志摩の旭日

闇から浮かび上がった紫紺の海の揺らぎに ほんのり朱がさすと
一羽の海鳥が、その上をかすめるように横切っていった。
水面に細波をたてながら岬に吹きつけてくる風は、まだ冷たかったが
ゆるやかな波のうねりは、もう春のそれであった。

水平線にかかった雲の向うで昇ったはずの太陽は、
上空のひとところを照らしただけで、未だ姿を現さなかった。

安乗岬の断崖の上に立って、僕はその時を待っていた。
すべてのいのちが...そして、海も大地も、海辺に転がる石ころさえも...
東天に視線を集めて、彼の登場をいまかいまかと待ち望んでいた。


昨日、半島の西岸で 沈みゆくのを見送った太陽が、
地球がくるりと回って東の空に姿を現すというあたりまえのようなことに
こんなにも胸が高鳴るとは、どうしたことか...


永遠に衰えることのない太陽の輝き
何事にも微動だにしない強靭な生命力
寸分の狂いもなく繰り返される宇宙の運行への憧れからか...
それもあるだろう
しかし、それにもまして心惹かれるのは、そんな太陽に照らされながら、刻々と変わりゆく空の色、海の色...
雲も風も波も、留まることなく変転していく
快晴の日もあれば、嵐の日もあるだろう
すべてがこの壮大な絵巻の背景なのだ。
そんな無常なるものこそが愛おしいのだな…

やがて、雲の切れ目が金色に輝き、そして彼は姿を現した。
その瞬間に海のうえに光の道ができ、僕の方にまっすぐに向かってきた。

もう何も怖れまい... 宇宙の普遍の法則に護られているのだ。
もう何も嘆くまい... どの苦悩にもすべて意味があったのだ。
無常なるものを愛でながら、生死の波を乗り越えて光の道を進んでいくのだ。
いつのまにか僕は掌を合わせていた。


金色の光の道に、よるべない小さな漁船のシルエットが浮かび上がった。