日記を書こうと、毎日PCに向かうのだが、このところ、どうも言葉が出てこない。
本は何冊も並行して読んでいるし、感ずるものもあるのだが...文章にできない。
やはり、なんとなく心が..否、生命そのものが澱んで前に進めない...そんな感じだ。
(凍りついた生垣...通勤途中で)
今日、J・F・ケネディーの肉声テープが公開されたというニュースを見て、久しぶりに彼の書籍を開く。
ケネディーの言葉は、いつも潔く勇気と希望に充ち溢れている。
高潔なスピーチは、聴く人の心に響き魂をゆさぶって熱く燃え上がらせた。
私が本書のテーマにしたのは、人間のさまざまな美徳の中で最もすばらしいもの...勇気だ。
その勇気を、アーネスト・ヘミングウェイは「重圧のものでの気高さ」と定義している。
そして、過去の上院議員八人を取り上げ、彼らを襲った重圧と、
その重圧に勝つための支えとなった気高さの物語として書き進めている。
以前にも、この部分は引用しているが、他の部分も含めて再度掲載したい。
ケネディー自身のことについては、弟ロバート・ケネディーの序文が代弁している。
彼は、重い病を抱え、政治的なハンディも抱えながら大統領となり、民衆のために闘った。
その行動は、勇気によって支えられていた。
勇気。これこそ、ケネディ大統領が最も大切にしていた美徳だ。
ケネディ自身が探し求めていたのは、
戦場であれ、野球のフィールドであれ、演説であれ大義のための戦いであれ、
その場に臨んで、自らが勇気の持ち主であること、信念を変えない人間であること、
そして信頼に足る人物であることを、なんらかのかたちで示した人たちだ。(中略)
兄が病気と闘っているときや戦争で闘っているとき、また、上院議員の選挙戦を闘ったとき、
マサチューセッツ州の強力な業界の圧力に抵抗してセントローレンス水路建設のために闘ったとき、
1959年に改正労働法のために闘ったとき、1960年ウェストバージニア州の予備選挙に出馬したとき、
ロサンゼルスでの民主党大会で事前の準備なしにリンドンージョンソンと討論したとき、
ピッグス湾事件の失敗で非難を一身に受けたとき、製鉄業界と闘ったとき、
1961年のベルリン危機で一歩も譲ろうとしなかったとき、
続いて1962年に西ベルリンの自由を主張したとき、
キューバからソ連のミサイルを撤収させたとき、
あらゆる市民にはみな平等の権利があることを主張しそのために闘ったとき、
そしてそのほか大小さまざまな事柄に対処したとき、
兄は人間の持っている最高のものを示してくれていた。
ケネディは信念や勇気、そして助けを求めている人たちの力になろうとする意欲の持ち主であり、
同時に、祖国に対する心からの純粋な愛情の持ち主でもあった。
ケネディのさまざまな努力によって、知恵遅れや精神に障害のある人たちによりよいチャンスが生まれ、
若者が教育を受け尊厳と自尊心を持って生きるための可能性がより大きくなり、
病人は医療を受ける機会が得られ、世界が平穏になる可能性が膨らんだのだ。
ケネディ大統領がホワイトハウスで仕事をしたのは、本来の任期である3000日間には届かず、
わずかに1000日だった。多くのことが未完成のままになった。
そして今でも引き続き未完成のものが数多くある。
本書は、それぞれの時代において、なし遂げられなければならないことを自覚し、
そして最後まで実行した人々の物語だ。ケネディ大統領はダンテのこんな言葉を好んで引用していた。
「地獄で最も熱いところは、道徳にとって大変な危機の時代に臨んで優柔不断な姿勢をとる人間のためにあけてある」
兄のジョンーケネディが本書で描いた人たちの生涯からわれわれが学ぶべき教訓があるとすれば、
そして兄の生涯やその死から学ぶべき教訓があるとすれば、それは、われわれの住むこの世界では、
誰一人として傍観者、つまりフィールドの外にたたずむ批評家でいることは許されない、ということだ。
トーマスーカーライルは次のように書いている。
「われわれが望み大切にしている勇気というのは、心安らかに死ぬ勇気ではない。それは決然と生きる勇気なのだ」
(中略)
われわれのアメリカは若い国だ。この地球がわれわれの存在を許さなくなるまで、
われわれは成長し発展を続けるだろう。
そして今われわれは、五十年前の人々が、いや十年前の人々でさえ、夢想だにしなかった問題に直面している。
われわれは持てるエネルギーや才能を総動貝して、難題に立ち向かう必要に迫られている。
われわれの都市、われわれの農場、われわれ自身の内部の難題だけでなく、
世界中の自由を獲得するための戦いや、文盲、飢餓、疾病に対する戦いに勝つ、という難題がある。
上辺だけの姿勢で、自己満足をして無為に過ごしていては、道を誤る。
われわれには、一部の人たちの知恵ではなく、多くの人たちが持っている最高の叡智が必要だ。
われわれ皆で頂点をめざして努力しなければならないのだ。
(中略)
昨今、多くの場で政治を見下す、つまり政府レベルの政治を見下すのが流行のようになっている。
ケネディ大統領はこの流れを変え、世の人々が抱いている政府への考え方を一変させた。
ケネディは明らかに、政治に関わっている人たちのために行動した。
しかし、われわれが政治に対してどのような感覚を持っていようと、
政府の政治が行なわれている舞台とは、さまざまな決断がなされるところであり、その決断によって、
われわれ全員の運命だけではなく、われわれの子供、さらにこれから生まれてくる子供の運命までもが左右されるのだ。
疲れたので、今日は引用まで...眠い!