普賢象

ふと気がつくと、白いシャツが若草色に染まっていた。
新緑の森には、春の光が溢れていた。
頭上を覆う緑のグラデーションが、さらさらと風に揺れ、
踊る木漏れ日のなかで、染井の名残りの花びらが、ひらひらと閃いては消えていった。

森を抜けた丘の桜の回廊には、
色も形も異なる里桜が、春の陽射しのなかでうつむき加減に咲いていた。

 

一人の老人が一本の樹の下に立って、慈しむようにその花を見上げていた。
視線の先にやさしい色の八重の花が揺れている...

その老人の隣に並び「品のあるいい花ですね」と、声をかけた
「『普賢象』といいます」と答えが帰ってきた。
「真ん中の雌しべが象の鼻のように長く伸びているのです。
 八重桜は、おしべが花びらに変化してできたので、ほとんど実を結ぶことはありません。
 しかし、昔の人は粋な名前をつけたものです。象桜とはせず、普賢象と名付けたのです。
 普賢菩薩が象に乗って現れるからだそうです。」
そういえば、そんな絵を観たことがあったかな...
「ここにこれだけの桜があるのは、先人の大変な闘いがあったのです。
日本じゅうから、ひとつひとつ集めては大事に育ててきた。その方たちの闘いがなかったら、
いまごろ日本の桜は、染井吉野以外は絶滅していたかもしれません」
笹部新太郎のことを思い浮かべ、武田尾の演習林があったトンネルの向うの風景を思い出した。
「大阪造幣局は、一昨年行きました。荘川桜も...先日は奥山田のエドヒガンも...」というと、
嬉しそうに「そうでしたか… 東京にも意外といい桜があるのですよ」と言った。
しばらく桜談義に花が咲いた。
桜の話をしているその老人の顔は、しあわせそうであった。
そして「貴重な時間を、お邪魔してしまいました」と頭を下げて、坂を降りていった。

 

ひとりになって、もう一度『普賢象』を見上げる。
やわらかい赤みを帯びた薄緑の葉の付け根に、紅を溶かしたような八重が恥じらうように俯いている。
この淡い色こそ「桜色」というのであろう。

桜を植うるには山のかたはらのうち林の前、家のあたり、すべてむかひにすき間なき所にあたるを見たるがよし。
空にむかひ雲すきに見るは花の色見えず
   貝原益軒『花譜』

庭に桜を植えるには、常緑樹を背景にするのが良いという。
『普賢象』の色は、背景に緑がなければ空の色に消え入ってしまうほどの、白よりもさらに淡い色

『普賢象』の花の色は、若き乙女の頬の色ではない。
ふくみさんが詩にうたった女性...
「苦患や、絶望のふかいところで 身を砕き、心を砕いて 黙って働いている女のひと」
そんな女性の胸のなかに静かに咲いている花の色である。
普賢菩薩は、女人成仏を初めて説いた法華経で出現し
末法の世で苦しむ人々の為に闘うと誓った法華経の行者を守護していくと宣言するのである。
そんな物語を想えば、この花を命名した人も、この色に同じことを感じていたのかな...

 

『奥州里桜』『松前花染井』『一葉』『関山』『鷲の尾』...
それぞれに冬の間にいのちにたくわえた色を花びらに染め出して咲いていた。




人も同じだな...
いのちにためてきたものが、知らず知らずのうちにその人を染め
それは、隠しようもなく、その人の振る舞いににじみ出てしまう。
自分の胸をさぐってみても、鏡を覗いても、自分には見えない色があるのだ。
だからこそ、善きものを、美しいものを、いのちの中にためていかなければ...
人をしあわせな気持ちをもたらせる色に染まっていきたいな。

 

いつしか桜の回廊から出て、梨の樹の前にいた。
真っ白な花の上に、蒼く澄み切った空が広がっていた。


 

志村ふくみさんの詩は、以前に掲載しましたが、読まれていない方のために今一度貼っておきます。

灰色の世界    志村ふくみ


 清涼寺の楸(ひさぎ)で染めた灰色は
 山門や、塔のまわりを群れて飛ぶ
 鳩の羽いろ
 
 淡(うす)ねずみに、紫すこし、茶をすこし
 筒のなかから振りかけて
 うっすら夕靄のかかった♭(フラット)の鳩羽鼠
 どんな色も黙って静かに受け入れる
 無類に優しい色である
  
 あたりの色を自分のなかに抱きこんで
 自分は透きとおってしまう色   
 そのあたりにぼおっとにじむ
 柔らかい背光
  
 もしできることなら
 苦患や、絶望のふかいところで
 身を砕き、心を砕いて
 黙って働いている女のひとの
 その衣の中に
 私は楸いろのほんのすこしの優しさを
 織りまぜておきたい。