終わりゆく夏『プールサイド小景』

動物園の上空が真っ赤に燃えていた。


昨夜、演劇を観た後、携帯のスイッチを入れると、
K君からメール
「夜の野毛山動物園に行きませんか?」と一言...
唐突だな〜と思いつつ、行くことに...
動物園の門の前で、待ち合わせ。


個人客相手の商売をしているK君は、休みがお客さん次第なので
予約の入っていない今日が、急に休みになったわけだ。
電車のポスターを見て、思いついたらしく...
それで、いつもの仲間に誘いがかかった。
結局来れたのは、K君とNさんと自分の3人。
子供連ればかりの動物園...
アラウンド50の、(周りから見たらきっと不思議な)3人で歩く...
戦後間もなくできたこの動物園は老朽化し、財政も厳しいらしく...
動物の種類も数も少なく、年老いた動物も多くて、ちょっとさびしい...
子供の頃来た印象よりもずっと狭く、あっという間に一周してしまう。


野毛山からの坂道を降りて、いつもの野毛「萬里」
一番賑やかなCさんがいないのはさびしいものだが...
お腹いっぱい食べて飲んで...
でも帰り難くて、野毛のカラオケに寄り道して...
Nさんを送って、日ノ出町駅まで3人で並んで帰る。
この仲間で飲む時間が一番楽しい…今日も楽しかった。
けど…やっぱりCがいないのが なんとなく寂しい


夜はずいぶん涼しくなったな。


あんなに暑くて鬱陶しい夏も
終わりが近づくと、どうしてこう寂しくなるのだろうか...



プールサイド小景・静物 (新潮文庫)

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)

40歳を過ぎて、会社の金を使い込んで頸になる男の話...


物語はプールサイドの情景から始まる。

プールでは、気合のかかった最後のダッシュが行われていた。
栗色の皮膚をした女子選手の身体が、次々と飛び込む。それを追いかけるのはコーチの声だ。
一人の選手が、スタート台に這い上がると、そのままぴたりと俯伏しになって、
背中を波打たせて苦しそうに息をしている。
この時、プールの向う側を、ゆるやかに迂回して走ってきた電車が通過する。
吊革につかまって立っているのは、みな勤めの帰りのサラリーマンたちだ。
彼らの眼には、校舎を出外れて不意にひらけた展望の中に、
新しく出来たプールいっぱいに張った水の色と、
コンクリートの上の女子選手たちの姿態が飛び込む。
この情景は、暑気とさまざまな憂苦とで萎えてしまった哀れな勤め人たちの心に
ほんの一瞬、慰めを投げかけたかもしれない。
   庄野潤三プールサイド小景

プールの脇で、2人の子供たちを遊ばせている男...それを迎えに来る妻...
家族で帰っていく姿をコーチはうらやむような眼で追う。
しかし、男はすでに頸になっていた。


夜...子供たちが寝静まって、男は来し方を語りだす。
妻は、さまざまな夫の想い...会社での人生を聴きながら
15年連れ添った夫のサラリーマンとしての悲哀を、初めて知る。

僕の会社のあるビルでは、各階のエレベーターの横に郵便物を投げ込む口があるんだ。
それは九階から一階まで縦に通っている四角い穴というわけだ。
廊下に面したところは、透き通っていて、手紙が落ちるのが外から見えるようになっている。
その前を通りかかると、白い封筒が落下してゆくのを見ることがある。
それは廊下の天井のところから床までの空間を、音もなく通り過ぎるのだ。
続けざまに、通り過ぎるのを見ることもある。
この廊下が、うちのビルは特別薄暗い。
あたりに人気のないときに、不意に白いものがすっと通るのを見かけると、僕はどきんとする。
その感じはどう云ったらいいだろう。
何か魂みたいなもの...へんに淋しい魂のようなものなんだ。
    前掲書

薄暗い廊下の隅の透明のパイプを、次々と堕ちていく白い封筒...
なんと寄る辺ない、さびしい情景だろう...
一つ一つが人間のようでもあり、自分のようでもあるな...


41歳で、最初の失業を経験した自分も
そんな寄る辺なき時間をどれほど過ごしてきただろう。
それは失業している間だけでなく、再就職して溶け込めなかった職場でも
常にさびしい想いを繰り返してきた。
みな、そうなのかもしれないな。
人間なんて、みんな寄る辺ないものかもしれないな...


そして、子供たちには休暇といつわっていた男は
会社に行く時間に家を出る生活をはじめる。

プールは、ひっそり静まり返っている。
コースロープを全部取り外した水面の真中に、たった一人、男の頭が浮かんでいる。
明日からインターハイが始まるので、今日の練習は二時間ほど早く切り上げられたのだ。
選手を帰してしまったあとで、コーチの先生は、プールの底に沈んだごみを足の指で挟んでは拾いあげているのである。
夕風が吹いてきて、水の面に時々こまかい小波を走らせる。
やがてプールの向う側の線路に、電車が現れる。
勤め帰りの乗客たちの眼には、ひっそりしたプールが映る。
いつもの女子選手がいなくて、男の頭が水面に一つ出ている。
   前掲書


夏の終わりは、やはり切なくてさびしい。