水のなかの紅葉

千葉に営業に出かけ、
夕方、東京で同僚と別れる。
恵比寿のK君と会いたいなと思い
メールをすると、18時以降なら...とのこと。
少し時間が空いたので、近場の公園に行こうと思い
飯田橋で降りて小石川後楽園に向かう。


2年前の桜の時期に来て以来...紅葉は初めて
門の手前から、鮮やかな紅葉が見える。
園内の紅葉も、今が盛りである。


今年は、神戸に始まってずいぶんと紅葉を観てきた。
最近では、水に浮く紅葉..水に沈んだ紅葉ばかりに目が行く。
地面に落ちた紅葉は、やがて水分を奪われてかさかさと乾いていくしかないが
たまたま水の上に落ちた紅葉は、水の上で漂い、そして水に沈んでいく。
息を吹き返したかのごとくに、色が鮮やかに蘇る。
生命が尽きる前の一瞬の輝き..
そして、土を被り、土に同化して朽ちていく。



渡月橋下の池には、舞い落ちた紅葉が澄んだ水に沈んで積もっている。
水面に頭上の枝に揺れる葉が映る...


白糸の滝の下だけが水の動く場所...
水面を旋回する葉を長時間露光でとらえる。


恵比寿のK君のところに寄るのは久しぶり...
今日は常連のお客さんが入っているということで、
2人で一緒に出掛ける。
代官山の居酒屋で美味い魚をいただく。
K君のところには、いつも思いつきで突然行く。
数か月に一度くらいなのだが...いつも、昨日も会っていたような感じで
嫌な顔もせず、いつもの自然体で会ってくれる。
食後に彼のお奨めスポット、代官山蔦屋に行ってぶらりと一周して別れる。

人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有する事は出来ない。
みんな相手と半分ずつ分け合う食べ物だ。その限り俺達はこれらのものをどれも判然とは知っていない。
俺の努めるのは、ありのままな自分を告白するという一事である。
ありのままな自分、俺はもうこの奇怪な言葉を疑ってはいない。
人は告白する相手が見附からない時だけ、この言葉について思い患う。
困難は聞いてくれる友を見附ける事だ。だがこの実際上の困難が、悪夢とみえる程大きいのだ。
(中略)
俺が生きる為に必要なものはもう俺自身ではない、欲しいものはただ俺が俺自身を見失わないように
俺に話しかけてくれる人間と、俺の為に多少はきいてくれる人間だ。
       小林秀雄『Xへの手紙』