99歳の情熱

所用で東京に出た帰り...
あまりにも暑いので映画でも観て帰ろうと思い
チケット屋に立ち寄る。
何の気なしに目に入った『一枚のハガキ』のチラシ
特に決めていなかったので、これを観ることにした。


戦争末期に召集された100人の中年兵は、
上官がくじで引いて決めた戦地にそれぞれ赴任することになっていた。
くじ引きが行われた夜、松山啓太は仲間の兵士、
森川定造から妻・友子より送られてきたという一枚のハガキを手渡される。
「今日はお祭りですが あなたがいらっしゃらないので 何の風情もありません」
検閲が厳しくハガキの返事が出せないことを覚悟した定造は、
フィリピンへの赴任が決まり、生きて帰れないことを覚悟していた。
そして宝塚へ赴任する啓太に、もし生きて帰ったらハガキを持って定造の妻を訪ね、
そのハガキを読んだことを伝えてくれと依頼した。
                   『一枚のハガキ』WEBサイトより

新藤監督99歳...
ご自身が32歳で召集され、その後くじ引きで100人中6人だけが生き残った。
この体験をそのまま映画のストーリーにして、
戦争の陰で苦しみ抜いた人々を描いていく。
幸福を奪われ、悲痛な叫びをあげる友子の姿は、戦争に泣いたすべての人々の叫びであり
また、いまなお世界のいたるところで起こっている戦争の陰で泣く人々の姿に他ならない。
戦中を生きてきた監督の「言わずにはおれない」叫びだと思う。
亡くなった94人の分まで、叫ばずにはおれなかったのだろう。
それにしても、99歳にしてこれだけの映画を作る情熱というのは尋常ではない。

映画を観ながら、ふと35年前のある風景が甦った。
中学2年生の終業式...英語を教わっていた杉先生が定年退職をされるということで
最後の挨拶のため、校庭の演壇に立たれた。
いつもジョークを飛ばす明るい先生の表情が、その時は違っていた。
「私は今日で定年退職しますが、
 皆さんはこれから戦争をしない国をつくるために勉強をしてください」
と言われた。
自ら兵隊として戦場に立った先生は、仲間が次々と撃ち殺されていく姿を回想され
大きな身体をゆすって大粒の涙を流しながら「戦争は絶対にやってはいけない」
と絶句され、教師生活最後の挨拶をしめくくられた。
このとき戦後30年...戦争を体験している大人は、まだたくさんいた。
結局、自分は中途半端な勉強しかしなかったので、
何の役にも立たないつまらない大人になってしまったが..


物語は、絶望の底から立ちあがって、希望を持って歩きだす啓太と友子の力強い姿で終わる。
新藤監督の「生きているかぎり 生きぬきたい」という揮毫が胸に沁みるな...
同じところで右往左往しているだけの、不完全燃焼の自分が恥ずかしい。


映画館を出て、熱風に包まれた街を歩きだす。
ふと気が付けば、今日は66年目の終戦の日
モノクロの映像と玉音放送の声でしか知らない一日...
あの日も、さるすべりの花は今と同じ色で咲いていたのだろうか