不幸の中にあるもの

良かれと思って選択したはずの道が、ふたを開ければ既得権と自己保身の巣窟。
懸命に仕事に取り組もうとすれば、頑張る気のない人の気分を害する。
結局は疎まれてしまって、身に覚えのないミスまで濡れ衣を着せられ...
真っ直ぐに生きようとしているのに、どうしてこうも辛いことばかり続くのだろう?
ひとたびはポプラに臥す(4) (講談社文庫)

父が私という息子をもうけたのは五十歳のときである。
そして、五十歳を境に父の人生は下り坂となり、私が十歳になったころの零落ぶりは目を覆うほどであった。
幾度も再生を賭して事業に挑んだが、最後はほとんど無一文に等しい状況となり、七十歳で死んだ。
私はあと二年で、父が私という息子の父となった年齢に達する。
私もきをつけなければならない。生きた時代は異なっても、私も父と同じ傾向性を引き継いでいるとすれば、
父が踏んだ轍は、やはり私の行く手にも待ち受けていると考えておいたほうがいい。
                     宮本輝『ひとたびはポプラに臥す 4』

イカリエンテの父が事業を始め下り坂になり始めたのは40代に入ったころである。
すでに自分はその年齢を過ぎ、やはり下り坂としか言いようのない道を歩いている。
しかし、後戻りはできないしリセットもできない。なんとしても這い上がるしかない。

....彼の万祈を修せんよりは、この一凶を禁ぜんには...
とは、日蓮の「立正安国論」の一節だが、我々の生活に置き換えて解釈するならば
何の役にも立たない多くの改善策にあくせくするよりも、最も悪いところをまず改めろ
という読み方もできる。
私のなかの一凶とは何であろう...。そんなことを考えながらも、なお、私は幸福を感じ続けていた。
俺はクチャにいる。やると決めたことをやった。
二十年という歳月がかかったが、行くと決めた地に来ることができた。
                       前掲書

自分にとっての一凶...自分という人間の傾向性の中で、最もネックになるものは何だろう?
わかっているようでわからないのが、自分という人間の愚かさである。
棘のように命に突き刺さったその一凶を抜き取ることができれば、大きく開けるのではないか..
そのためには謙虚に自分を見つめ、そして弱さと闘わねばならない。
どうせ生きるなら、「俺はやりきった」と言い切れる自分でありたい。
...今日のテーマはここから...

車に乗ってホテルへと帰りながら、私はヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」を思い浮かべ
あの大長編小説の最後で、主人公のジャン・ヴァルジャンが語る言葉を胸の中で繰り返した。
ジャン・ヴァルジャンは、娼婦のファンチーヌが産んだ娘コゼットを、自分の娘のように守りつづけてきた。
コゼットは、さまざまな辛苦を経たのち、フランス革命に立ち上がった青年マリユスという恋人を得て、
幸福な人生の出発点に立っていた。
そんなコゼットのところに、ジャン・ヴァルジャンの危篤の報が届く。
コゼットとマリユスは、死の床にあるジャン・ヴァルジャンのもとに駆けつける。
ジャン・ヴァルジャンは、臨終の間際、それまで隠しつづけてきたコゼットの母親のことを明かす。
しかし、彼は、コゼットの母が娼婦であったことは決して口にはせず、こう言ったのだ。
「コゼット、今こそお前のお母さんの名前を教えるときがきた。ファンチーヌというのだ。
 この名前、ファンチーヌをよく覚えておきなさい。
 それを思い出すたびにひざまずくのだよ。
 あの人はひどく苦労をした。お前をとても愛していた。
 お前が幸福のなかで持っているものを、不幸のなかで持っていたのだ。」
私は、父を思うたびに、
これまで幾度も「お前が幸福のなかで持っているものを(お前の父は)不幸のなかで持っていたのだ」
とひそかに言い聞かせたし、母を思うたびに同じことを繰り返してきた。
                         前掲書

イカリエンテの両親は健在であるが...
母を思い、父を思うとき、やはりこの言葉はある重みを持って胸に迫ってくる。
私たち3人の兄弟を育てるのに、どれほど辛い思いを忍んできたことか...
その思いの前には、やはりひざまずくしかないのだ。
「幸福の中で持っているものを不幸のなかに持っている」深い響きをもった言葉だ。
自分にも、そんな思いが少しだけわかりはじめたような気がする。