『トルストイの生涯』

8:55発ANA3760便宮崎行は
悪天候のため少し遅れて羽田空港を離陸した。
鼠色の重い雲の中に機体が吸い込まれ
視界は完全に閉ざされた...
と、次の瞬間...眩い陽射しが差し込む。
地上の景色からは想像もできないような光景が
眼下に広がっていた。
見渡す限り、凹凸のないどこまでも平らな
雪原を思わせるような雲海...群青色の空...そのほかには何も見えない。
なんと静かな風景だろう。
飛行機はすごいスピードで飛んでいるはずなのに、景色が動かない...まるで空の上で停止したようだ。


鞄の中からロマン・ロランの『トルストイの生涯』を取り出す。
戦争と平和』の名場面...アウステルリッツの光景がなぜか窓外の景色と重なる。
トルストイの生涯 (岩波文庫)
アンドレイ公爵は戦いで負傷して草原の上で横たわったまま空を見上げる。

ふいに活動の陶酔から覚めて、清澄な無限の啓示に触れる。
あお向けに寝ながら「彼は自分の上にはるかに、灰色の軽い雲が柔らかに浮かんでゆく、限りない深い空だけを見た」
「『なんという静けさだろう。なんという平和だろう』と彼は思った。
今までの自分の狂おしい生活とは、なんという違いだろう。
この高い空をなぜおれはもっと早く見なかったのだろう。
しかし今やっとこれに気がついて、ほんとうにおれは幸福だ。
そうだ、これを除いてはすべてのものが空虚であり、
すべてのものが偽りだ。...このほかにはなにもありえない。
            ロマン・ロラントルストイの生涯』より『戦争と平和』の引用

この空の大きさを知れば、それ以外に何もいらない....それは、トルストイの心そのものだった。
雲の下は暗く冷たい雨...紙一重で、なんという違いだろう。
苦悩の暗雲のなかにあっても、強き精神にはこの雲上の光景が見えているのだな...きっと
自分にとっての啓示のような気持ちでいつまでも続く雲の平原を見下ろす。



トルストイの生涯は、まさに波乱の連続だった。
絶対的な誠実と、熱情的な心の善良を抱いた彼は、偽りの社会と闘わざるを得なかった。
神を純粋に信仰したが、戦争を肯定する教会とは徹底して闘った。そして破門された。
モスクワで貧しい人々の生活を目の当たりにして、それが自分のせいのように泣き叫び
小説を書くことさえやめて、彼らの中に飛び込んでいった。

いったい人間がこの美しい、この星のまたたく広大な空の下で、楽しく暮らせないなんてことが、
ありうるのだろうか。この空の下で、邪悪とか復讐とか、自分と同じ人間を殺そうとする怒りの感情とか、
もつことができるのが不思議である。人間の心の中のあらゆる悪いものも、
美と善の直接的な表現であるこの自然と接触すれば、消えうせてしまうはずだ
               トルストイ『侵入』

真の科学とは使命を知ることであり、すなわち万人のほんとうの善(幸福)を知ることである。
ほんとうの芸術とは使命の表現であり、万人のほんとうの善の表現である」
(中略)
「精神的な仕事によって他人に奉仕するためにこの世に召喚されている人びとは、
絶えずその務めを果たすために苦しむものである
なぜなら精神の世界は常に苦しみや悩みの中だけに生まれるからである
犠牲と苦悩とが思想家や芸術家の運命なのである。なぜなら彼らの目的が人間の幸福にあるからである
人間は不幸であり、苦しむものであり、死ぬものである。(中略)
常に心を乱したり動揺したりしているものである。
人類に幸福を与えたり、人間を苦しみから解放するものがなにであるかを、
決定したり明らかにしたりしなければならぬものである。(中略)
思想家や芸術家となるべき人とは、芸術家や学者を作る学校で育てられた人でもなければ
(真実を言えばそういう人こそ科学や芸術の破壊者となるのである)、
卒業証書や俸給をもらう人でもない。
自分の内部にあるものを考えたり表現したりせずにいたいと思ってもそうせずにはいられない人を言うのである。
なぜそうせずにいられないかというと、その人は見えない二つの力、つまり内面的な要求と人類の愛によって、
そこに導かれゆくからである。
あぶらぎって享楽的で自分一人で満足しているような芸術家などは、この世にあり得ないのである。
        トルストイ『それならわれわれはなにをすべきか』

他者の幸福のために生きるなかにしか、本当の幸福はない...
トルストイは、そう言い続け自ら実践した。
芸術家にあらずとも、その精神は持たねばならぬし、言わずにおれない思いというものを持たねばならぬ。


そんな思いで『トルストイの生涯』を読み終えた。
四国上空から高度を下げ始めた飛行機は、また雲の中に突っ込み、
時折大きく揺れながら、雨の宮崎空港に滑り込んでいった。