古都の紅葉

早朝の特急サンダーバードで富山から京都へ...
市内の某半導体メーカーの現場下見。
クリーンスーツに着替えて、クリーンルーム
での作業...そして、打ち合わせ。


昼過ぎに仕事が終わったので、ちょっとだけ紅葉見物
客先に行くときにバスの一日フリーパス(500円)を買ってあったので
それを使って、バスを乗り継いで祇園で下車。
昨日、紅葉の大パノラマを見たので、もういいかと思いつつ。東山方面を散策。
宮本輝の『森のなかの海』で舞台のひとつとして登場するこの界隈も
今は観光客目当ての安っぽ看板ばかりが目立つ、風情のない街になってしまった。
人の少ない裏道は静かでいいのだが..
観光名所に近づくと、観光客でごった返している。
紅葉を観に来て、なんで静かに景色を楽しめないのだろう
紅葉の色も、昨日の自然の中に生きる木々と比べると、なんとなく精彩を欠いているような...
後から音のない写真で見ると、庭園の計算された美しさに気が付くのだが...
あまりに人の多さにうんざりして、考えていたルートを歩くのもやめて、坂を下ってバスに乗った。







帰りの電車で、小林秀雄を読む。 何度読んでも名文だ。
モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

私は、バスを求めて、田舎道を歩いて行く。大和三山が美しい、
それは、どの様な歴史の設計図をもってしても、要約の出来ぬ美しさの様に見える。
万葉の歌人等は、あの山の線や色合いや質量に従って、自分達の感覚や思想を調整したであろう。
取り止めもない空想の危険を、僅かに抽象的論理によって、支えている私達現代人にとって、
それは大きな教訓に思われる。
伝統主義も反伝統主義も、歴史という観念学が作り上げる、根のない空想に過ぎまい。
山が美しいと思った時ヽ私は其処に健全な古代人を見附けただけだ。それだけである。
ある種の記憶を持った一人の男が生きて行く音調を聞いただけである。
              小林秀雄蘇我馬子の墓』

出張でいろいろなところに行けるのは、確かに贅沢というか役得というか...
しかし、出張ついでに駆け足で見物するのは、旅とは言えないかもしれないな。
時間を作って、ひとりでゆっくり田舎道を歩いて旅をしたいものだ。