翼、折られても...

半影月蝕...
聴きなれない言葉だが、今日の夜半に見えるという。
月蝕というからには、昨年の皆既月食のようなもの
と思って、23:30に外に出てみる。
月は冬の冷たい空に、眩いばかりの光を放っていた。


月に地球の影が映ったことがどうというわけではなく
軌道を外すことのない天体の運航というものの凄さに...
自分という存在の小ささに...
自分という存在の大きさに...
心が震える。



帰宅後『トルストイの生涯』を読了。
これでロマン・ロランの伝記三部作(ベートーヴェンミケランジェロトルストイ)を読了した。
深い感動に包まれる。(写真は、レーピン展で購入した画集より)
アンドレイ公爵の見た空は...あの静かで、平和な空は...
遠いところにあるのではなく、われわれの生命の内にあったのだ。
トルストイの生涯 (岩波文庫)

トルストイは幾度も翼を折られては地上に落ちた。それでも彼はあくまで志しを捨てなかった。
そしてふたたび飛び上がていった。理性信念という二つの大きな翼で「広くて深い空」を飛びまわったのである。
しかし彼は求めていた安静を空に見いださなかった。
空はわれわれの外にはなかった。空はわれわれの中にあったのである。 
トルストイはそこに彼の熱情の嵐を吹き起こした。その点で彼は世捨て人たる僧侶とちがってぃる。
すなわち生きんがために注いだ熱情を遁世にも注いだのである。
そしていつも恋する人間のようにはげしく人生を抱きしめていた。人生に夢中になっていた。
「人生に酔っていた。」彼は人生に酔わずには生きてゆけなかった。
「幸福にも不幸にも酔うのである。死にも不死にも酔うのである」
彼の個人生活からの遁世は、永遠の生活を求めて興奮した熱情の叫びにほかならない。
彼が到達した平和、彼が祈り求めた魂の平和は、死の平和ではなかった。
それは無限の空間を昇ってゆくあの燃える天体の平和であった。
彼にあってに憤怒も平静であり、平静も燃え上がっていた。初期の作品のうちからすでに近代社会の虚偽と戦いを交えていたが、
信仰を得ることによってますますその戦いをはげしく交えるべき 新しい武器を得たのであった。
彼にもう小説中の人物だけにとどまらず、みずからもあらゆる大きな偶像に挑みかかっていった。
大きな偶像とは宗教、国家、科学、芸術、自由主義社会主義、民衆教育、慈善、平和主義などの偽善である。
彼はそれらの偽善の横面をはりとばし、いきり立ってそれらに立ち向かっていったのである。
            ロマン・ロラントルストイの生涯』蛯原徳夫訳

安静な日々など求めまい...
裕福な生活など求めまい...
あるがままの人生を抱きしめよう!
「人間がしなければならないのは辛抱だけだ」(山本周五郎『長い坂』)
辛抱とは、辛い思いを抱きしめることだ。
熱情...狂おしいほどの熱情を生涯保ち続けること以外
どこに人間の証しがあるのか
どこに人間としての幸福があるのか...
自身よりも他者の幸福を祈るのだ
臆病な自身を乗り越えて行こう。
「英雄たちの息吹を吸い込もうではないか」(ロマン・ロランベートーヴェンの生涯』)

(2007年 鳥羽にて撮影)