水のごとく生きること

出張の連続で少し疲れがたまり
土日はぐったりとしてしまい
K大学の会議にも出る気が失せて
家で過ごす。
先週読み終えた、宮本輝の新作
『水のかたち』をめくって
付箋を貼ったページを読み返したりして..



石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たねばなりません。
                      ロダン高村光太郎訳)

この物語のモチーフとなっている言葉
なんと美しく凛とした決意だろう。
「遅い」そして「静かな」力...
人間らしく「生きる」ということは、そういうことなのだ。
液晶画面のなかでなんでもできてしまう現代には、忘れ去られた生き方だ。


50歳になった平凡な主婦が主人公である。
50歳...人生の下り坂...
更年期が始まり、夫からも女性として見られなくなる年齢
あとは衰えていくしかない年齢...
しかし...この主人公志乃子の人生は
善き人たちとの出会いによって、大きく動き始める。


「50歳を過ぎた情熱しか、私は信じない」という宮本輝氏の一言を読んだのは30代の頃だった。
若い頃の情熱は誰にでもあるものかもしれない。
しかし、50歳を過ぎて尚、情熱を燃やすことのできる人は少ない。
自分も、宮本輝氏を敬愛するひとりの人間として
50歳を過ぎても情熱を燃やし続けられる人間になりたいと願い続けてきた。


しかし...40歳を過ぎてから下り坂が始まった。
自分らしい仕事ができるようになったと実感しはじめたころの突然のリストラ...
一度はそれをはね返して、これまで以上の仕事をした。
しかし...再び挫折し45歳からその下り坂は加速度を増していった。
宿命に抗っても抗っても、堕ちていくばかりだった。
50歳...こんなにひどい状況になるとは..
若い頃には想像もできないくらい惨めな敗北の姿で迎えてしまった。

水のかたち 下
志乃子は、自宅の下の不動産屋で働く早苗から、
彼女の祖母が住む大井川の上流の滝で拾ったという石をもらう。
その石はリンゴを背に載せた牛のような形をしていた。
志乃子は早苗に誘われ、友人のジャズシンガー沙知代を伴って
大井川鉄道沿いの茶畑の中に住む祖母の家に行く
リンゴ牛と名付けた石は、祖母の祖母が100年以上も前に、その滝に置いた石だった...

(沙知代が語る場面)
自分を、自分以上のものに見せようとはせず、自分以下のものに見せようともしない、
というのは至難の業だ。
人間はすぐにうぬぼれる。絶えず嫉妬する。他人の幸福や成功をねたんだり、そねんだりする。
自分を周りからいい人だと思われようとする。
どうしてこの能勢志乃子という人には、それがないのだろう...。
私は、大井川の上流の、早苗ちゃんのおばあちゃんの家に泊めてもらって、
翌朝、白糸さんへ行ったときも、不思議な何かを見る思いで志乃ちゃんと話をしていた。
白糸さんは、長い一本の管にあけた大小不揃いの穴からこぼれ落ちる、
壊れたシャワーのように流れ落ちていた。
どこから来てどこへ行くのかわからない頼りない滝が最初に当たる段差のところに
志乃ちゃんがあのリンゴ牛を置いたとき、私は妙な空想のなかにひきずり込まれていった。
あの丸い石は、ここに置かれたときからリンゴ牛だったのだ。
落ちつづける水滴に穿たれて形を変えていったのではない。形を変えたのは水のほうだ。
水は流れて来て落ちて、一瞬リンゴ牛の形になって、すぐに別のものと同じ形に変わって、
浅い滝壷にいったん溜まり、水の道へと向かって行って、水の道の形になり、
水草の繁っているところでは水草の形になり、石と石とに挟まれた細い水路では水路の形になり...。
それなのに、水であることをやめない。
リンゴ牛にもならず、水草にもならず、水路そのものにもならず、
他のどんな形に変化しようとも、水でありつづける。
私は、この水のように歌いたい。歌えるようになりたい。
空想にひたりながら、私はそう思った、思いというよりも願いというほうが正しい。
                              宮本輝『水のかたち』

どんな形に変化しようとも、水であり続ける...

淡々と..黙々と..粛々と..
時には凄烈に、時には轟然と、時には弱弱しく
時には戸惑いながら、時には悲しみに暮れ、時には怒りに燃え
そして、静かに絶えることなく...
水でありつづけること。
流れることをやめないこと...
そう覚悟すること


「五十にして天命を知る」と言った孔子の人生は、50歳までが順風でそこからが波乱の始まりだった。
天命を知るとは、決して泰然として世間を見下ろすというような意味ではない。
自らの使命を思い知るということなのだ....きっと。

「50歳を過ぎた情熱」というのは、やはり生易しいものではないはずだ。
自身との闘いのなかで、自分の天命をつかめますように...
石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を、もてますように...

<写真は2007年夏...三重・五十鈴川にて撮影>