アガパンサスの花

友人のお嬢様であるMAYUちゃんは
S大学芸術学部の2回生
高校生の時からこのブログを
読んでいただいている
イカリエンテにとっては
最年少のガールフレンドである。
と、オヤジは勝手に思い込んでいるだけだが..
モダンバレーの発表会にお誘いをいただき、
午後から関内ホールに観に行った。


小さな子ども達の演技の後に、上級者である彼女たちの演技が始まる。
彼女の踊りは基本がしっかりしていて、芯にブレがない。動きがしなやかでいてキレがある。
お会いして話すと、まだまだあどけなさが残っている彼女の表情が、舞台の上ではオトナの女性に見える。
「砂の記憶」という幻想的な舞の後、発表会の終盤に「白いレクイエム」というタイトルの踊り
白い妖精が降り立ってきたような美しい舞に、おじさんはメロメロ...


舞台が終わりロビーに出ると、「ムイさま!」と後ろから声をかけられる。
振り向くと、そこに妖精が立っていた。
来ていただいたお礼に...と言ってお菓子をいただき、ムイカリエンテも花の代わりに本を一冊差し上げた。
枯れてしまう花よりも、未来のある彼女には、枯れない花の種子を心に植えてほしいとの思いで...


手を振って別れ会場から出ると、空はまだ明るく...
関内駅のガード下に咲いたアガパンサスの花が、風に揺れていた。
鮮やかな色の花が多い季節なのに、この花の色はなんと物悲しいのだろうか..

大人になるといふこと…


先日読み終えた『しろばんば』の場面を思い出す。
母方の曽祖父の妾であったおぬい婆さんに預けられ、伊豆の奥地湯ケ島の土蔵で過ごす洪作は
おぬい婆さんの愛情を一身に受けて育っていく。
中学受験が近づいて、湯ケ島を離れようという時に、おぬい婆さんが老衰で倒れる。
しろばんば (新潮文庫)

洪作にも、おぬい婆さんはもうそう長くは生きないのではないかと思われた。
洪作は暫く庭を歩き廻りながら、この世は憂きことが多いというような試験問題の文章があったことを思い出し
実際に人生というものは憂きことが多いと思った。
犬飼が狂ったことも憂きことであったし、おぬい婆さんに老衰がやって来つつあることもまた憂きことであるに違いなかった。
洪作は久しぶりで若くして他界した叔母のさき子のことを思い出した。さき子の死もまた憂きことの一つであった。
人生というものが複雑な物悲しい顔をしてその世の洪作の前に現れてきた。
                     井上靖しろばんば


大人になるということは「憂きこと」を知っていくことなのだろうな...
人生の彩を増していくには、それもまた必要なことなのだろう。
美しいもののなかには「憂きこと」が満ちているのだから...