自尊心より大切なもの

午前中、再度現場に行って
気になる部分を若干補正して完了。
午後からは、いつものK大学の会議。
夜、帰宅すると机の上に封書が...
先日申請してあった
自立支援医療受給者証」が入っていた。
診断書には、病気のランクが記号で書いてあったので、
どの程度の症状と診断されたか、わからなかったが
ここには『重度かつ継続該当』と書いてある。


現場に出るときなどはいつもと変わらずふるまえるのだが...
大学関係のことはほとんど手に着かず、会議に出ていると後からひどく落ち込む。
あと数カ月で任期が終わるので、耐えるしかないのだが...
就職活動は、その日によってやる気が出たりなくなったり..
結果は駄目だと想定していても、やはり断りのメールが来る落ち込んで
しばらく、手が付かなくなってしまう。


先週病院へ行き、睡眠は安定したが、未だ落ち込みが激しいことを話すと
薬の量を増やして様子を見ようということに...
当初、1錠だけでも猛烈な眠気を誘ったリフレックスを毎晩2錠飲みはじめた。


『天の夜曲』

流転の海 第4部 天の夜曲 (新潮文庫)

流転の海 第4部 天の夜曲 (新潮文庫)

自尊心か...。これもまた人間にとって恐ろしい敵だ。
自尊心という敵に最も弱いのが、じつはこの俺だ。
釈迦は、自分の弟子のひとりである提婆達多を並いる人々の前できつく叱り、
汝は愚人なり、人の唾を食らう者なりと辱めたという。
提婆達多は、弟子のなかでも優秀で、頭もよく、法論にも長け、才気も優れていたが、
内に邪悪な野心も隠していた。釈迦はそれを見抜いて𠮟ったのだという。
人前で恥をかかされた提婆達多は、自分に非があるならば、釈迦はどうして
自分だけにそれをそっと言ってくれないのかと怒った。
なにも満座のなかで恥をかかさなくてもいいのではないか。
こうなれば、俺は釈迦に敵対し続けてみせる。
「生々世々にわたりて大怨敵たらん」と誓い、釈迦を殺そうと企て、
教団の尼たちを犯し、悪業の限りを尽くして、地獄へ堕ちていく...
熊吾がこの話を聞いたのは三十代の後半であった。

熊吾は、提婆達多の自尊心を傷つけた釈迦の叱り方が悪かったのだと
思い続けてきたが、様々な人間の自尊心というものを考えるていくうちに
別の思いが湧きあがってくる。

釈迦はなぜ提婆達多を満座のなかで叱責し、
お前は愚人で、他人の唾を食らうような男にすぎないという言葉を使ったのか。
釈迦は、それによって人間の自尊心がどれほど傷つくか、充分すぎるほど知っている。
提婆達多よ、どうだお前の自尊心は傷ついたであろう。
さあ、これからどうする。わたしに敵対し、教団に災いを為し、
誓いあった大きな目的を捨てていくのか。
我々の目的とは何だ。釈迦教団は、いかなる障害や弾圧にも耐えて、仏教を流布し、
衆生を導き、救済することが目的ではなかったのか。
そしてお前は、その果てしない闘いに参加することを誓って、私の弟子となったのではないのか。
それなのに、自尊心のために誓いと大目的を捨てるのか。
そうなのか。お前には自尊心以上に大切なものはなかったということか。(中略)
熊吾は釈迦というものについて勉強したことはなかった。
だが、己が目指そうとしているものが大きければ大きいほど、自分の自尊心などは取るに足らないものになっていくはずだという思考が、政夫のあのときの尖った目を思い出すたびに、ある明確な規範を伴って形づくられたのだった。
自分の人生に、目指すべき大きな目的を持っていない人間の自尊心を傷つけてはならないのだ。

そして、小学生になって間もない息子伸仁に語りかける。
「自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」と...


これまでの人生を振り返れば、自分は自尊心が人一倍強い人間だ。
40代になってから、浮き沈みを繰り返し、自分という人間の頼りなさを思い知り
自尊心などというものは、ずたずたに引き裂かれてしまった。
精神の病も、そんなところから始まったのかもしれない。
しかし、考えてみれば自尊心など砕かれてしまってよかったのかもしれない。
自尊心よりも大切なものは、きっとたくさんあるはずだ。
これからも、自身の中に自尊心が芽生えるたびに、律していかねばなるまい。
「自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」
と、何度か呟いてみた。