3日間で、どれだけ眠ったことだろう。
木曜日から始まった風邪の兆候は、昨日になって発熱となってあらわれた。
病院も連休なはずで...とにかく眠ることに...
眠りが深かったのか浅かったのかはわからない...
長い長い眠りのなかで、いくつもの夢を見た。
記憶の底に沈んでいたような人たちが、次々と現れては消えていった。
それが、楽しい夢だったのか哀しい夢だったのかも覚えていない
が...目が覚めて、改めて茫然とする。
これまで、なんと多くの人と出会ってきたことか...
最近始めた彫刻の
木片を一刀一刀削っていくように
膨大な人との出会いが自分という人間をかたち造ってきたのだ。
直接の出会いだけではなく、人が造りだした書物を読んだり音楽を聴いたり絵画を観たり...
膨大な偶然が、やがて膨大な必然となって、自分のなかで生きている。
命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。
この思想は宗教的である。だが、空想的ではない
小林秀雄『モーツァルト』
今日も昼過ぎまで眠って起き上がる。
熱は下がり、咳もあまり出なくなったようだ。
一昨日仕上げた二本目のペーパーナイフ...また削り始める。
柄の部分が、やっぱり気に入らず、再び削り始める。
一刀一刀、木に語りかけ、一刀一刀、夢にあらわれた顔を思い浮かべ...
宮本輝氏が、シルクロードを旅している間に出会った人々のなかで
ひときわ印象に残ったのが、物乞いの母娘の姿であった。
それはカシュガルから、「生きて帰らざる海」タクマラカン砂漠に向かう車の中から見た光景だった。
私は二匹の蝶を見た。たしかに私には蝶に見えたのだ。
朝靄がどこかに去ったとき、その二匹の蝶と見えたものが、
じつは汚れた服を着た一組の母と娘であることに気づいたのだった。
そして、その母と娘は、一瞬のうちに私の視界から消えた。鞠さんが車の速度を速めたからだった。
母親は五十歳にも見えるしで三十代半ばにも見えた。娘は七歳か八歳くらいで、髪も目も黒かった。
緑の迷路のなかを進みながら、私は、二匹の蝶のようだった母娘の残像を消すことができなかった。
私の「心気は洞越」したのか...。
母は盲目で脚も悪かった。幼い娘をつれて、物乞いをしていた。車の近づく音を頼りに、アスファルト道に這って出て、
両手を差し出し、掌をひろげた。
娘は、なんだかひどく楽し気に、そんな母親の傍らで遊んでいたのだ。私と幼い少女とは一瞬目が合った。
なぜ、あの盲目の物乞いの女と少女が、私には蝶に見えたのであろう。
あの母と娘に、たとえわずかでもお金や食べ物を施してあげる人間がいるのだろうか。
それにしても、少女の嬉しそうな、幸福にに満ちているような表情は、いったい何なのか...。
これまで、どのようにして生きて来て、これからどうやって生きて行くのであろう。
宮本輝『ひとたびはポプラに臥す5』
この光景は、後に『星宿海への道』という作品のモチーフとなる。
昭和三十年 大阪 大正区の路上に、盲目で両足の不自由な母と息子となって...
この『星宿海への道』こそ、宮本氏の「レ・ミゼラブル」だったのではないかと、勝手に思ってしまう。
宮本氏が「ああ、〈レ・ミゼラブル〉を書きたいものだ」と、書いていたのは
日蓮の御義口伝の中の、法華経の見宝塔品第十一「四面皆出」という文言を読んだことからだった。
https://muycaliente.hatenablog.com/entry/20121220/p1
「宝塔(人間の生命)は、四つの面を持っていた。それは生老病死という免がれ得ない人間苦であった。
この四つの最大の苦悩よって、宝塔はさらに荘厳されていくという意味である。」
人間にとって「幸福」とは何なのか...
砂漠の辺で見た悲惨としか言いようのない母娘の幸福そうな姿
一瞬の光景から生まれた物語...
『星宿海への道』については、また後日...