花を差し出す人

遠州灘は穏やかであったが、
浜辺の近くだけが、風に煽られて波立っていた。
弓なりにどこもまでも続く砂浜には、人影はほとんどなかった。


海のうねりから立ち上がった波が押し寄せては、崩れ落ちて海に還っていった。
崩れる前に陽射しを跳ね返してぎらついた光が網膜を刺した。
焼けた砂浜に腰をおろして、果てしなく繰り返すその波を見ていた。
海から吹き付ける湿った風が心地よかった。

文章を書く事が、とても恐ろしくなり、ブログを随分長い間休んでしまった。
パソコンに向かって書こうと思っても、一行二行と書いても、そこからなにも進まない。
日記の日付と現在がどんどん開いて、真夏の日記を書くのに、もうすっかり秋になってしまった。


写真を撮った情景は、鮮明に覚えているものの
身体に感じる感覚とずれていき、益々文章は浮かばなくなる。
当然ながらアクセスは減り、読者から見放されていく寂しさに、恐怖がさらに高まる。


書く事は仕事ではないし、人から見れば退屈な絵日記に過ぎないが、
自分にとって、書く事は生きることなのだと思う。


そんな中で、宮本輝先生と吉本ばななさんの対談集『人生の道しるべ』が発刊された。
(順番を飛ばせないので、8月11日の日記であるが、これを書いているのは10月10日...)


その中に、こんな対話が出てくる。

宮本 ぼくの場合、「宮本は悪人が書けない」などと悪口を言われたりしますが、
   悪人なんて書こうと思えばいくらでも書ける。
吉本 私もそうだと思います。
宮本 しかし文学というものは、自分の小さな庭で丹精して育てた花を、
   一輪、一輪、道行く人に差し上げる仕事ではないか...。
   これは柳田国男の言葉です。
   小説を書き始めた当初から、この言葉がずっとぼくの頭にありました。
   現実の世界は、理不尽で大変なことばかりだからこそ、
   せめて小説の世界では、心根のきれいな人を書きたいと。
   
  宮本輝 吉本ばなな『人生の道しるべ』 第一章 作家の資質

人生の道しるべ

人生の道しるべ

そうだ...宮本先生の姿勢は、ずっとここからぶれていないんだ。
読む人のしあわせのため...
いままで、先生の小説からどれほどの花をいただいてきたことか...


そして道で出会った人々や出会った本からも
花をもらい、種をもらい、実をもらってきたのだ。
それなのに、自分のことばかり考えているから書けなくなるんだな...きっと
そして、せっかくの花が枯れていく


出会った人に...
たった一人でもいい...一輪花を差し出せるように
自分のいのちの庭で、丹精込めて花を育てなければ...
世阿弥の言う「まことの花」の境地はわからぬが
老いて尚、花のある人々は
そうして生きてきたに違いない。


また一歩、踏み出そう。

「ここに地終わり 海はじまる」のこころで...



最近描いた、宮本輝先生の絵を載せておきます。