四面出香

51歳の誕生日
ただ時間の経過のなかで
何の決意もないままに迎えてしまった。
50歳最後の夜は、一人で酒を飲み
Facebookmixi、メールで
お祝いのメッセージは28件...
この1年も、ずいぶんと出会いがあったな。
と、感謝しつつ...酒を飲みすぎて...
返事もしきらないうちに、酔いつぶれて寝てしまった。


年齢とともに人生は明らかになってくるものかと、若い頃は思っていたが...
自分の眼の前では、いよいよ深い霧が立ち込めてくる。
霧の中から抜け出そうと、右往左往してきた10年だった。
しかし、抜けるどころか霧はますます濃くなり、
いつの間にか泥の中に足を踏み入れ、身動きさえとれなくなってしまった。
何年か前に見た、霧の中で立ち枯れている蓮の映像がふと蘇る。
世のためにならぬ生業で口に糊しながら、このまま枯れていくしかないのかな...

一夜明け、たまたま本棚から抜き出した、宮本輝のエッセー集
血の騒ぎを聴け
以前に読んで付箋を貼った部分を読み返す。
胸の底の方に沈んでいた思いが、ふわっと湧き上がる。

法華経の見宝塔品第十一に、<四面皆出>(しめんかいすい)という四文字がある。
それを日蓮は御義口伝の中で、次のように展開している。
ちなみに宝塔とは地から湧き出た巨大なまの塔で、
金、銀、瑠璃(ルリ)、硨磲(シャコウ)、瑪瑙(メノウ)、真珠、玫瑰(マイエ)の七宝によって飾られている。
この宝塔は、我々一人ひとりの生命を表現している。
 「第三 四面皆出の事 
  文句(もんぐ)の八に云く四面出香(しめんすいこう)は四諦の遺風・四徳の香を吹くなりと。
  御義口伝に云く四面とは生老病死なり四相を以て我等が身の塔を荘厳するなり」
宝塔は、四つの面を持っていた。それは生老病死という免がれ得ない人間苦であった。
この四つの最大の苦悩よって、宝塔はさらに荘厳されていくという意味である。
私は、妙なご託を並べているのではない。
ここで鼻白む人は、生涯、箸にも棒にもかからぬ文章、あるいは小説を書いていればいい。
だが、四相を以て我等が一身の塔を荘厳することに勇気と歓びを得れば、
そして、我々一人ひとりの生命が、途方もない巨大な宝塔であることを認識すれば、
石ころも枯れた花も犬の毛一本をも縁にして、文学は無限のドラマを創造し、
人間の幸福のために動きだすだろう。
そのために、ぬけぬけとリアリティの吊り橋を渡り、堅牢なロマンを組み立てる小説家が必要なのである。
柳田國男は『山の人生』で、原稿用紙わずか五、六枚で、それをやった。
私たちは、あの、「山にも埋もれたる人生ある事」という恐しい文章の前では、
ただ黙念と頬杖をつくしかない。
あれを記録と読むか小説と読むかは、各自の勝手だが、私はいつも小説として読んできた。
そしていつも、なぜか、日蓮の御義口伝の一節に吸い寄せられた。
すると、きまって、ああ、〈レ・ミゼラブル〉を書きたいものだと思ってしまうのである。
    宮本輝『縁とロマン』黒井千次「黒い霧に」 (『血の騒ぎを聴け』収録)

ひとつの人間苦が、やがてその人を荘厳する因であるとするならば、逃げてはならない。
自分のような人間が、宝の塔などとはなかなか信じがたいが...
苦悩を通じて人間を深め、身を荘厳していった人を、自分は何人も知っている。
そういう人々の深い笑顔を想うと、やはり宝塔という表現がもっともふさわしいのだろう。
人間の幸福のために一歩踏み出す勇気を、意識して動く一日一日でありたい。
枯れた蓮が来年の夏には泥のなかから見事な大輪の花を開く因は、あの枯れてうなだれた実のなかにあるのだから...