和やかな眼

Aさんからメールがあり
「明日、飲みませんか?」と
お誘いをいただく。
代官山の蔦屋でお会いしてから
(あの時も突然だったが...)
飲みに行きたいと思って楽しみにしていたことが
不意に実現することに...


Aさんとは、去年の夏にTさんを介して知り合い、交流してきた
アパレルのメーカーとして、主に紳士用のシャツを作っておられる。
http://www.anglais.co.jp/
新宿伊○丹にも出店し、トップ争いをするほど人気のブランドである。
最近特に元気のないムイカリエンテの日記を読んでいただいて
先日心配して、さりげない一言をかけてくださった。
短いけれど、心のこもった温かい一言に、胸が熱くなった...


奥様もご一緒に来られるというので、
先日の日記で「野毛」に興味を持っておられたことを思いだし
...というか地元を知らないだけなのだが...
「萬里」に行くことにして、桜木町で待ち合わせた。


早めに桜木町に着くと、突然母から電話... 父が行方不明になっているとのこと...
14時に横浜駅で友人と待ち合わせて出かけたのに、そこに現れず、
それきり4時間経っても連絡がとれないとのこと
最近、ちょっとぼけた行動が多くなってきた父が心配で横浜駅に行って歩き回ったが見つからず
警察に届けるしかないと思っていたころに、母から電話があって帰ってきたとのこと。
なんとか待ち合わせに間に合う。


Aさんご夫妻と野毛を少し歩いてから、「萬里」に入る。
水餃子・焼餃子・海老玉と..定番から始まって、今日のサービス唐揚げに青椒肉絲に肉団子
お酒は、青島麦酒に紹興酒
Aさんの静かで深い眼差しに見つめられると、すべて見抜かれているようで、多弁になってしまう。
訥々と静かな口調で話すAさん...明るい奥様...お仕事も一緒にされていて、
ずっと一緒におられるだけあって実に意気のあったご夫婦だ。
Aさんとは、もっと他に話したいことがあった気がするのだが
余計なことばかり喋ってしまった気がする。
過去の話しばかりしてしまったのは、今の自分に自信がないから...
それでも、ご夫婦で忍耐強くとりとめもない話しを聞いてくださった。
話しを聴いていただくことで、心がほぐれていった。

和やかな眼に出会う機会は実に稀である。
和やかな眼だけが恐ろしい、何を見られているかわからないからだ。
和やかな眼だけが美しい、まだ辿りきれない、秘密をもっているからだ。
この眼こそ一番張り切った眼なのだ、一番注意深い眼なのだ。
          小林秀雄『X氏への手紙』

和やかな眼に見つめられ、温かい眼差しに救われた夜...


一週間のお疲れが出たということで、二軒目には行かずに一緒に電車に乗って地元まで帰る。
ご自宅で休まれるところを、自分に気遣って付き合っていただいたのだな...
そんなAさんの気持ちに頭を垂れるしかない。
なんとありがたい友人だろう。

人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有する事は出来ない。
みんな相手と半分ずつ分け合う食べ物だ。その限り俺達はこれらのものをどれも判然とは知っていない。
俺の努めるのは、ありのままな自分を告白するという一事である。
ありのままな自分、俺はもうこの奇怪な言葉を疑ってはいない。
人は告白する相手が見附からない時だけ、この言葉について思い患う困難は聞いてくれる友を見附ける事だ。
だがこの実際上の困難が、悪夢とみえる程大きいのだ。
(中略)
俺が生きる為に必要なものはもう俺自身ではない、
欲しいものはただ俺が俺自身を見失わない様に俺に話しかけてくれる人間と、
俺の為に多少はきいてくれる人間だ。
          前掲書


Aさんが初めて作成されたというカタログの貴重な初版を一冊いただく。
記念すべき最初のページは、社長であるAさんご自身がモデル

あの和やかな眼はあえて伏せ、視線は袖口に注がれているが
なんという男の色気...男の自分でさえ、うっとり見つめてしまう。
そして、これまでご夫婦で越えてきた血のにじむようなご苦労を思うと、
この一冊を見るだけでも感動を禁じ得ない。


素材にも縫製にもとことんこだわりぬいたシャツは、それを着る人にきっとおおきな喜びをもたらしている。
「男を自由にする服」...いいコピーだな
薄給の自分にはまだ手が出しにくい価格だけれど、簡単に買えたら手に入れた感動も薄いだろうし...
ちょっと酒を減らせばいいんだよな...


Aさん、そして奥様、日々の激闘でお疲れのところ、お付き合いいただいてありがとうございました。