ゴッホの告白

まだ世の明けないうちに家を出て富山に向かう。
出かける間際に
もうすぐ読み終わる宮本輝の『水のかたち』下巻と
机のわきに置いてあった小林秀雄の『近代絵画』を
出張バッグに放りこんだ。



東京駅7:00発のMAXに乗って8時過ぎに越後湯沢で乗換え
今夜から荒れるという予報とは違って穏やかな青空が
ずいぶん前に刈入れの終わった田園の上にひろがっていた。
山の麓には、朝もやの名残が残っている。

車内の暖房が寝不足の身体にしみこんで、
いつの間にかうとうとと居眠りをしてしまった。


ふと気がつくと、電車は海沿いを走っていた。
薄い雲が空を覆ってはいたが、海は少しくすんだエメラルドのような色だった。
海沿いにまばらに家が建っていたが、人影は見えなかった。

やがて暗い雲が広がり、海は鉛色に変わっていった。
風が強いらしく、海面に無数の波頭が立っては消えていった。
海にばかり気をとられているうちに、いつしか田園も鼠色に染まっていた。
なんという寂しい風景だろう


嵐の前兆のような重い雲のトンネルの中をはしる海岸列車の中で『近代絵画』を開き、「ゴッホ」の章を読む。
小林秀雄全作品〈22〉近代絵画

「自然が実に美しい近頃、時々、私は恐ろしい様な透視力に見舞われる。私はもう自分を意識しない。
 絵は、まるで夢の中にいる様な具合に、僕の処へやって来る」
彼は、忘我のうちに、何かに脅迫される様に、修正も補筆も不可能な絵を、
非常な速度で描いたのだが、手紙の文体は、同じ人間の同じやり方を示している。
(中略)
忘我のうちになされた告白、私は、敢えてそんな言葉が使いたくなる。
そういう告白だけが真実なものだと言いたくなる。
何んと沢山な告白好きが、気楽に自分を発見し、自分を軽信し、
自分自身と戯れる事しか出来ないでいるかを考えてみればよい。
正直に自己を語るのが難かしいのではない。
自己という正体をつきつめるのが、限りなく難かしいのである。
                                    小林秀雄ゴッホ

ゴッホの生涯は、飢渇の劇の連続であった。
恋愛に敗れ、美術商にも語学教師にも説教師にも失敗した。
自分が世間並に生きていけないことはよく自覚していた。
やるかたない情熱が、彼の精神をむしばんでいった。
画家として本格的に絵を書きはじめたのは30歳になる頃からであった。
彼を苦しめたのは、幻滅や絶望や憤懣ではなく「深い真面目な愛」の出口を見つけることであった。

「内部の思想が、外部に現れるなどということが、あるのだろうか。
僕らの魂の中には、大きな火があるのだろうが、誰も暖まりにやって来る者はない。
通りすがりの人々は、煙突から煙が少々出ているのを見るだけで行ってしまう」
               (ゴッホの手紙)  <前掲書>

電車が長いトンネルに入ると、
「自分自身と戯れる事しか出来ない告白好き」にしか過ぎない自分の青白い顔がガラス窓に映る。
歳を重ねるごとに自分の正体が見えてくるような錯覚をしていたが、いよいよ謎は深まっていく。

狂人の告白を誰も相手にはしないが、普通人の告白でも、先ず退屈極まるものであって、
面白がっているのは告白する当人だけであるのが、普通である。
ひたすら自分を自分流に語る閉された世界に、他人を引き入れようとする点で、
普通人の告白も狂人の告白と、さほど違ったものではない。
自分自身を守ろうとする人間から、人々は極く自然に顔をそむけるものである。
他人を傾聴させる告白者は、寧ろ全く逆な事を行うであろう。
人々の間に自己を放とうとするであろう。
優れた告白文学は、恐らく、例外なく、告白者の意志に反して個性的なのである。
彼は人々とともに感じ、ともに考えようと努める、まさにそのところに、彼自身を現して了うのである。
ゴッホの手紙が、独立した告白文学と考えても差支えない様な趣を呈しているのも、
そういう性質による。
                   <前掲書>

空一面の雲を見上げながら、いっそ雪が降ってくれたらいいのに..と思う。
しかし...魚津に着くころに降りはじめたのは、横なぐりの冷たい雨だった。
遠い山の頂に、雪が積もっているのが見えただけだった。