いのちの声

日本中が混乱している。
被災地にいない人までもが被災者のような
そんな気分になっているようで...
食べきれない程の食糧を買占め
乗らなくてもいい車にガソリンを入れる。
いつ起こるかわからない停電にピリピリし
ニュースもAC のCMも...
同じ映像を繰り返し繰り返し見て
疲れきってしまっている。
街中に出ても、なにか魂が抜けたようだ。


今日は街と反対の方角に自転車を走らせる。
風は少し冷たいが、陽射しは春...辛夷の花が、あちこちで開き始めている。
柔らかな曲線を描く白い花弁を一枚ずつ開き
一斉に天に向かって祈りをささげているような姿...
東北にも早く春風が吹きますように...





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https://picasaweb.google.com/muycaliente.ueno/20110317#

辛夷の花の下に腰を降ろして、『三十光年の星たち』の下巻を読み始める。

三十光年の星たち (下)

三十光年の星たち (下)

山陰への旅で、餘部鉄橋に立ち寄る場面...

トンネルのなかから電車があらわれて鉄橋を渡り始めた。
...僕は雨上がりの曇った空の下で鉄橋のやうに生きてゐる...
仁志は高校生のときに読んで好きになった中原中也の詩の一節を思い出した。
詩を読んで一カ月ほどは、この一節だけを何度も心のなかでそらんじたものだが、
いつのまにか思い出しもしなくなった。
当時は、この一節から寂しい孤独なものを感じたが、いまは違う。
なんだか力強い寡黙な意志に似た何かを感じる。
俺がここでじっと支えつづけてやるから、さあ、安心して渡っていけ...。
言葉にすれば、そのような頼りになる励ましだ。
ゆっくりすぎるほどの速度で鉄橋を渡ってきた下りの列車がホームに停まったが
降りる人はいなかった。

この詩が気になって、帰宅してから中原中也詩集を開いてみる。

中原中也詩集 (岩波文庫)

中原中也詩集 (岩波文庫)

その詩は、『羊の歌』の中にある『いのちの声』という詩だった。

いのちの声


   もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                        ――ソロモン


僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。


僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

(中略)

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

寂寞のなかで、つねに何かを求める心...
「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ」
それが、雨上がりの曇った空の下の鉄橋のように生きている..なのだ。
いい詩だ...自分もそんなふうに生きていきたいな...


何度も同じところを読み返していると、携帯に登録されてない番号からの電話。
先日応募した会社の担当者から「面接をさせていただきたい」との連絡だった。
就職活動10ヶ月にして初めての面接は来週23日に決まった。
まだまだ、どうなるかわらないが...
そこに使命があれば通るし、なければ落ちる...それだけだ。
一喜一憂せずに..鉄橋のような気持ちで臨もう。