ミケランジェロの生涯

ミケランジェロといえば、ダビデ像ピエタ像..
システィナ礼拝堂の天井画、『最後の審判』...
が思い浮かぶ
もちろん写真でしか見たことはないのだが...

 

あれほどの作品群を世に残した英雄は、
天性に恵まれた雄々しい巨人であるに違いないと思いこんでいた。
しかし、そうではなかった。
不決断で意志力に弱く、家柄や金のことでいつもくよくよ悩んでいた。
ときには親友を売ってしまうほど臆病者でもあった。
ミケランジェロの生涯 (岩波文庫 赤 556-3)

彼にとってはすべてが苦しみの種だった。愛までも...幸福までも。
彼ほど悦びにふさわしからぬ者はなく、彼ほど苦痛にふさわしい者はなかった。
苦痛だけを彼は見た。この広い世界で彼が感じたものは苦痛だけだった。
この世の厭世思想のすべてが次の絶望の叫び、崇高にも不当な叫びに凝集している。
・・・・
彼は独りだった。彼は憎み、そして憎まれた。彼は愛した、けれども愛されなかった。(中略)
ベートーヴェンには世間の誤ちのために悲しかったが、性質は愉快でいつも歓喜を求めていた。
ミケランジェロは彼そのものが悲哀であり、それが人々を怖れさせ本能的に逃げさせた。
彼は自分の周囲に空虚を作っていた。
             ロマン・ロランミケランジェロの生涯』(高田博厚訳)

ベートーヴェンの生涯』は、本が擦り切れるくらい読んできたが、
ミケランジェロの生涯』は、初めて読了した。一度は挑戦したが、あまりにも苦しくて挫折した。
ベートーヴェンとは質の違う苦痛が、彼の生涯にはつきまとっている。
その苦悩の塊のような人間が、なぜあれほどの大事業を成しえたのか...

苦悩は無限であり、さまざまな形をとる。
時には逆らいようもない物事自体のむごさに依っておこる。
貧困、病気、不運、人間の悪意。時にはそれは存在すること自体の中にその源をもっている。
そういう時も苦悩は同じように痛ましく同じように避けられない。
なぜならば人間は存在することを自ら選んだのではなかった。
生きることをねがったのでもなく今あるようにあろうとねがったのでもなかった。


(中略)


自分の存在することと物事が調和しない、生命とその法則が調和しない。
偉大な人間においてもこれは彼らの偉大さにかかっているのではなく、その弱さにかかっている。
なぜその弱さを隠そうとするのだろう?弱い者は愛する値いがないのだろうか?
彼こそいっそう値いする。彼はいっそう愛を必要とするのだから。
近づき難いような英雄の像を私は建てはしない。
人生のみじめさや魂の弱さから眼をそらすような臆病な理想主義を私は嫌う。
大げさな言葉で瞞されやすい幻にすぐこころひかれる一般人に対して言わなければならない。
勇ましい虚言は卑怯であると。
世界に真の勇気(ヒロイズム)はただ一つしかない。
世界をあるがままにみることである。....そうしてそれを愛することである。

                          (前掲書 「序」)

ミケランジェロは、ありとあらゆる苦痛に打ちひしがれていた。
それは周囲の人間によるものでもあり、自ら引き起こしたものでもあった。
生きることを自ら願ったのでもなく、今あるように願ったのでもない自分の心は
次第にミケランジェロに寄り添っていく。
ベートーヴェンのような明るさも強靭さもない。弱さを隠すこともない。
しかし、ミケランジェロは主人である移り気な法王たちに振り回されながらも、仕事を止めることはなかった。
寝る時間も食べる時間も惜しんで鑿をふるい続けた。
自らの苦悩を石に刻みつけていった。
25歳で彫り上げたダビデ...なんという美しい姿...5m余の巨大な像
しかし、人々からは破廉恥だと言われ石を投げられ壊されようとした。
本の表紙にもなっているサン・ピエトロのピエタ...十字架から降ろされたキリストを抱く母の哀しみ...

(写真はwikipwdiaより転載可能なものをコピー)

 

偉大なるシスティナの天井画(これは後日書く)

 

ベートーヴェンの生涯』では、「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!」というのが結論であったが
ミケランジェロの生涯』では、苦悩がそのまま幸福なのだという結論になる。

あなた方はこの世を悲しく、けれども美でみたす。
あなたたちの苦しみがもはやないときには、この世はいっそう貧しくなるであろう。
苦しみの前に震え、幸福の勝利(これはほとんど常に他人の不幸への権利にすぎない)を騒ぎ立てて
要求する卑劣者たちの時代に、苦しみを正視してそれを祝福しよう!
歓びをたたえんかな、苦しみをたたえんかな!
二つは姉妹であり、いずれもが聖なるものである。
それらは、この世を鍛え、偉大なる魂を充実させる。
それは力であり、生命であり、神である。
この二つをともに愛さない者はそのいずれをも愛さない。
そうしてこの二つを味わったものは人生の価いを知り、人生を去る甘美さを知る。
                        (前掲書)

読んでいて苦しい...悲しい。息が詰まる...
しかし、ミケランジェロの後ろ姿は、悲しみを携えたまま、休むことなく鑿を大理石に打ち込んでいく。
苦しみを正視しなければならない。
そして、休まずに悩み続けること、書き続けること、行動しつづけること..
ミケランジェロの生涯で感じたこと。
世界をあるがままに受け入れて、気高く生きること...

この悲劇的な物語を終るに際し、ある慎しみから私に気になることかある。悩める人たちに、
彼らを支える悩みの友達を与えようと念じながら、かえって彼らの悩みに更に悩みを加えはしなかったろうか。
他の多くの著述者のように私もまた、英雄たちの英雄的行為だけを伝えて、
彼らの中にある悲しみの深淵にはおおいをかけておいた方がよかったのではないか?
 いや、そうではない! 真実をこそ語るべきなのだ!  
偽ってまでも幸福を、どんなに無理をしてでも幸福をわか友に与えようとは、私は約束しなかった。
私は友らに真実を約束した。
幸福を犠牲にしても、永遠の魂をきざみつける雄々しい真実を与えよう。その息吹きは荒いか清らかである。
われわれの貧血した心をそれにひたそう。
偉大な魂は高い山嶺のようである。風が吹き荒れ雲が包んでしまう。
けれどもそこでは他のどこよりも充分にまた強く呼吸できる。空気は清く心のよごれを洗い落す。
そうして雲が晴れると、そこから人類を俯瞰できる。
                   (前掲書「あとがき」)

もう一度窓を開けよう!広い大気を流れ込ませよう!
英雄たちの息吹を吸おうではないか!
      ロマン・ロランベートーヴェンの生涯』