先日観に行った写真展で
ロバート・キャパという人間に興味がわき
彼の手記『ちょっとピンぼけ』を読んだ。
世界で初めての戦場カメラマンとして
20年にわたって戦争の最前線に赴き、戦争の残虐と非道を憎みながら、
それを世界に伝えるべくシャッターを切り続けた人
手記は1942年から始まり、第二次世界大戦終局までの3年間にわたるもの
常に死と隣り合わせの現場を渡り歩いたにもかかわらず
文章は、あくまでも明るくユーモアを交えて記されている。
ここに掲載されている写真は数少ないが
先日観た膨大な写真を思い描きながら、読み進める。
彼の写真は、単なる事実の報道ではない。
そこには、人間への愛に溢れている。戦争への憎しみが溢れている。
彼がいなかったら、戦争の報道は為政者たちによって自国の正当化に利用されていたことだろう。
- 作者: ロバート・キャパ,川添浩史,井上清一
- 出版社/メーカー: ダヴィッド社
- 発売日: 1980/01/01
- メディア: 単行本
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キャパの写真は、彼の精神の中で作られ、カメラは単に、それを完成させただけだ。
すぐれた画家のカンバスのように、キャパの作品は常に、あきらかな表現をとっている。
キャパは対象について、どのように見て、どのように為すべきか、をよく知っていた。
例えば、戦争そのものを写すことは不可能であることを、彼は知っていた。
何故ならば、戦争は激情の、果しない拡がりであるから。
然し、彼はその外にあるものを撮って、その激情を表現する。
一人の子供の顔の中に、あの民衆全体の恐怖を、彼は示した。
彼のカメラは、そのとき、その激情を捉え、且つ、展げたのだ。
キャパの作品は、それ自体、偉大なる心の画であり、その故に、圧倒的な共感を、
いつもよびおこすものである。
何人も彼にとって代ることは出来ない。すぐれた芸術家にとってかわることは、いつも、
でき難いものであるが、幸いにわれわれは、少なくとも、彼の写真の中に人間の本質なる
ものを、学ぶことが出来るのだ。
ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』 まえがき「キャパが遺したもの」ジョン・スタインベック
先日紹介した「アメリカ軍兵士と彼の部隊が養子にした戦争孤児たち」
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20130303
とともに、最も印象に残った写真
ベルリンが陥落し、ヨーロッパにおける大戦が終結したその日
キャパは、やはり最前線に入っていた。
ナチスへの最後の総攻撃...
ある橋を渡る仲間を援護するために近くのアパートのバルコニーから射撃をする若い兵士...
その兵士の顔は清潔で、明るくきわだって若々しかった。そして、彼の銃はナチスを倒しつづけていた。
私はバルコニーの上へでて、2ヤードくらい離れて、彼の顔に焦点を合せた。私はシャッターを切った。
その瞬間、私にとって数週間以来の最初のこの写真は、この青年にとって生涯の最後の写真となった。
声もなく、この銃手の緊張した姿勢から力が抜けた。そしてがっくりと部屋の内側に仰向けに倒れこんだ。
彼の眼と眼とのあいだに小さな穴が見られた以外には、彼の顔には少しの変化も見られなかった。
床に倒れた彼の頭の横には、血が水溜りのようにひろがっていた。彼の脈樽は、鼓動を永遠に止めてしまった。
軍曹は彼の手首にさわって見て、彼の死体を跨ぎ越えると、機関銃をひっ掴んだ。
しかし、彼はもはや射撃の必要がなかった。わが軍の兵隊たちが、すでに橋の向側に無事に着いていたのである。
私は戦死する最後の男の写真を撮った。この最後の日、もっとも勇敢なる兵士の数人がなおも死んでいくであろう。
生き残ってゆくものは、死んでゆく彼らをすぐ忘れ去るのであろうか。
ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』 戦争最後の春
世界中で、どれほどの若い命が奪われたことだろうか...
その死を永遠化することで、戦争の罪悪を表現した一枚
写真とはかくも雄弁なものなのだと、改めて思い知る。
そんな写真と比べるべくもないのだが....
今日は、辛夷の写真を撮りにちょっと散歩
自分にとって、春の訪れを実感する花はと言えば、やはり辛夷が真っ先に浮かぶ。
あの純白で柔らかな曲線の美しさは、春の花のなかでも随一であると思う。
そして花の命は短くて...すぐに傷つき散ってしまう。
写真を撮れる期間もきわめて短い。
キャパが、ある人に「どうしてそんなに活き活きとした表情が撮れるのか」と問われたときに
「相手を好きになること...そしてそれを相手に伝えること」と答えたそうだ。
人を撮るのは苦手だけれど、花を撮るときは「とってもきれいだね」とつぶやきながら撮るようにしている。