午前中はネットで就職活動。
朝から「残念ですが...」
のメールが2件。
書類だけで蹴飛ばされるのは悔しいが
したない。
ちょっとだけ昼酒を飲みたい気分になって
自転車でサイゼリ○へ...
ピザ(\399)と白ワイン(\100)を一杯...本日の昼飯。
ムイカリエンテは美食家だと言う人が多いが、誤解である。
たしかに美味しいものも食べてきたが、それはたまにであって、普段は粗食。
ことに、職を失って以来小遣いもないので昼飯はほとんど食べない。
最近、体重はさらに減った。
安酒でも昼間に酔うにはちょうどよい。
空いたファミレスの大きな椅子で少し居眠りをしてから、ゆっくり読書。
- 作者: 幸田文
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1995/11/30
- メディア: 文庫
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先日、ブックオフでたまたま手に取った。
この本は、彼女の"木"に対する思いを綴ったエッセー集である。
文章が美しい。
自然の情景が文章からリアルに立ちあがってくる。
幼少の頃の父(幸田露伴)との思い出を綴った「藤」から...
父露伴は、子供たちが自然に親しむように木を植え、様々な草木の話をした。
最も覚えがよかった長女は早世してしまうのだが...
その後も次女である筆者と弟にも、草木談話はつづく...
ふじの花も印象ふかかった。いったい蝶形の花ははなやかである。
ましてそれが房になって咲けば、また格別の魅力がある。(中略)
荒れてはいるが留守番も置いて、門をしめている園があった。
藤を藤をと私がせがむので父はそこへ連れていってくれた。
俗にひょうたん池と呼ばれる中くびれの池があって、くびれのところに土橋がかかっていた。
だがかなり大きい池だし、植込みが茂っていて、
瓢箪というより二つの池というような趣きになっていた。
藤棚は大きい池に大小二つ、小さい池に一つあってその小さい池の花がひときわ勝れていた。
紫が濃く、花が大きく、房も長かった。
棚はもう前のほうは崩れて、そこの部分の花は水にふれんばかりに、
低く落ちこんで咲いていた。
いまが盛りなのだが、すでに下り坂になっている盛りだったろうか。
しきりに花が落ちた。ぽとぽとと音をたてて落ちるのである。
落ちたところから丸い水の輪が、ゆらゆらとひろがったり、重なって消えたりする。
明るい陽がさし入って、そんな軽い水紋のゆらぎさえ照り返して、
棚の花は絶えず水あかりをうけて、その美しさはない。
沢山な虻が酔って夢中なように飛び交う。羽根の音が高低なく一つになっていた。
しばらく立っていると、花の匂いがむっと流れてきた。
誰もいなくて、陽と花と虻と水だけだった。
虻の羽音と落花の音がきこえて、ほかに何の音もしなかった。
ぼんやりというか、うっとりというか、父と並んで無言で佇んでいた。
飽和というのがあの状態のことか、と後に思ったのだが、
別にどうということがあったわけでもなく、ただ藤の花を見ていただけなのに、
どうしてああも魅入られたようになったのか、ふしぎな気がする。
なんと美しい文章だろう!
目の前に、情景が手に取るように浮かび上がる。
なんということもない情景が人の心に生涯残っていることがある。
ことに子供の頃に出会った記憶は大事である。
こんな原点から、樹木に逢い樹木から感動をもらいたいと願って旅する筆者。
木と相対しながら、その本質のなかに人間の業や生死を見つめる言葉が深い。
他のエッセーについても追って紹介したいと思う。