗って、渓流に沿った坂道を走り始めたのだった。


 

走るうちに霙を降らせていた雲はいつしか流れ去り、その湿地に着くころには陽が射し、
雑木林の向うに見える黒い沼に、一段と冷たくなった青空が映りこんでいた。


かさかさと落ち葉を踏む音だけが辺りに響く。
降り積もった落ち葉が そのまま土に還っていくやわらかな大地を踏みしめながら
静寂のなかで大きく息を吸い込んで、頭上を覆う紅葉を見上げた。

都会の紅葉は年々色褪せていくのに、この山中の紅葉のなんと鮮やかなことか...
色づいたかと思うとすぐに縮れ始める街の紅葉を思い浮かべ
人もまた色褪せていく都会の喧騒を歩く人の色なき顔を想う
いのちの速度に合わぬ急速な進歩は、知らぬ間に心身を疲弊させ、情緒も歓喜も薄れさせていく。
強いものが弱いものを見下し、疎外する社会...
生きている違和感だけが胸をしめつける。



それにしてもなんと心地のよい場所だろう
冷気を胸に吸い込むたびに力がみなぎってくるように思える。
ここの冬は厳しいのだろうな...
それでも、この木々はなんと立派に生きていることか…
ほどなく散ってしまうその前に、こうしてぱっと燃え上がることが
きちんと生きてきた証しなのかもしれない。
倒木に腰を下ろして見渡す限り人の気配のない木立のなかで
空を見上げ、風の音に耳をすませる。

自分はこんなふうに晩年の自分を燃立たせることができるのだろうか...
今はまだよい..みすぼらしくても、ぶざまでも...
ああ、誰にも見られないこんな場所でよいから、燃立ってそのまま倒れたい

 

背後で足音がしたので振り返ると、カメラを抱えた老人が一人あるいてくるのがみえた。
この周囲は紅葉も終わってしまったが、ここは素晴らしいと言いながら
嬉しそうに紅葉を見上げて微笑んだ。
強い陽射しが紅葉を透かして、その顔をぱっと朱く染めた。
自分の顔もあんな色に染まっているのかなと思いながら、老人の見ている方を見上げた。
紅葉のうえに、白い雲がひろがりはじめていた。