琵琶湖の夕陽

出張で2年ぶりの滋賀
彦根でレンタカーを借りて近江八幡へ...
彦根城が見える通り慣れた道を走り
琵琶湖岸に向かう。



2010年の1月から4月まで琵琶湖岸で過ごした。
冬の琵琶湖は、重い雲に覆われ、対岸さえ見えない日が多かった。
リストラ...経営破綻...会社の不正行為...
40代になって折かさなるように押し寄せてきた宿命の波に翻弄されている日々の中
友人が始めた夢のある事業に参画してほしいと懇願され、会社を辞めてここに来た。
そして初めて見る雄大な琵琶湖の湖岸での生活が始まった。
しかし..過去の会社の不正行為が3月に発覚し、元々厳しかった経営はさらに悪化
翌月「恨まないでくれ」との一言で切られた。
毎日表情を変える琵琶湖の春の表情を楽しみにしていたが
5月の琵琶湖を見ることはできなかった。
霧の中に消えてしまった幻影のように希望を失い、
自分の愚かさと不甲斐なさを背負ったまま、とぼとぼと横浜に帰った。


彦根城を通過して、よく来たホームセンターの脇を過ぎると大きな水面が視界に入る。
霧を纒った大きな水面が静かに横たわっていた。
5月の琵琶湖に遭うのに、2年もの月日が過ぎていた。
窓を開けて湖岸道路を走る...
右側の視界には、100m先も見えないほどのベールに包まれた水面が、どこまでも続いている。
水の粒が肌をすり抜け、少しひんやりとするような心地よい感覚。
何かが再生していくような安寧とした気持ちになる。


途中、近江八幡で同僚を拾い、客先を二か所...
営業サポートとして技術のプレゼンをする。
仕事が終わり、同僚を最寄駅に送って、再び湖岸道路経由で彦根に向かう。
湖岸につながる平らな土地には、田植えを終えた水田がどこまでも広がり
傾きかけた夕陽がその水面を朱く染めている。
夕方になり、風が強くなって、湖を覆う靄は薄くなっていた。
車を降りて湖岸に立ち、対岸の方向から吹いてくる風に向かう。
風が水面に波紋を起こし、その上で水と光の粒子が散乱する。
なんという美しい景色だろう...




ふと、当時の同僚Yさんの顔を思い出す。
Yさんは30歳...百合の花が咲いたような清楚で美しい女性である。
しかも、聡明で潔癖..正義感が強い 毅然とした気高さがある。


完璧すぎて近寄りがたく、滋賀いる頃はそれほどお話もしたことがなかった。
会社を辞めて疎遠になっていたし、いきなり連絡するのも失礼かと思ったが、
滋賀ではめったに寄ることもないので、メールをしてみたら、
仕事のあとなら...と返信をいただく。
職場から走り出て来た姿を見て、ああ元気になったな...と感じる。
近くのカフェに入り軽い食事...
新しい職場での仕事の様子を話す表情と口調の快活さに、ああ良かったなと安心する。


駅まで送っていただき、最終の神戸行き電車に乗り込む。
以前通った景色を眺めながら、あの4ヶ月は何だったのだろうと考える。
無駄ではなかったのだと思う。
ここに来なければあの琵琶湖の景色にも出会えなかったし、
今は各地に散ってしまった素敵な同僚にも出会えなかった。
小林秀雄の『モーツァルト』の中の一文がふと浮かぶ

命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。
この思想は宗教的である。だが、空想的ではない

電車から見えるはずの琵琶湖は、もう闇の中で静かに眠っていた。