『約束』

最近、通勤電車で毎日泣いてばかりいる。
泣いてしまうとわかっているのに、読み始めてしまう。
約束 (角川文庫)
表紙の写真がいいな〜と思った。
それだけの理由で買って読み始めた。
優しく手をつなぐ、母親と子供..かな?
そういえば最近、誰かと手をつないだ覚えがないような...

僕は涙もろいので、悲しい話を書いて涙ぐむことがあります。
ですが、最初の一行を書いた瞬間に涙を落したのは、あとにも先にもこの「約束」だけです。(中略)
ここに収められた七本の連作のうち、ひとつでもあなたの凍りついた傷口に届くものがあれば、
作者としては満足です。
願わくば、そのひとつにわずかでも傷を楽にし、痛みを遠ざける効果がありますように。
結局のところ、小説は出来不出来ではなく、届くか届かないかなのです。
                       石田衣良『約束』あとがき

ここに収められた短編は、
どれも、病や喪失で心に深い傷を負った人たちが、立ち直っていくストーリーである。
石田衣良という作家を知ったのは最近のことである。
文学的な深さを感じさせない平易な文章、ありふれたストーリー...
それなのに...不覚にも涙があふれてきてしまう...なぜだろうか...

『青いエグジット』
46歳の謙太郎が無表情に息子の車いすを押すシーンから始まる。
リストラで本社から、二度と戻ることのない研修センターに転勤させられ、
息子は3年間の引きこもりから、外出した日に事故に遭って片足を失っている。
我儘放題で、親を辛辣な言葉でなじる息子。
これでもか、これでもかと押し寄せる宿命の波...無表情に受け止めるしかない、中年男の切なさ...

すべては時間のせいだと謙太郎は思った。時間はすべてのものを駄目にしてしまう。
過敏すぎるところがあったが、素直で活発な男の子だった清人は、こんな性格になったうえ、
事故で片足を失った。
妻の真由子は女らしい丸い心を削られて、おどおどと息子の機嫌ばかりとるようになってしまった。
(中略)
もうこれから自分にはいいことはやってこないのだ。そう覚悟を決めて、
謙太郎は八方ふさがりの人生を受け止めていた。また、そうなってみると耐えることの中にも
しびれるようなおかしさがあるのだった。盛りを過ぎてくだりざかの人生を生きるおかしさ。
謙太郎の顔からは表情が消えていった。
声を出して笑うことも、涙を流すこともなくなった。能面のような顔でリストラ研修を受け、
家に帰って息子から能なしといわれても表情を変えることはない。

ある日ダイビングぼポスターを見て、19歳の清人がダイビングをやりたいと言い出す。
苦しい家計の中で、ローンを組んで道具を買い込み、スクールに通い始める。
そこから清人がみるみる変わっていく。
初めて海にダイブした日、清人は海に潜れない両親のために海底で貝殻を拾ってくる。
そして語り出す。

「あのポスターは不思議だった。海の中に青い出口があるなんてさ。でも、いまは違う。
 僕も出口をみつけたような気がするんだ。青い扉がほんの少し開いたのかなって。
まだまだ外の世界が怖くて悲鳴が出ちゃいそうだけど、
これからはなんとか外の世界に出ていくようにするよ。

どんな絶望の淵からも、人間は立ち上がれるのだ。生命の力は計り知れない。
しかし、そこにはあきらめないで守り支えてくれる人間が必要だ。


そして、時間はあらゆるものを"解決"していくのだ。




もう一作『夕日へ続く道』
中学一年生の雄吾は、学校の生活に疑問を抱きはじめ、学校に行かなくなってしまう。
毎日家を出て、公園のベンチで一日を過ごす雄吾は、ある日軽トラックで廃品回収をする老人に出会う。
老人に誘われて、軽トラックに同乗して仕事を手伝うようになるが...
ある日、仕事の途中に老人は脳血栓で倒れてしまう。
身寄りのない老人を介護する雄吾。半身が不自由になった老人が雄吾に掛けをしようと言う。
3日間のリハビリで、長い廊下の向こうにあるトイレに自力で行けるかどうか...
やっと立ち上がった老人には、どう考えても無理な距離である。
しかし、約束の日、老人は夕陽のあたる長い廊下を歩きはじめる。苦しい苦しい一歩一歩。
震える左足を引きずりながら、砕けそうになる腰を右手で支えて、一歩また一歩と歩いていく。

「ちゃんと見てろ。ほんの何メートルか歩くだけで、おれはもうふらふらだ。
みっともなくて、だらしないだろ。いつも兄ちゃんがいってた『バカらしい』って、こういうやつだ。
だがな、人間、どんなにバカらしくても、やらなきゃいけねえことがあるんだ」

雄吾の空虚な心と果てしない可能性の中にあるものを、老人はしっかり見ていた。
そして、自らの姿を通して、雄吾の中にある命の力を引きずりだす。


生きるとは、なんと困難なことなのだろう。
だからこそ、人間の中で生きていくことが大事なんだ...


生きていることは、それだけで素晴らしい...そう思える短編集です。