レクイエム

その曲は、弱々しく...静かに...囁くように始まった。
ヴェルディ作曲『レクイエム』 
ダニエル・バレンボイム指揮 ミラノ・スカラ座交響楽団・合唱団の演奏。


水を打ったような静けさの中から、静かに弦の音が涌きおこり、合唱の声が重なった瞬間
哀しみは広い空間に溢れ、全身がその中にのみ込まれていく。
つぶやきながら、うめきながら、人は悲しみ...悶え苦しんで絶叫し...そして祈る。
目を閉じて、その空間に身をまかせると、静かに涙があふれた。


第2曲「怒りの日」..
生演奏会の感動は、録音では絶対に伝わらないのだけれど...
この曲をご存知ない人のために...こんな曲です↓


人の死は、遺された人々の生命を揺さぶる。
前回引用した『涙の理由』を読んで、久しぶりに重松清の小説を読みたくなって
その日のまえに』を読んだ。
その日のまえに (文春文庫)
愛する人が亡くなっていく哀しみを綴った短編集である。
表題作「その日のまえに」は、妻和美の癌を宣告された"僕"の「その日」を迎えるまでの物語

僕たちの胸には、不安の代わりに絶望が居座った。絶望は毎晩のように和美に涙を流させ、
元気だったころはのんびり屋だった彼女をぴりぴりといらだたせ、僕に何度も深酒をさせた。
(中略)
だが、絶望というのは、決して長くは続かないのだと思う。(中略)
和美の余命は、絶望とともに死を迎えるには長すぎた。
のこされた二人の息子 健哉と大輔のことを思うと、自ら死を選ぶわけにもいかなかった。
だから、僕らは日常を生きた。

そして、「その日」...病院から、今日には臨終を迎えるだろうという連絡を受けた"僕"は
風呂で身を清めたあとに、洗面台に向かう。
洗面台の吊戸棚の中に、買い置きの家族4人のそれぞれの色の歯ブラシを見つける。

パックに入ったままの赤い歯ブラシをそっと戸棚から取り、手のひらに載せた。
まなざしが揺れる。手のひらも震える。
退院したら使うつもりで買ったのか。つい、いつものように自分のものも買ってしまったのか。
それとも病気になる前に買ったものなのだろうか。
和美のわが家の日常が、ここにあった。断ち切られた日常が、たしかに、ここにあった。
透き通った赤い歯ブラシを、両手で包みこむように握った。
その場に膝をついて、体を倒し、肘も床について、
歯ブラシに祈りをささげるような姿勢で、僕は泣いた。和美の名を何度も呼んだ。
嫌だ、嫌だ、嫌だと繰り返した。
床に倒れこみ、手足をばたつかせて、僕は家族の誰よりも幼く涙を流し続けたのだった。

和美は、静かに死を迎え..そして、"僕"と子どもたちは、それぞれの思いを胸に日常に戻っていく。

目の前から消えていく生命を前にして、いったい何ができるのだろうか?
無力感と絶望...理性など何の役にも立たないほど、人は悲しみに浸る
人は「死」と向き合い、そして同時に「生」と向き合っていく。
「別れは、人の心のグラスをすこし大きくしてくれる」とは、宮本輝の随筆の一節である。
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20070718


自分自身も何人もの人の死を見てきたけれど、それほど近しい人の死には未だ遭っていない。
そのとき自分は...何も浮かばないが...
文学と音楽を通して、「死」と「涙」を考えた一週間だった。