重い雲の垂れ込めた朝...
風は少しひんやりとして気持ち良い。
駅まで行く道端に咲く紫陽花は
色を益し、生気をたたえている。
こんな空を見上げ
ふと、中原中也の詩の一行を思い出し、口ずさんでみる。
「僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。」
心が静まりかえっていく。
帰宅して、久しぶりに詩集を開き、全文をまた読んでみる。
静まった心に、力がみなぎる。
寂漠のなかで、常に高きを求める心...
汚れなき幸福を求める心...
静かに...激しく...ゆるぎなく...
雨上がりの曇った空の下の鉄橋のように生きてみたい
いのちの声 中原 中也
もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
—ソロモン1
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。
僕はその寂漠の中にすっかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく焦れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあってなきが如くでさへある。
しかし、それが何かは分らない、つひぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分ったためしはない。
それに行き著く一か八かの方途さへ、悉皆分ったためしはない。
時に自分を祁楡ふやうに、僕は自分に訊いてみるのだ。
それは女か? 甘いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?
2
否何れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるままによいといふこと!
人は皆、知ると知らぬに拘らず、そのことを希望してをり、
勝敗に心覚き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!
併し幸福といふものが、。このやうに無私の境のものであり、
かの慧敏なる商人の、称して阿呆といふでもあらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ。
だが、それが此の世といふものなんで、
其処に我等は生きてをり、それに任意の不公平ではなく、
それに因て我等自身も構成されたる原理であれば、
然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。
3
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!
さあれ、怒ることこそ
汝が最後なる目標の前にであれ、
この言ゆめゆめおろそかにする勿れ。
そは、熱情はひととき持続し、やがて熄むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝が次なる行為への転調の障げとなるなれば、
4
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
曇った空のしたの、田園に立ちつくして、身一点に感じた瞬間...
三重で暮らしていたときに撮った、美しい青田を思い出す。